今さらながら宮沢賢治を・12015年10月16日 21時21分35秒

★宮沢賢治を深夜にひも解いて         アクセスランキング: 149位

 昨夜から一日中、氷雨のような、霧のような弱く冷たい雨が降り続いている。11月半ばの気温だそうでともかく寒い。早や初冬の感がある。居間では老人たちはコタツに灯をつけた。
 いつの頃からか、風邪などひくと、その後は必ず咳が残り、ときには一か月も続き苦しい思いをしている。喘息とか気管支炎だとか診断受けたことはないが、喉や気管が弱いのは間違いなくこれも体質だと諦めるしかない。下手すると発作的に咳が止まらなくなる。風邪がぶり返したわけではないが、このところの急な冷え込みで咳が出て夜など辛い。

 それは我が父の母、父方の祖母から受け継いだものだ。ごく幼い時に死に別れたので共に暮らしていたはずだがはっきりした記憶はない。肺だか気管だかが弱く、肺炎だったのか六十代で死んでしまった。晩年は、仰向けになって寝るのは咳が出て息が苦しいから、と壁にもたれかかって眠っていたと聞いている。その気持ちは今我もよくわかる。
 ウチは父母方双方とも長生きの家系だが、その人だけがわりと早死にで、自分では気質も顔体形も母方の傾向が強いと認めるが、咳だけはそのほとんど記憶のない祖母から受け継いだものだと思える。皮肉にも思うが、それも遺伝なのだから仕方ない。

 咳が出て目覚めたわけではないが、まだ夜明けまで間がある長い夜に、平積みにしてある枕元の本の山から一冊抜き出して開いた本は、新潮社からかつて出た詩の叢書の中のうち宮沢賢治のものだった。※『日本詩人全集20 宮沢賢治 昭和42年刊』

 賢治の作品は、若いころ筑摩から出た文庫でほとんど読んだはずだが、今は読み返すのがかなり辛い。感受性が昔より鋭敏になったなどとは思わないが、若い時には気づかないで読みすごしていた彼独特の言葉使いやどの作品にも流れている静謐な哀しみが今は胸に突き刺さってきて楽しみとしての読書などできない。例えば「なめとこ山の熊」など、童話なのに最後の場面の猟師の死を悼む熊たちの姿には胸塞がれ涙が止まらなくなる。

 賢治は我が祖父母たちの世代の人で、若くして昭和8年、三十代で死んだが、エコロジーなどという言葉ではなく「自然との共生」という、おそらく昔の日本人たちが当たり前のように持っていた概念を、初めて意識的に芸術作品に仕上げた近代人だと思う。
 明治以来今も昔も日本人にとって、自然とはそこに住む生き物全てを含めて制圧と克服すべきものでしかなく文明の対極にあった。賢治にとっても冷夏や飢饉、旱魃、津波など自然災害に常に襲われる東北農民にとって喫緊の克服すべき難題、課題であったが、彼は人間の都合だけでは考えなかった。

 彼の童話などには様々な動物たちが登場し、人の言葉や思いを語るが、それは「擬人化」ではなく、まさに自然の生き物の思いや言葉そのままで、賢治は自然界の生き物のすべての意思を代弁し美しい日本語で作品に仕上げたのだと気づく。人間の都合も当然ある。が、熊には熊の、鳥たちには鳥たちの、他の生き物たちすべてにそれぞれの都合がある。それは仕方ない。それを互いに認めあう。昔の人たちは熊も人も折りあって生きていた。自然の中で共に生きている。そこに上下はない。それこそが共生ということだ。

 経済や産業、開発優先の現代人にとって、もはや彼ら自然と折り合うことはできやしない。自然界に君臨する人間優先にすべては進んでいく。今生きている人間の目先の都合しか考えない。その究極が原子力発電所だろう。一億が総活躍する、国家の経済成長ためには環境破壊や自然のサイクルを壊すことなどどうでも良いことだ。より利便性と経済効率だけのこと。さらに近隣諸国の脅威をあおり、豊かな自然を破壊し軍事基地建設にまい進する現代文明。そこにあるのは人間の欲だけだ。

