苦難のときにヨブを想う2016年08月12日 22時11分05秒

★夕方に見た夢に救われた。

 聖書の旧約の中に、ヨブ記という一つの物語がある。信仰厚い義人ヨブという人物が神に試され苦難に遭うという物語だ。
 我もまた今、ヨブに比べれば卑小なほどの苦難のときに今あって、その人のことがふいに頭によぎる。それがあるからか、今日の夕方、ごく短い仮眠の時に、ヨブと同じく、我の親しい友人たち三人か四人が出て来て、我はその苦難を彼らに話して、つい夢の中でも泣いてしまった。

 ヨブ記では、あろうことかその友たちは、ヨブを慰め助けるのではなく、そんな苦難、苦境にあるのは、きっとお前の行いが悪い、神を怒らせるような悪事をしたからに違いないと彼を助けるどころか逆に非難するのである。それは糾弾といって良いほど激しいものだ。
 が、ヨブは、それにもめげず屈せず、自らの非は何も認めず、議論は平行線となる。物語は最後に神自らが出て来て、全能の者であることを誇り、ヨブはただひれ伏し詫びて、結果として彼は救われるというストーリーだ。
 なかなか不可解かつ深い話で、神はヨブを非難した友人たちに味方せず、逆に彼らすら裁断しようとする。その物語から何を学ぶかは、神学的にも西欧の常識的にも難しいかと思う。ただ、どんな人、信仰厚く一切の不義はしない者にも耐えがたく、神をも呪いたくなるような苦難苦境の時は訪れるのである。

 恥ずかしい話を記す。昨晩はほとんど眠れなかった。深夜に母のもらす軟便の紙パンツを取り換えるためブログなど書きながら起きていた。
 母からのチャイムで、下におり、その下の世話を終えて、これから寝ようと思い一休みしていたら父が起きて来て、「眠れない! 睡眠薬はどこだ」と騒ぎ出した。時刻は午前一時近くであったか。
 父は、その睡眠導入剤飲むと、翌日は一日ぼーとして、意識朦朧となってしまい、その晩もまた眠れなくなる。しかも一時期は、その薬を酒と一緒に飲んでいたのである。だから禁止されていた。
 で、このところワシはずっと眠れない。明日のデイケアは休むと言い出し、自ら電話すると言う。※いつも夜間はしっかり眠っていて眠れないのはその晩だけの話なのにだ。
 だから明日、体温測ってみて熱あるようなら休むと伝えると言っても当人はコーフンして納得しない。

 うるさいし母も息子も眠れないと大変だから、眠れなくとも騒がず静かにベッドにいろ、とベッドのある部屋に閉じ込めても、大声で、鍵かけたらワシは窓から出る!と怒り出す。じっさいそうしかねない男なので、また骨折するのは間違いない。
 午前3時ごろまで、ほぼ取っ組み合いのケンカ状態となり、殴ったりなだめたりして玄関やあちこちに父が出てこないよう鍵かけて、それから寝直した。母もむろんのことそんな騒動で眠れやしない。

 今朝になって、起きたらば、父は自ら起きて、汗をだらだらかきながら、電話機を前にして既に起きていた。デイケアに電話しようとしたが繋がらないとコーフンしている。そんなことをするだろうと思い、我は昨晩電話の回線を抜いておいたのだ。利用者当人が電話して来て休むと伝えて向うとしては応対に困るはずだしもまた確認のために面倒な事態となる。父は以前にも失くしたと思い込んだ銀行通帳の件で、勝手に銀行に電話してしまい、再発行にものすごく大変な手間かけたという前科もあるのである。

 行くか行かないかは、ともかく体温測ってみて、37度以上あれば、休んでいいからと諭し、熱測ったらば平熱である。そしたら彼も正気になってきたのか、行く気になってきて、結局、迎えに来たデイケアの車に乗せられて行った。やれやれである。
 母と、やはりこんなに認知症が進んでしまえば、やはり特養に入れるしかないかと相談した。そして夕方早く戻って来て訊いたらば、昨晩のことは全然覚えていないと父は言う。なにかあったのか?と。今日はみょうにフラフラして眠かったと述懐していた。

