さあ、もう一度、「親密なる」確かなものを求めて ― 2020年06月08日 13時18分05秒
★人生がまだ続いていくならば
申し訳ない。いろいろあってブログも長い間更新できなかった。どうしてしまったのかとご心配された方がいたとしたらまず心からお詫びしたい。
自分にとって、「危機」、「破滅」というのは常に自らの内にあり自分でもたらすものであったのだが、今回はそれは外から来て、ついにそれに吞み込まれてしまった。長い人生でもこんなことは初めてだ。
言うまでもない「コロナウィルス騒動」である。いや、我に言わせれば「コロナ・ファシズム」というべきか。
長くなるかと思うが経緯を記していく。
先に心霊?的不可解現象に悩まされたと書いた。その主に真夜中に鳴るチャイムの音は終息した。※5月末の土曜日の朝、父が在宅のときに一度鳴って以来鳴らなくなった。と、思ったが、この5日の夕刻にも父がいるときにまたもや鳴ったが、以前のような深夜に何度もということはもうなくなった。
ネットで話題の妖怪アマエビだかアマビエだかよく知らないが、悪疫であろうと悪霊であろうと我は退散は願わずコロナも含め何であれ来るものは拒まず受け容れていくことに決めた。
そう開き直って覚悟決めたらそのチャイム騒動は収まって来た。※しかし不思議なのはもう鳴る機械はすべて取り外したはずなのに、まだどこからか鳴るときは鳴るという「事実」である。しかしもうそのことは何も怖れないし気にしない。
それよりも我を苦しめ不調に至らしめたのは、コロナ禍による「不自由さ」の強制で、繰り返しになるが、もうこの国に自分の居場所はないように感じていた。
コンサートが開催不能となったこともだが、街に出ると様々な「三密」禁止処置に遭遇して息詰まりともかく不快でならなかった。マスク着用していない者は入店を拒むこともだが、どこそこの施設を利用するに際し、間隔とって並ばされ、頭下げて非接触型体温計で体温を測定され入店の可否が決められるなんて絶対に耐えられない。我が人に頭を下げるのはミサのとき、司祭にだけと決めているのでもしそんな「強制」を受けるならばその場を立ち去るしかない。
また何より不可解かつ不愉快なことは、そうした店側の「法則」をスーパーやドラッグストアなどの商業施設ではくどくどと何度でも放送で流して客に強い求めていることで、レジの前でも一人づつ社会的距離を保るようにとか、もしマスク無しで来て咳が出そうなときは口をハンカチなどで押さえるようにしろとかいちいち細かい指示にイライラしてくる。
しかもそうした異常な事態に国民の多くは、誰も異を唱えず大人も子供も与党も野党も唯唯諾諾と従っていることだ。このコロナウイルスより日本中に広がる全体主義は、我にすれば戦時下と同様のファシズムだと感じるが皆それをおかしいと思わずただ言われるままに自粛し「新しい様式」を粛々と受け容れている。
先日も夏日でもマスクをして顔覆って炎天下に走っている人を見たが、熱射病で倒れる危険性よりもコロナ感染阻止・予防の方が彼にとっては重要なのだろうから呆れ果てるしかない。
そもそも国民皆保険とはいえ、医師も病院ベッド数も抗体検査数も医療体制何もかもが他国に比べて脆弱なこの国で、コロナ感染t拡大後、現在のような患者数・死亡者数で推移してきていること自体、まさに暴言大臣・麻生氏の言うように「民度のレベル」の違いだと言うしかない。同感した。ただし我は民度が高いとは思わない。真逆である。
コロナとの闘い、という名目の前に、様々な自由、私権が制限されても当然とされて基本的人権、中でも皮肉なことに「生存権」が損なわれているのではないのか。何より人間としての尊厳が脅かされていると考えるのは我だけなのか。
むろん感染拡大させない、じぶんを守ることが大切な人を守ることに繋がるというリクツには誰も異論も抗いもできやしない。しかしここまで官民挙げて一体となって過敏に過剰に自粛委縮した国民は世界に類がないと思える。
ソーシャルディスタンス、人と人との社会的距離をとれ、とは実に嫌な言葉である。
しかしそれでは客商売は飲食業も映画館、ライブハウスなどの興業施設も経営が成り立たない。非常事態宣言は解除されたわけだが、現実的にいったいどうやって店を維持していけば良いのであろうか。コロナが収束し日常生活が元に戻るまで都や国は店側の赤字保証し支えてくれるわけではないだろう。
