母が死んで三年。ようやく長い夢から覚めた。2019年09月07日 18時30分35秒

★生涯最大の「危機」をよく無事に乗り切ったと思う

 私事だが、明日8日で、我が母が死んでからちょうど3年となる。三回忌は、去年、2年目のことだったが、後からお墓参りには父連れて行ったものの法事的なことは何もしなかった。

 今、その9月8日を前に、今さらながらやっと、長い夢から目が覚めた気がしている。
 それは単に「悪夢」だとは言えまい。ともかく夢の中にいるような、地に足がつかない「現実感」のないまま、三年の月日が流れたという感じだ。
 そしてつくづくよくまあ無事で、父もだが、この我が1人で生きてやってこれたという感慨がわく。下手すれば、我の人生も、つまり命も失われていたかもしれないほどメチャクチャ、混乱混沌の3年間であった。
 今でも、人生再建が成っていないし、母が生きていた頃の状態に我家は戻っていない。家はゴミ屋敷のまま内も外も荒れ果てているが、今ようやくもう最悪の「危機」からは抜け出したと、その実感がある。
 喩えれば、誤って船から落ちた船員が、一時は溺れて死を覚悟したが、やっと体勢を立て直して泳ぎだし、近くに陸地を見出しそこに向かって泳いでいく。まだ海の中だが、向かうべく先は見えている。そんな感じだろうか。

 これまでも何度も書いたが、母が死んで半年間は、死後の様々な事務的手続きに追われて、哀しみも何もゆっくり味わう余裕なかった。
 その後、何もかも終わったら、その不在、喪失感がじわじわ湧いてきて、我はこころを病んでしまった。母の夢を見ては泣きながら起きたり、不眠に苦しんだり医者にはかからなかったが、間違いなくPTSDだったのだと思う。
 そして一年が過ぎ、母と共に長く生きた老犬も逝き、父と二人だけの生活にも慣れて来て、ともかく闘病中から溜まった我家の一切の「書類」を整理しはじめた。
 が、母の遺したメモや日記類のようなものを手にするたび、また哀しみと悔いが起こり、気持ちは再び鬱に戻され、苦しくてなかなかその作業はちっとも進まなかった。
 そうこうしているうちに、父の老化と衰弱、呆けはさらに進み、我もときにキレて諸機関に暴力事件と目され、要観察対象となったりもした。

 一方、心の空白感を埋めるべく、辛い現実から逃げるようにヤフオクに囚われてしまい、まずは真空管ラヂオ、ハーモニカ各種、さらには中古ギター、そして最後は古いレコード収拾と、次々と対象は移り、結果何十万もそれで散財してしまった。※百万は使っていないと思うが・・・
 そして2019年。元号が変わり、ある意味自分の中でも一つの時代の終わりを感じてこの春から夏を何とか乗り切ったところだ。
 いまようやく何にも囚われ怖れることなく深く落ち着いた気持ちでこれからのことを考えている。そう、ずっと頭がおかしかったのだ。そんな状態なら交通事故や火災も含めて何が起きてもちっともおかしくなかった。

 これまでも当ブログで、何度も「もう大丈夫です」とか「さあ、ここから、これからだ」と記したが、地震の余震、揺れ戻しのように、また何度も鬱的気分が戻って辛くてちっとも何も進まなかった。
 この三年の間に、のみ亭のやっちゃんを筆頭に、大事な人をまた新たに何人も失ってしまった。それが運命だとかその人の人生だったと思うしかないが、自分がまだ生きている、長く生きていくということは、失う、喪っていくことなのだとやっとわかってきた。

 一時期は、生活すべてが面倒に思えて、外のことには、テレビも新聞も本も何もかも関心を失い、何もかもが「どうでもいい」と思えた。
 だが、かけこみ亭の友人たちや、我の大事な音楽仲間たちがいたおかけで、その励ましと「関わり」で何とか自失しないで済んだ。
 我にとって母の存在はそれほどまでに大きかったということだ。

 荒木栄の、我が母こそ太陽、という歌にうたわれるよう、母は病み衰え骨と皮になっても最期の最後まで我、息子のことを思い、遺す者たちのことを誰をも心配していた。まさに愛の人であった。
 今も当時の書類を整理していて、あの頃、母がまだ生きていた頃の日々がありありと思い出すと、深い後悔の念に囚われ気持ちはしんみりとしてしまう。
 あんなにカンタンに死んでしまうならばもっとやさしく思い通りにさせてあげたかったとか、母を死なせたのも全て我の身勝手、エゴから悩ませ苦しませたからだと思いもしたりしている。

 しかし、それも「過ぎたこと」だとやっと思えるようになったし、死んでいった者たちの残した「思い」のためにも生きている者はしっかり生きなくてはならないのだと強く感じている。
 自分だって先のことはわからない。あと10年ぐらいはたぶん無事で生きられるだろうと「予測」はするが、「老後」の計画など何一つ今も考えないし考えられない。何千万あろうと、それで油断や安心するな、宝は倉ではなく天に積めとナザレのイエスが説いたように、老後さらに二千万用意できたとしても明日とつぜん人は死ぬかもしれないのである。

 母が死んだことは今も辛いし深い後悔の念しかないが、母が死んだことで、我はやっと「大人」になれた。母も父も変わらずにまだ生きていたら、我は今も昔のまま、60過ぎてもずっと愚かに何も考えずに遊びほうけていただろう。「人生の荷」、責任放棄して。
 母が生きていたから、生活も家のことも一切全てを母任せにして我は面倒な「現実」から逃げて来た。母が我と共にずっと側にいてくれれば良かったが、当たり前のはなし親は必ず先に死ぬ。

 世の人たちはとっくに早くから結婚したりして独立して、面倒なことでも親任せにはせず自分でやっていたのだった。それが当たり前のこと、自分の人生を生きるということだった。バカの甘ったれはそれに気づかなかった。
 母が死んだことで、呆けた父の世話も家のこと全てが突然我の肩に圧しかかって来た。基本、生活無能者であるこんな我にである。
 が、それでそれを放棄して、何もかもネグレクトしても何一つ解決はしない。さらにすべてが混沌・混乱して家はゴミ屋敷となっていくばかりだ。人間関係も破綻する。庭木は生い茂り、猫たちは勝手に子を産み増えていく。
 何もかもこんな我一人では手に負えないという萎える気持ちにもなるけれど、大変じゃない人生はないし、人生の喜びや楽しみはそうした苦難の中にあると信ずるから、頑張ってやっていくしかない。

 いずれにせよ、もうすぐ終わりは来る。元通りの生活は、そもそも母がいないのだから元に戻せるはずもない。そして父もやがて死ぬ。
 ならばこれからは身の丈に合った、お一人様の人生を、少しでも快適になるよう、自分なりに築いていくしかない。
 今さらながら、自分には音楽と本がある。そしてこのブログの読み手も含めて心優しい「仲間」たちがいる。ならば頑張れるしちっとも大変じゃない。有難いことではないか!!
 これからはこんな我を元気づけてくれたうたや音楽、本についてもっともっと書いていきたいと思っている。
 よろしかったらもう少しお付き合い頂きたい。

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