ものすごく大変、だが、ものすごく面白い。2016年07月27日 05時49分44秒

★人生は常に新たな段階に入っていく。

 母が帰って来て、また再び我家で老親二人と初老の息子の三人での生活が始まった。
 が、これはさんざん医者や看護婦、ケアマネ他関わる医療サービス関係者から言われていたが、動けない親たちを家で介護することは考えていたより大変で、正直ブログ書くための時間すら全くなくなってしまった。
 前は、病院の行きかえりなど僅かでも一人になれる空き時間が持てたし、母が入院していれば、父を寝かしつければ自分の時間もつくれた。
 が、今は、ほぼ24時間看護の母と認知症かつ歩行困難、かつ食事時の誤嚥性肺炎の怖れがある父を我一人で抱えてしまえば、まった個人的時間は無くなった。
 せいぜい犬たちの散歩のときと、近所への買い物だけが一人になれる時間で、今は寝られる時間があれば1分でも長く連続して眠りたい。
 母の退院が決まってから、連続して4時間以上長く眠れたことはない。寝ていても常に、下の階の親たちの様子を伺い、呼び出しチャイムが鳴るか気になりつつ浅い眠りを貪っている。

 まあ、これから訪問診療の医師も月に二回、訪問看護も週に数回、さらに看護ヘルパーもほぼ毎日やっててくれるので、多少の世話はお願いできるし、観察もしてくれるので安心だが、そのどれも時間にして30分なので、彼らにお任せして我がのんびり休めるわけではない。
 いろんな人が始終家に来て出入りあると、それはそれで気疲れもするし、常にある程度家の中をきちんと片付けていないとならないわけで、私的にはちっとも楽になるわけではない。
 ただ、深夜帯を除き、ある程度親たちのことは彼らに任せることもできるようになったのは気持ちとしては大きい。体調の変化などあれば、それなりに皆が専門職だから、我一人で判断するより適切な手を打ってくれると信ずる。
 後はこうした新たな生活スタイルに慣れて、その中で少しでも良い進展があるよう願いやっていくだけだ。

 母が帰って来てからのこと、詳しく書き記しておきたいのだが、そんなわけでともかく慌ただしく一人パソコンに落ち着いて迎える時間がとれない。
 いろいろ友人知人、そして読み手の方々にはご心配もおかけしていると気になってならない。しかし、我はまだ大丈夫なわけで、ご心配有難いが、大丈夫だとまずお知らせしたい。
 親たちも看護師たちケアマネも関わる者皆が、無理しないでと我に言う。が、そう言う人全員があれこれ我に無理を強いてくるのである。やれ、振込用紙書いて出してと頼んだはずなのに、書いていない、もう間に合わないから病院に持って来いと昨日はウチに来た元婦長さんに叱られてしまった。そう、どんなサービスを受けるにも手続きと書類作成でともかく面倒でならない。
 しかしそうしたことは我にとって全く初めての経験であり、ちっとも楽しくはないが、未経験のことを知ること自体は人生の深淵にふれることなことだからちっとも悪いことではない。

 今こうして親たちを介護してみて、つくづく思う。ああ、これを知るため、やるために、我は今生かされているのだと。
 何度も書いたが、我はバカの極まりだから、これまで何度も死ぬ目にあってきた。ごく最近では、去年の7月、両国の神社でのイベント、隅田川フォークフェスで、2mの高所から頭から落ちて意識不明、一時的記憶喪失となってしばらく病院通いが続いた。
 そのとき死んでいても、あるいは半身不随の障碍者になっても仕方ないようなことをしてきても何故か幸い今も生きている。自分でも不思議に思い、まさに神のご加護があったと思うし今もそう考えるが、それだけではなかった。
 こうして老いて病む死に向かいゆく親たちを介護するようになってその大変さをつくづく噛みしめて、ああ、このことを我が知り、経験するために生かされていたのだと今日はっきりとわかった。

 使徒パウロは、旧名サウロ時代、キリスト教徒を迫害するためダマスコに向かう途中、キリストの召命に会いまさに劇的な回心をする。そのとき、神は彼に、(神自身が)彼を選び用いこれから苦難に遭わすと伝えた。しかし、それはキリスト教徒を迫害した故の復讐ではない。
 パウロも自ら手紙の中で記しているが、神の大いなる愛、救いであった。喜び以外の何物でもなかった。

 今、我もつくづく思う。非道かつ身勝手に生きて親にさんざん心配かけて来た我にとってこの経験は、大いなる救いなのだと。この経験を知るために今まで生きて来たのだと。罰ではない。親たちを介護できるのは有難いことなのだ。
 世の中には、親孝行したい時に、親は無し、という不幸な人たちがたくさんいる。何が親孝行かはともかくも、今はまだ親たちのために子としてできること、やれることがあるのは大いなる喜びだ。

 どんなことにも終わりがある。しかし、その日までできることとすべきことがあるのは有難い。まさに神が選び神が用いる。それこさが神の愛。ならばそれに感謝して従うだけだ

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