 かつての日本人、それも自然と共に折りあい生きていた日本人と自然界の生き物たちの思いと言葉は、今も賢治の遺した作品の中にだけある。
 だからこそ彼の作品を今こそ読み解き、彼のように自然と共に、自然を畏怖し全人的に生きていかねばと思う。

今さらながら宮沢賢治を・22015年10月17日 21時45分05秒

★賢治の遺した手紙から

 賢治は昭和8年、つまり1933年の9月21日に死去している。その死の10日前、花巻農学校自体の教え子に手紙を送っている。※『日本詩人全集20宮沢賢治から巻頭解説「宮沢賢治・人と作品 草野心平」』によるところを記す。                

 彼は、まずその自らの病状、肺のラッセル音が収まらず、咳が出ると二時間も続き仕事も何も手につかないこと等、もはや健康は戻らないことを告げ、『私のこういう惨めな失敗は、ただもう今の時代一般の巨きな病「慢」というものの一支流に過って身を加えたことに原因します』と自嘲気味に述べ続けて自らについて、

 「僅かばかりの才能とか器量とか身分とか財産とかいうものが、何か自分のからだについたものであるかと思い、自分の仕事を卑しみ、同輩を嘲けり、いまにどこからか自分をいわゆる社会の高みへ引き上げに来るものがあるように思い、空想のみ生活して却って完全な現在の生活を味わうこともせず幾年かが虚しく過ぎて漸く自分の築いていた蜃気楼の消えるのを見ては、ただもう人を怒り世間を憤り従って師友を失い憂悶病を得るといったような順序です」と顧みたうえで教え子にこうアドバイスしている。

 「あなたは賢いからこういう過りはなさらないでしょうが、しかし何といっても時代が時代ですから充分にご戒心下さい。風の中を自由に歩けるとか、はっきりした声で何時間も話が出来るとか、じぶんの兄弟のために何円かを手伝えるとかいうようなことはもう人間の当然の権利だなどというような考えでは本気に観察した世界の実際と余り遠いものです。
 どうか今の御生活を大切にお護り下さい。上の空でなしに、しっかり落ちついて一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ苦しまなければならないものは苦しんでいきましょう」。
 そして最後に、賢治は教え子にも関わらず丁寧に「いろいろ生意気なことを書きました。病苦に免じて赦して下さい。それでも今年は心配したようでなしに作柄もよくて実にお互い心強いではありませんか。また書きます」、と結んでいる。
 
 この遺書とも思える「手紙」を記して賢治は10日後、呼吸困難、喀血の後、様態急変し38歳の生涯を終える。その前日の朝まで訪れて来た農民の肥料相談など真摯に応じていたという。
 
 今、2015年の秋10月、ふと深夜偶然手に取った彼の作品集の解説文に載っていたこの「手紙」を読み深い感銘を受けたことを告白する。涙がこぼれた。
 80年も前に労苦の中に早世した賢治が哀れだったからではない。そこにあるメッセージは今も少しも変わらず、いや、今だからこそ大きな意味を持って胸に迫って来たからだ。

 天才詩人は、誰よりも時代に鋭敏な感性を持っていたはずだ。昭和8年である。長い病苦の末の死に臨んで、自らの人生を「惨めな失敗」だとして振り返り、そのうえで、愛する教え子には偉ぶることなく、「時代が時代ですから充分にご戒心を」とアドバイスし、さらに続けて「風の中を自由に歩けるとか、はっきりした声で何時間も話が出来るとか《略》はもう人間の当然の権利だなどというような考え」とは戒めたうえで、「どうか今の御生活を大切にお護り下さい。上の空でなしに、しっかり落ちついて一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんでいきましょう」と渾身のメッセージを与えている。