我は、今年はこのところ毎月ごと、月末に谷保かけこみ亭で「月刊・共謀」コンサートを企画して、その流れで毎月の日々の流れができていた。
それがこの春先からコロナ流行下、果たして開催できるのか、すべきなのかあれこれ滞るようになってきて、ついに先月5月の回は、店側からも「休業」宣言が出て中止となった。今月もまだ何をどうすべきか皆目予定も立てられずにいる。現実的な話として、これまでのような不特定多数の観客を集めるような形態では開催はできない。かといって「無観客」でネット配信するような形式には今はまだ気持ちが至らないでいる。
コンサートがなくなってしまうと、我には何もすべきことがなくなってしまい、ギターは埃被り我はストレスからついついひたすらアルコールに溺れてとうとう生活も何もかもが崩れてしまった。
今、このコロナ禍、あるいはウイズコロナで、通勤せずにあちこちの会社でも社員は在宅での仕事するあり方が模索されている。が、そもそも我こそはネットで一人で古本商売していたわけで、この20年来会社勤めや通勤は一切せずにひたすら家に籠ってパソコンに向かっていたのだ。
そんな我だからこそ、皆が怖れ厭い禁ずる「三密」、密なる空間、特にライブイベントというのは唯一の息抜き、父以外の他者と出会う機会であって、その集いの場が失われてしまうと、もう一切誰とも会うことも口きくこともなく、買物で街に出ても不快な気分になるだけのことで、まさに行き場がなく一人で家で悶々鬱々とするしかなかった。
しかしそれでもまたも増えてしまった猫たちのことや夏が近づき鬱蒼としてきた庭先の植栽のこと等頭痛める成すべき雑事はいくらでもある。さらにそこに様々な不具合や不可解なことも多々起こり、本当に息詰まるような思いでいた。決して暇でのんびり呑んだくれていたわけではない。そんなお気楽気分になれたらどんなに良かったか。
パソコンも何故かこのところフリーズすることが続き、思い通りにサクサクとブログも書けないときも多い。政府から有難くも頂いた10万円を元手にして新たにパソコンも買い替えることに決めた。
コロナがこのまま収束していくのか、また新たに感染が拡大していくのかそれはともかく、この先も我にとって生き辛いのは同じであろう。
しかしだからといって自堕落に、結果自滅と自死へとなし崩し的に向かうのはやはり望みはしない。ここでこのまま死ぬのはあまりに情けない。
誰も助けてくれないしそもそも孤独は自分だけのものなのだから、自分で出口と少しでも良くなるように解決策を求めていくしかない。
人生はまだ続いていくのだろう。ならばこのままセルフネグレクトしている暇はない。我にとって真に必要な密なるもの、その関係と場を改めて求めていく。また自ら築いていく。それこそが「文化」なのだと、そこに文化があると信じて。
ブログ、今度こそ日々再開していきます。が、新パソコンのセッティングなどでもう少し時間とられるかもしれません。
、
申し訳ない。いろいろあってブログも長い間更新できなかった。どうしてしまったのかとご心配された方がいたとしたらまず心からお詫びしたい。
自分にとって、「危機」、「破滅」というのは常に自らの内にあり自分でもたらすものであったのだが、今回はそれは外から来て、ついにそれに吞み込まれてしまった。長い人生でもこんなことは初めてだ。
言うまでもない「コロナウィルス騒動」である。いや、我に言わせれば「コロナ・ファシズム」というべきか。
長くなるかと思うが経緯を記していく。
先に心霊?的不可解現象に悩まされたと書いた。その主に真夜中に鳴るチャイムの音は終息した。※5月末の土曜日の朝、父が在宅のときに一度鳴って以来鳴らなくなった。と、思ったが、この5日の夕刻にも父がいるときにまたもや鳴ったが、以前のような深夜に何度もということはもうなくなった。
ネットで話題の妖怪アマエビだかアマビエだかよく知らないが、悪疫であろうと悪霊であろうと我は退散は願わずコロナも含め何であれ来るものは拒まず受け容れていくことに決めた。
そう開き直って覚悟決めたらそのチャイム騒動は収まって来た。※しかし不思議なのはもう鳴る機械はすべて取り外したはずなのに、まだどこからか鳴るときは鳴るという「事実」である。しかしもうそのことは何も怖れないし気にしない。
