母の命日、三回忌を過ぎて思うことなどなど・42018年09月26日 12時26分16秒

★冷たい雨の彼岸明けに

 冬から春へ、春から夏へと、季節の変わり目は雨天が多いものだが、今年の秋口は、異常に雨ばかり続いておまけに今日など寒いほどだ。
 母の死んだ一昨年の秋もやたら台風が来て天気の悪い日が続いた記憶があるが、他の地方は定かではないが、9月の東京地方は、雨が降らない日がないほど連日雨ばかり降り続いている。

 母の死の前後の日々は、二年の歳月が過ぎるとだいぶ細部は色褪せて記憶もあいまいなってきている。が、ときおり生前元気だった母が、我によく語っていたことなどは、今もはっきり母の声そのままで思い出される。
 昨日など小雨の夕方、注文の本を発送に郵便局に行くのに玄関を出たとき、Tシャツ姿だったので、寒気がした。外に出てからしまったと思った。
 母は、そんなとき我に「あんた、そんな恰好だとまた風邪ひくよ、あんたは風邪ひきやすいんだから、何か羽織っていかないと」と、慌てて外出する我に後ろからいつもこんな季節はそう声かけたものだった。
 その頃は、いちいち口やかましいなあ、うるさい、ほっとけ、と思いもし、そう口にもしたが、まさに老婆心ではあるが、我のことをいちいち案じて心配してくれていたんだなあと今はただ有難く思う。その母の言葉を思い出しつつ郵便局へ走った。
 そして案の定そんなで我は鼻風邪ひいて、鼻をぐずらせながらこれを今これ書いている。そう、生きていた頃は口うるさいと思いもし抗いもしてしまったが、母の愛は実に有難いものだったのだ。母だけが我を愛してくれ常に心配してくれていたのだった。おそらく誰の母も子に対する思いは同じではないか。

 その母を癌で喪って二年。情けない話だが、今も我は生活全般、いや精神的にも立ち直れていないことを告白する。ただそれでも老いて手のかかる父を抱えて我は生きていかねばならないわけで、母がいなくなってからネグレクトしてゴミ屋敷と化した家で、今はともかく少しでも「元に戻そう」「人生やり直そう」と、萎える心に鞭打ってほんの少しづつ、一つづつでもと片づけを進めている。遅々として進まずではあるが。
 死んだ人は戻らないのだから、その不在を受け容れて、母無しでも我一人でこの家と生活を維持しなければならないのだ。手のかかる父、とこれまで繰り返し書いたが、今はその父がまだいること、生きていることが有難い。
 もし父もいないならば、この家で一人、ほんとうに生活は破綻して何一つやる気も失せて家に籠り続けてやがては孤独死しているのを死後発見されるだけかと思う。そうした「手のかかる」者たち、犬猫もいることが、何とか最低ラインの生活継続、維持の理由であったのだ。
 我一人ならばきっと今でも何もせず、何もつくらず買い物すら行かずに自堕落に寝てばかりで、ただひたすら無気力鬱々とし挙句さらに破滅へ向かっていただろう。やたら手のかかる、我が世話しなくてはならない者たちがいることが救いなのであった。

 さて、母の命日を前後して、二年が過ぎた今の心境などを何回か書いて来た。
 長くなったが、最後にあと一回、母の癌発症から癌に命を奪われるまで、流れを追って書き記しておきたい。どの時点で「手遅れ」となったかも考察するためにも。

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