 昭和8年は既に日中戦争も始まり、共産主義者の転向が相次ぎ、日本は急速に右傾化、軍国主義が進んできた年だ。ドイツではヒトラー率いるナチスが政権を獲得し一気に世界大戦へと時代は再び歩を進めていくのである。ここに記されたメッセージは、自らの「失敗」についてだけではなく、自他共に健康な時代は失われたことへの認識からのものだと思える。
 今、2015年。秘密保護法と国民総背番号制と戦争法が出来てしまった「現実」と、この賢治の死の年が重なる気がしている。ふとした偶然から目にした賢治の手紙だったが、そこにそうした時代に対する彼の確かな目と、そして後進の者に対する愛に溢れたメッセージを受け取った。それはいつの時代も本質的に変わらない。しかし、今こそ、今だからこそより強い意味を持つように思える。
 
 そう、時代が時代だから我々は充分に戒心せねばならない。当たり前のことはもはや当たり前ではなくなっていく。そのうえで、今の生活を大切に護り、上の空でなしに、しっかり落ちついて一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんでいかねばならぬ。まったく同感に思う。

今さらながら宮沢賢治を・32015年10月18日 23時32分57秒

★賢治の遺したものに耳を傾けよう             アクセスランキング: 178位

 芸術家には、絵なら絵、詩なら詩、音楽ならば音楽と、そのジャンルごとに特化した専門家的天才は多々いる。が、これは持論として、本物の天才とは、ジャンルなど問わず、どのような芸術分野でもその特異な資質を余すところなく示すものだと思う。
 つまり、すなわちすぐれた画家はすぐれた詩人であり、優れた音楽家でもあるといったこともよくある。優れた音楽家は、絵も文才もまた持ち合わせている。昔ならば多芸多才、今なら総合アーチストとでも呼ぶべきか。いわゆるレオナルド・ダ・ヴィンチ型天才である。※幸い身近にもシバや鈴木翁二ら、漫画や音楽などジャンルを選ばず何であれそこに自らの芸術を見出し素晴らしい独自の作品とする先達がおられる。

 余談だが、我が子供の頃、バイオリンを習いに行かれされた、近所のM先生もそういうタイプの方で、音楽はピアノから何でも教えるレベルの域で、絵画や彫刻、彫塑も手掛けて、米軍ハウスを改造したその家の柴の庭には、彼の作品である石膏像などオブジェが点在していたことを思い出す。まさにそんな全人的芸術家であったと今にして気づく。残念なことにその頃は内発的音楽意志は我に皆無であったからけっきょく足は遠のきバイオリンはものにならなかったがそれも致し方ない。機が来ていなかったのだから。
 が、その先生が何台もあったアップライトピアノでガーシュインだかコール・ポーターを弾いてくれたことを思い出す。あんな風にどんな芸術でも自由自在にできたならば・・・。彼の生き方は今も自分の憧れである。

 さておき、芸術的才能を天から与えられた者は、分野など選ばずに何でもその才をごく自然に存分に示していく。宮沢賢治もまたそうした天才であった。
 今日、彼の名は、詩人、童話作家として世に知られているけれど、「セロ弾きのゴーシュ」よろしく自ら様々な楽器を繰り、自らの詩に曲をつけ今もその音楽作品はいくつも譜面として残されている。農学校時代は、友人らと弦楽四重奏団を主宰していたらしい。
 東北の地方都市花巻、そして盛岡というところで、いくら篤農家に生まれだとしてもきちんとした音楽教育など受けたはずもないと思うのに、彼は作曲家として五線譜に素晴らしい曲を記し後世に残している。
 
 その中でもこの譜面「星めぐりの歌」は最も世に知られた曲ではないか。彼はいくつもこうした音楽の作品を遺したが、この独特な少し哀しげなメロディ、ヨナ抜きという、昔の日本人が好んだ旋律はいまも聴く人の心に深い余韻をもたらす。詩と曲も見事にマッチしている。
 近いところでは、この曲、NHKの朝の人気連続ドラマ「あまちゃん」でも劇中で何度も効果的に流れていたので気づかれた方も多いはずだ。ドラマの舞台も岩手県であったから、賢治の曲が使われたのであろうが、ナイスな選曲だと言えよう。