 このところ母が帰って来てから、さらに睡眠時間はなくなって、3時間以上続けて眠ったためしはないと書いた。ただでさえ寝ていないのに、父の認知症的発狂のおかげで、こんなことが続けば我も母も睡眠不足と疲労で父に殺されてしまう。

 父のせいで心配と心労から体調悪くなったのか、母は朝食はほとんど食べず、昼もそこそこにしか食べられず、あきらかに顔色悪い。我も無理にでも食べさそうと叱り、苛立ち、母との関係まで悪くなった。
 下痢のオムツを交換するため、昼夜を問わず起こされ呼ばれることはちっとも辛くはない。辛く苦しいのは、少しでも食べてもらおうと、苦労工夫してつくった食事がほとんど口もつけてもらえず、食べたくない、食べられないと拒絶させられることだ。
 そして下痢は回数は減ってはきたが続いたままで、栄養失調から足だけでなく腹や腰までむくみ、浮腫が出てきている。そのため寝たきり状態が進み、ベッドから起きることもできやしない。ゆうにますます体力は落ちていく。
 そうした悪循環から抜け出すためにも口から少しでも食べてほしいと息子は願うのに、母は応じてくれない。少し食べると、もうたくさん、またお腹が痛くなってきた。ウンチが出そうと、しかめっつらで唸っている。
 これは地獄である。このままさらに痩せ衰えて、ただ死に向かうしかないのか。息子として何もできないのか。父は父で、深夜に徘徊し大騒動。犬猫たちは、餌と散歩を求めて深夜でもこちらが起きる都度吠え騒いでいる。誰もが我に求め、身勝手な要求をぶつけてくる。
 これは苦難であろう。旧約聖書の、ヨブに起きたことに比べれば些細な出来事だが、思わず彼のことを思った。

 幸い午後の紙パンツ交換のときは、ちょうどベテランの訪看が来てくれて、今日三回目の母の排便のオムツ交換と陰洗は任せてお願いした。そしてケアマネシャーも来てくれたので、父の事を話して相談して、我の苦難をついこぼしてしまった。

 母もいったん落ち着いて、昨晩から睡眠不足であったので、寝たのを確認して我も本の発送を二冊だけ終えてから、一時間だけ目覚まし時計をセットして横になった。
 そしたら短時間でも夢を見た。ヨブと同じく友人たちが出て来て、我はこの困窮を彼らに話していたら夢の中でも泣いていた。が、ヨブ記と違うのは、そんなわけでもう一切何もできなくなってすまないと泣きながら詫びる我に、彼らは、批判することなく、そんなことはわかっている、心配するな、と肩を叩き笑顔で理解を示してくれ励ましてくれた。

 短い夢から目覚めて、ほっとした。我の願望が描いた都合の良い夢だと知りながらも、心が軽くなったような、救われた気がした。勝手な言い草だろうが、おそらく我が友たちは、その夢に出て来た友たちの如く我を案じて、理解を示し赦してくれているのだと思いたい。

 そして母とのことも、一挙一動、食事ごとに一喜一憂するのではなく、たとえ食べてくれなくても、それこそ母の体調で食べられないのだから赦し受け入れていくしかない。そんなことで怒り苛立ち、母を叱り、ぶつけてはならない。父のこともそう、何が起きようと受け入れるしかないではないか。それもまた老いから起きる病なのだから。

 すべて、慌て焦らず諦めずに、苛立つことなくやっていしかない。そうしていこうと突然思い至った。
 どんなことが起きようと、全ては神の愛、神の計らいなのである。ヨブに起きたことも含めて、人はただ従うしかない。

 もう何も怖れないと何度も書いた。が、日に何度も不安は寄せて返す波のように我の心を脅かす。しかしそれもこれもともかく母がまだ生きていて、共に暮らせているのならば、何をそれ以上願い求められようか。

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