地獄はそこかしこに、ならば極楽もまた。2016年07月04日 23時39分25秒

★2016年、今年の夏は生涯忘れないだろう。

 暑い日が続く。もう今は7月、真夏なのだから当たり前なのだが、気がついたらいつの間にか7月、季節は夏になっていたという感じで、まったく夏の支度もしていなくこの暑さに参っている。もう梅雨明けしたのだろうか。扇風機はどこにしまった?
 それだけ春からずっと息つく暇なく慌ただしく共に入院してしまった老親二人の介助、世話に追われていたわけで、季節を感じる余裕などまったくなかったのも仕方ない。そしてその忙しさは今も続いている。

 先に、親たちも家に戻るので、今月からは拙ブログも空けずに日々書けるはずだと書いた。が、早くも今日は週明け4日、なのに毎日出かけたり慌ただしくてゆっくりパソコンに向き合う時間がない。
 今は、4日月曜の夜の11時過ぎ、間もなく日付も変わる。まず簡単に今月に入ってからのことだけ記す。
 
 1日は、母と二人で午前から立川の母のかかりつけ病院で担当医と会って今後のことを告知された。
 2日は、父の退院、母は迎えに行く体力がないので、我一人で朝から車で出向き、レンタルの車椅子と入院中のもの一切合切、入院費を支払ってから父をその車椅子に乗せて車まで運び、昼前には我が家に帰って来た。その晩は家族三人でささやかな退院祝いのパーティ。
 3日は、親たちのこともあって参加は諦めていた今年の隅田川フォークフェスへ、昼前から家を出て、また久々に電車に乗ってはるか両国まで行ってきた。むろん終わったら懇親会など出ずに直帰した。が、それでもウチに着いたのは夜の8時近くで、それから甥っ子(母にとって孫)が、父の退院祝いに来たのでその応対に追われた。※彼はアニメ業界の人間で、この夏公開の新作アニメ映画で超多忙の合間ぬってやってきたのだ。
 今日4日は、また午前の予約で立川のかかりつけ病院に、いつもの担当医の産婦人科でなく、科の違う内科に受診に。今後の治療計画というわけではないが、今後のことを相談してきた。

 これで、現時点でいったんこの立川の相互病院とは縁が切れた。むろんまた父も母も体調崩して、急患扱いで入院設備のある病院に行かねばならないときは、老親二人ともずっと長くさまざまな病気やケガのつど通ってさまざまなカルテの残っているそこに行くことになるが、定期検診的に予約して通う約束はなくなった。願わくばその「行かないですむ」期間をできるだけ長くしたいと望む。

 約三か月、いやそれ以上の期間、その病院にほぼ日参して、ずいぶんお世話になったし、嫌な思いや不愉快なことはなかったけれどもやはり病院という場所はできるだけ行きたくない。どんなに通ってもなれはしないし落ち着けない。そして我も含めて人の末路はそこで終わらせたくない。何故ならばそこは非日常であって、非日常の場所で死にたくないと強く願うからだ。

 この四日間、実にいろんなことがあった。そしていろんなことを考えさせられた。認知症と誤嚥性肺炎の危険を抱え骨折後のまだ世話がやける父が帰って来て、癌に病み弱って来た母と三人での生活がはじまった。
 また再び親子そろって家族三人の生活がはじまって嬉しくないわけはない。が、早くもうんざりもし、キレかかりもし、泣きたい気持ちに何度もなったり、介護疲れ殺人の気持ちとはこんなものかとつくづく思ったりもした。疲れと怒りが絶望に変わり、彼らを殺し自分も自殺して家に火をつけ全てを終わらせようと考えてももおかしくない。覚悟はしていたが、まさにある意味、地獄である。そこかしこ日々地獄だ。
 しかし、同時にそんなに地獄が日常にあるならば、極楽もまたそこかしこにある。出した料理が珍しく母の食欲をそそり常よりは多く食べてくれたときは非常に嬉しいし、夫婦二人でまともな会話ができ話が弾んで父も「正気」のときは心から安堵する。
 地獄も極楽も我が内にあり。
 
 あと何ヵ月、あと何日、こうして親子三人で共に暮らせるのか。母との残された日々はどのぐらいあるのか、考えると夜も眠れなくなる。情けない告白するとまた酒の量が増えた。ひと頃はもう一切アルコールは飲めなくなっていたのに。といっても家でべろべろに酔っぱらうなんてできやしない。心おきなくとことん酔っぱらえたらどんなに素晴らしいだろう。
 どうしても眠れない夜は、まず聖書を読み進み、それから何口かアルコールを流しこみ気分をリラックスさせてやっと眠りにつく。

 今月に入ってからことは、ブログ中途まで書いているし、このブログのシステムも理解したので、後からでもさかのぼって過去の日付でも書き足せるから明日から1日のぶんから書き足していく。

 人は人から生まれ、誰にでも親がいる。そしてその親は当然のこと子より先に老い先に死んでいく。動物はともかく人は、その死を看取る。それは当たり前のことであり、ごくごく自然な営みだろう。ならばちっとも哀しくも辛くもないはずだ。
 が、今はまだ事態がとことん受け入れられない。愛する家族を失う辛さからか。我に妻も子もいないから辛いのか。
 なぜ、親の死という当たり前のことを当たり前に受け入れられないのだろう。

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