 思うが、もし彼がもっと長生きして戦後まで生きていたとすれば、彼の音楽は独学でも交響曲を書き上げるレベルまで達したのではないか。生家には子供の時よりレコードがたくさんあり、中でもベートーベンを愛好していたという。同じく独学の天才・伊福部昭のような重厚な風土に根差した作品が生まれたかもと夢想するが、それほど彼の音楽も趣味の域を越えて賢治らしくまた素晴らしいものだ。
 
 まさに宮沢賢治とは全人的天才芸術家であった。しかも素晴らしくスゴイことは、彼自身は自らの本意をそこには置かなかったことだ。賢治にはまず法華経の信仰と東北の農民救済という目的があって、その延長線上に彼の芸術があったのである。
 
 ※賢治に関してもう一回だけ書きます。

豊田勇造ライブ@かけこみ亭10/23のお知らせ2015年10月20日 22時27分31秒

★喫緊ですが、お近くの方はぜひ勇造さんのライブへ マスダも参加予定です。

 以下、共演の館野公一さんからのメールを勝手に転載します。↓

★10月23日(金)豊田勇造ライブ@谷保かけこみ亭

おなじみ勇造さんのライブです。館野はO.A.とマンドリンの乱入。
激しさと優しさの勇造ワールド、ぜひおいでください。
7:00pm(6:00pm open)予約2800円/当日3300円(1dr.付)
予約はかけこみ亭に電話、
南武線谷保駅北口徒歩3分 TEL.042-574-3602

http://www.asahi-net.or.jp/~yi7k-ttn/kakekomi/

近況とこれからブログのことなど2015年10月22日 09時17分47秒

★終わりと破滅への道を押し止めていくためにも      アクセスランキング: 174位

 10月も終わりに近づき、穏やかな秋晴れの朝だ。今、窓辺で東からのあさの陽射しを受けてパソコンに向かっている。明窓浄机という言葉があるが、机の上はともかくも気持ちだけはそう、すっきり気持ち良くありたいと願う。
 が、これは書くべきか迷ったが、実のところ今週はなぜか体調が悪く、おまけに家人もケガや不調が続きますます気持ちは萎えるばかりであった。そんなでブログもゆっくり心静かに書けないでいる。

 ずっとこのところ収まっていた持病のメマイが、月曜の朝、目覚めたときからまた起きだした。それは旋回的な、船酔い的ひどさはないのだが、立ちくらみ程度のものでもやはり辛い。ふらふらは気持ち悪い。
 そこに続いていた咳もぶり返して、食事時などふとしたきっかけで停まらない「発作」が起きてしまいそうなるともう何もできず、薬飲んで早く眠るしかない。
 しかし、早く寝ると、薬の効果で明け方まで長く眠れる時もあるが、たいがいは、2時3時頃に目覚めてしまい、それで起きだして深夜に何か作業始めると結局翌日は体調崩れてヘンな時間に昼寝したりとめちゃくちゃになってしまう。懲りたので仕方なく無理してひたすら布団の中で悶々と再び眠気が来るまで、あるいは夜が明けるまで待つ。幸いたいがいはまた睡魔は訪れ気がつくと逆に寝坊気味に起きる。そんなときはあんなに眠れなかったのにまだまだ眠っていたいのが不思議だ。

 いずれにせよそんなで体調は倦怠感に苛まれ気持ちは鬱病ではないと思うが、鬱屈、屈託を深めている。やるべきことはなかなか進められず、時間だけが過ぎていく。
 新聞やニュースを見るたび良い心の晴れるニュースは皆無でさらにうんざり絶望するばかりとなる。相次ぐ原発再稼働に、TPP大筋合意、国家権力が国民一人一人を管理監視するマイナンバー制の施行。そして安倍政権支持率アップetc.

 おまけに先週末、母がウチのバカ犬に引っ張られて庭で転び、左の肋骨付近を打ったと言う。当初は大したことないと言っていたのに今頃になって腫れているとか痛みが続くと騒ぎ出し、昨日は仕方なく立川の総合病院外科外来に午後から連れて行った。レントゲン撮ったらば大したことはないようで薬も出されず帰されたが、戻ったらもう夕方である。本の発送だけ慌てて済ませたが一日潰れてしまった。
 父は父で、毎度のこと朝は便が出ないと騒いでいたかと思うと、我が戻ったら今度は腹を下したとかで下着を汚して、呆れも驚きもしないがともかく老いた親は手がかかるとただ嘆息する。
 昨晩は父は微熱もあり、明日、毎週木曜のデイサービスは休む、行けないと騒いでいたが、今朝になったら熱もなく良く寝たせいか機嫌も良く夫婦二人してげんきんにも迎えのバスに乗って行ってしまった。昨日の騒動は何なのか。

 人類の歴史、人間の社会は進歩的に必ず発展していく。一時的には後退して歴史は繰り返してもいるかのように表面的には見えたとしても確実にらせん状に進歩し発展している。
 そのようなことを、昔通った社会科学の教室で学んだし、今もその信念は変わりはしない。が、現実的な話、今現在の目先のことだけを言えば、我も含めた世界は、この社会は終わりへと破滅へと向かっている。その流れは加速度つけて進んでいる。
 ただ、それをどう食い止めるか、そのスピードを緩めるかまだ手は残されている。まずは来年の参議院選挙であるし、多くの人たちが志を曲げずに日常的に声を上げ続け、「彼ら」を許さない、認めない、受け入れないことだ。

 そして我がことにおいては、まず自らに誠実に向き合い、何事もきちんとさせていく。と同時に、こんな人間と少しでも関わってくれた方々一人ひとりに対しても同様に誠実であらねばならない。

 このブログ、我は見栄っ張りでもあったから、できるだけ内容のある、一回一回が読んで面白くためにもなるエンタテイメントなものでありたいと心がけて来た。書くからには常にきちんとしたものを書き記したい。しかし、そうなるとそれなりに時間もとられるし、諸事情で書けずに後できちんと書きなおそうと非公開で、保存してもまた常に新たに忙しい状況に飲み込まれて一向に書きなおすことも書き足すこともできない。
 ならば、ともかく日々必ず、思ったこと、起きたこと、世に知らしたいことなど、凝らずにランダムに書き記していこうではないか。ブログとは本来そうしたもので良いのではないか。

 自分はまだ生きていく。これからも人生は続いていく。その日々、一日いちにちを日記的に記していこう。むろん書けないときもある。が、そのときでも書けないということをここで記そうと思う。

 毎朝、あたらしい朝を迎えて、朝が来たことが辛くうんざりしたものでないよう、ともかくまた一日を迎えられたことが有難く嬉しいことでありたいと思う。
 晴れの日もあれば曇りや雨の日があるように、人生もまたそのときときどきあれこれあって気分も日々変わる。しかし、破滅に、終わりに向かっていくからこそ絶望するのではなく、その中で良いことや良い兆し、希望をみつけて育てていかねばならない。

 絶望からは何も生まれない。人生をネグレクトしてはならない。賢治が説いたように、一時の感情に囚われて一喜一憂することなく、楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんでいこうと思う。
 たぶんこのブログ、もうあまり長いきちんとしたものは書けない。ただとりとめのないことを正直に、ありのままに書いてくことになろう。それでももしよろしければお付き合いください。

豊田勇造@かけこみ亭2015年10月23日 17時29分50秒

★というわけで谷保のかけこみ亭へ             アクセスランキング: 179位

 世の中には、会ったり声を聴くだけでも人を元気づける人がいる。むろん人の価値は、そうした利点のみで計るべきものではないが、誰だってそういう人と関わりたいと願う。
 ただ、元気はいいけれど逆に圧倒されてしまい、疲れてしまったり我が身を顧みて卑下したり気持ちが内向する結果となる人もいる。

 我が主に関わるのは、ミュージシャン、音楽家の人たちが多いわけだが、そのステージも含めて全人格的に付き合ったりすると、そのライブとはうたや演奏の出来だけでは語れない。
 すごい良いステージはいつも披露してくれても人間的に狷介で、直接話したりすると常に疲れを覚えてしまう人もいれば、人柄は良いのにそのステージはおざなりであったり物足りなさを感ずる人もいる。また、あまりにライブがスゴイので、普段知っている人格との解離に戸惑い、その後の付き合いに困る人さえもいる。

 そうした中で、豊田勇造だけは、常にいつでも変わらず安心してこちらは全て委ねて観に逢いに行ける人だ。東京谷保のかけこみ亭で、毎年秋に一度だけ必ず定期的なライブがある。年に一度のその「里帰り」ライブに通い始めて何年になるのだろうか。そして毎度のことだが今年も素晴らしいコンサートで、行って良かったし無事彼に会えて本当に良かった。※勇造氏は昔国立に住んでいたことがある。

 歌い手としてもう半世紀にもなるキャリアがある大ベテランであり、そのファン層の数と広さではおそらくこの音楽ジャンルではトップレベルの人気者だと誰もが認める人なのに、とても腰がひくく誰にでも真摯に丁寧に応対し決して驕り高ぶることはない。人をそらさずどんな人とでも丁寧に相対してくれる。かなり変人、偏屈な人も多いミュージシャンの中ではいちばんの常識人でありフツー人で奇矯なところがまるでない。会うといつもほっとするものを与えてくれる。
 だが、そうした良い、包容力のある人は世の中には他にもたくさんいよう。豊田勇造がシンガー勇造であるということは、何よりもそのステージのレベルの高さ、うたの巧さ、ギター使いの巧みさ、そして心地良い緊張感と、観客を励まし鼓舞する「うた」がそこにあるからだ。

映画「ザ・思いやり予算」と小林節の講演会2015年10月24日 23時03分49秒

★無知は罪だと思い至った日       アクセスランキング: 184位

 その勇造のライブ、終わった後も直で彼とあれこれ音楽の話や亡きひがしのひとしさんのことなど話したりして、夜も更けて何とか立川発五日市線最終電車で帰れた。
 が、コーフン冷めやらず寝床の中でクロマチックハーモニカ吹き鳴らしたりしてすぐには眠れず、朝も7時には起きてかなり疲労感が残っていた。
 今日は我住む町の市主催の文化祭の中での「平和展」で、『戦争しないで70年 戦争と憲法について考える』と題して、午前に話題の映画、厚木在住の米国人監督の撮った『ザ・思いやり』のビデオ上映会があり、午後は、話題の憲法学者で、慶応大名誉教授の小林節氏による「憲法と安全保障のゆくえ」と題して講演があった。

 我はそのどちらにも行ったので、さすがにバテバテとなった。が、映画はとても面白くわかりやすく、我々の税金が戦争国家アメリカを支えるために1日あたり24億円も使われているという現実を鋭く描き新たに知るところ大であった。また、米軍海兵隊のグァム移転は、現地の人たちを沖縄と同じ目に遭わすだけのことでしかなく、本質的には何の解決策にもならないことを痛感させられた。
 そして、小林教授の講演も実にわかりやすく、安倍政権に政治を委ねることはいかに危険か狂気の沙汰か舌鋒鋭く糾弾し質問返答も含めて会場は笑に包まれながらも2時間以上にも及んだ。終わったのはもう夕方近くであった。

 今日新たに知り考えさせられたこと、我としても学びさらに他者に伝えたいことなどたくさんあるが、座ってばかりいたのに、何故か足腰がだるく痛く目もかすみまた頭痛もしてきているので、とりあえず今日はそうした日だったという「報告」のみで寝ることにしたい。

木枯らし1号と庭の公孫樹の木2015年10月25日 23時41分44秒

★欲しい方にウチの銀杏お分けします。            アクセスランキング: 180位    

 今日も晴れたが北風がやたら強く音を立てて吹き荒れた。夜のテレビ天気予報では、この冬初めての「木枯らし1号」とのこと。いよいよ本格的な冬の訪れである。今年は冬は早い気がしている。
 
 拙宅に来られた方はご存知だと思うが、狭い庭なのに住宅地にあるまじきケヤキや公孫樹など、いわゆる街路樹が密集して生い茂っている。
 夏などはその枝葉が庭を覆い尽くし木陰ができるので、他の人家よりはいくぶん涼しい。が、問題は秋の落ち葉で、ご近所の皆さんの顰蹙の的となってその始末に苦悶している。
 そもそもウチがこの地に越して来たときは、辺りはまだ民家も少なく親たちが防風林的に植えたらしい。それから約半世紀が過ぎ、その木々は巨大に育ち、その間に間引いて切った木もあったが、今もケヤキが東側に3本、南に向かって1本、その間に一本のイチョウが大木化して大空高く聳え立っている。

 ウチのその木々の落ち葉が隣近所の家々前の道路や庭先に風に吹かれて舞い散るので、これからの季節はその落ち葉掃きに追われる。そんなで皆早朝から各自の家の前の道を箒でイチョウやケヤキの落葉を掃き集めながら我家の悪口大会となる。

 ご近所との軋轢を生むそんな頭の痛い季節がまた来るわけだが、いつの頃からかウチのイチョウは銀杏が実るようになってきた。むろん春先に枝を切り詰めたりした年はほとんどならないし、当たり年と不作の年もあるけれど、毎年多寡の違いはあれど銀杏がとれる。
 その実、といっても「種」のことだが、ウチのはかなり大きい。たぶん町で市販されているのより上質だと思える。あんなに綺麗に表面は洗われてはいないがご容赦頂ければ。それが今年はどうやら豊作だと今日、木枯らしが吹き荒れて気がついた。

 庭にそうした大木が何本もあると、落ち葉問題はさておき、風が吹くと枝葉が風でざわざわと音を立てる。それが強い風の時などは波の音のようにも聞こえ、まるで海辺に来ているような、あるいは深い海の底にいるような不思議な気分にさせられる。
 そうした音を煩いと思う人もいるかもしれないが、個人的にはとても好きな音で、その音に耳を傾けるととても落ち着く。今日などふと宮沢賢治の『風の又三郎』を思い出した。
 ただ、もはやこの落葉問題はご近所の方々はキレる寸前なので、やがては近所の総意で勝手に伐採、倒木されてしまうかと思う。もっと丈を切り詰めたとしても葉は毎年生い茂り枝は伸びる。それが自然というもので生命なのだから致し方ないと思うけれど、そんな言い草は多大な近所迷惑の前に世間では非常識だと通じやしない。世知辛いと思うがそれが渡る世間なのである。

 さておき、その銀杏は豊作の年は、ウチに来られた方や、友人知人方にいつも差し上げている。今日など、北風一号の強い風に吹かれて、ぼたぼたぼたぼたと、音立てて地面が黄色い果実で埋まるほど落ちて来た。まだ剥いて洗い出してはいないので総量はわからないが、落葉を前にして未だ木に残っている分も含めてかなり採れるかと思えてきた。
 既に先日、ウチに来られた音楽仲間の女性には早速一袋差し上げたが、おそらく何キロかは間違いなく採れるはずだ。順次友人知人へは配っていく予定でいる。それでも今年は配り切れないかもしれないと思える。

 そこで考えた。もし拙ブログの読者の方で、銀杏が好物で、毎年購入されてもいる方がいるならば、お申し出頂ければお分けできるかと思う。基本タダで差し上げるつもりでいるが、もし郵送となる場合は、できれば、送料分程度のカンパか代替の食品などで交換はどうだろうか。一袋あたり何百グラムづつお分けできるかと思っている。

 じっさいのところ、剥くのはともかく、綺麗に洗って干すのは一苦労なのである。臭いも閉口、いや閉鼻する。そしてウチでは何故か銀杏はほとんど食べない。たくさん採れうんざりしているからか、そうして洗って干して網に入れておいても毎年新たな春が来て結局捨ててしまう。考えてみると実にもったいない話だ。ならばご希望の方がいるとしたらその人にお分けすれば喜ばれるのではないか。
 知り合いの店、西荻のみ亭、谷保かけこみ亭などには、毎年差し上げている。そこのメニューに載っている銀杏はたぶんウチのだと思ってかまわないかと思う。

 ★銀杏ご希望の方は、我マス坊に直接お申し付け下さるか、このブログのコメント欄に、連絡先など書き込んでください。1~2週間程度で遠路ならば郵便で発送します。会うことが可能であれば手渡しも。
 見知らぬ方でも遠慮せずにどうぞお気軽に。

第二回「反戦歌コンサート」は12月5日(土)に決定2015年10月26日 22時16分05秒

7/27日第一回目の反戦歌コンサートフィナーレ光景
★ぜひ一人でも多くのご参加をお願いします!     アクセスランキング: 149位

 あまり間がないお知らせで申し訳ありませんが、谷保かけこみ亭での連続ライブ企画『みんなで反戦歌、労働歌、そして生活のうたをうたおう』コンサートの第二回目の開催が決まりました。12月5日の土曜日、午後6時スタートです。※略して『反戦歌コンサート』

 今夏第一回目の7月25日のときは、おかげさまで大盛況となり企画した当事者自身も満足のいく良いイベントとなりました。次回の開催について問い合わせも多々あったのですが、直後からの緊迫する安保法制=戦争法案をめぐる国会の動きに目が離せず、落ち着いて先の予定を立てられませんでした。
 そして今、その問題多々ある戦争法案が、「戦争法」として成立してしまった現在こそ、うたの力を信じて、音楽を通してライブの場で、その戦争法に異議をとなえ「うた」を通して廃案を訴えたいと強く思います。

 同様の思いを抱く方、安倍政権の憲法を無視した強権政治に怒りと不安を覚える方はお気軽に思想信条の違いを乗り越えてぜひお集まりください。

 一人一人は無力かつ非力ですが、集まり皆で声を合わせればその声は大きくなり権力者に届くはずです。それでも耳を貸さない、数の力に驕る者たちは来年夏の参院選で国民は審判を下すことができます。
 その日のためにもこの「反戦歌コンサート」は定期的に数を重ねていきたいと考えます。ぜひぜひどなたでも、うたに限らず、その思いを声に行動にして示していきましょう。皆で声を上げていきましょう!

 遅すぎることはないし、怖れることはありません。こんな時代となった今だからこそ、うたの力を信じて皆で、反戦歌、労働歌、そして生活のうたをうたっていきましょう。

 ★出演者など詳細はまた近く発表しますが、前回は出演される方がいっぱいで、タイムテーブルをこなすことだけで精一杯でしたので、今回は逆に、余裕をもって飛び入りにも対応できるように「オープンマイク」の時間帯も用意して臨みたいと思います。

 プロアマ問わず、このコンサートは、どなたでも出たい人、唄いたい方は、マスダもしくはかけこみ亭までお問い合わせをかねて申し込みください。楽器は出来ないけれど、唄いたいうたがあるという方も歓迎いたします。事前に曲目をお知らせくだされば伴奏などはこちらでいたしますので。
 問:マスダ 090-8175-8479 かけこみ亭:TEL.042-574-3602

フォークロアセンターでの田中研二2015年10月27日 15時50分34秒

★戻ったら書き足します。