それよりも我を苦しめ不調に至らしめたのは、コロナ禍による「不自由さ」の強制で、繰り返しになるが、もうこの国に自分の居場所はないように感じていた。
コンサートが開催不能となったこともだが、街に出ると様々な「三密」禁止処置に遭遇して息詰まりともかく不快でならなかった。マスク着用していない者は入店を拒むこともだが、どこそこの施設を利用するに際し、間隔とって並ばされ、頭下げて非接触型体温計で体温を測定され入店の可否が決められるなんて絶対に耐えられない。我が人に頭を下げるのはミサのとき、司祭にだけと決めているのでもしそんな「強制」を受けるならばその場を立ち去るしかない。
また何より不可解かつ不愉快なことは、そうした店側の「法則」をスーパーやドラッグストアなどの商業施設ではくどくどと何度でも放送で流して客に強い求めていることで、レジの前でも一人づつ社会的距離を保るようにとか、もしマスク無しで来て咳が出そうなときは口をハンカチなどで押さえるようにしろとかいちいち細かい指示にイライラしてくる。
しかもそうした異常な事態に国民の多くは、誰も異を唱えず大人も子供も与党も野党も唯唯諾諾と従っていることだ。このコロナウイルスより日本中に広がる全体主義は、我にすれば戦時下と同様のファシズムだと感じるが皆それをおかしいと思わずただ言われるままに自粛し「新しい様式」を粛々と受け容れている。
先日も夏日でもマスクをして顔覆って炎天下に走っている人を見たが、熱射病で倒れる危険性よりもコロナ感染阻止・予防の方が彼にとっては重要なのだろうから呆れ果てるしかない。
そもそも国民皆保険とはいえ、医師も病院ベッド数も抗体検査数も医療体制何もかもが他国に比べて脆弱なこの国で、コロナ感染t拡大後、現在のような患者数・死亡者数で推移してきていること自体、まさに暴言大臣・麻生氏の言うように「民度のレベル」の違いだと言うしかない。同感した。ただし我は民度が高いとは思わない。真逆である。
コロナとの闘い、という名目の前に、様々な自由、私権が制限されても当然とされて基本的人権、中でも皮肉なことに「生存権」が損なわれているのではないのか。何より人間としての尊厳が脅かされていると考えるのは我だけなのか。
むろん感染拡大させない、じぶんを守ることが大切な人を守ることに繋がるというリクツには誰も異論も抗いもできやしない。しかしここまで官民挙げて一体となって過敏に過剰に自粛委縮した国民は世界に類がないと思える。
ソーシャルディスタンス、人と人との社会的距離をとれ、とは実に嫌な言葉である。
しかしそれでは客商売は飲食業も映画館、ライブハウスなどの興業施設も経営が成り立たない。非常事態宣言は解除されたわけだが、現実的にいったいどうやって店を維持していけば良いのであろうか。コロナが収束し日常生活が元に戻るまで都や国は店側の赤字保証し支えてくれるわけではないだろう。
我は、今年はこのところ毎月ごと、月末に谷保かけこみ亭で「月刊・共謀」コンサートを企画して、その流れで毎月の日々の流れができていた。
それがこの春先からコロナ流行下、果たして開催できるのか、すべきなのかあれこれ滞るようになってきて、ついに先月5月の回は、店側からも「休業」宣言が出て中止となった。今月もまだ何をどうすべきか皆目予定も立てられずにいる。現実的な話として、これまでのような不特定多数の観客を集めるような形態では開催はできない。かといって「無観客」でネット配信するような形式には今はまだ気持ちが至らないでいる。
コンサートがなくなってしまうと、我には何もすべきことがなくなってしまい、ギターは埃被り我はストレスからついついひたすらアルコールに溺れてとうとう生活も何もかもが崩れてしまった。
今、このコロナ禍、あるいはウイズコロナで、通勤せずにあちこちの会社でも社員は在宅での仕事するあり方が模索されている。が、そもそも我こそはネットで一人で古本商売していたわけで、この20年来会社勤めや通勤は一切せずにひたすら家に籠ってパソコンに向かっていたのだ。
そんな我だからこそ、皆が怖れ厭い禁ずる「三密」、密なる空間、特にライブイベントというのは唯一の息抜き、父以外の他者と出会う機会であって、その集いの場が失われてしまうと、もう一切誰とも会うことも口きくこともなく、買物で街に出ても不快な気分になるだけのことで、まさに行き場がなく一人で家で悶々鬱々とするしかなかった。
しかしそれでもまたも増えてしまった猫たちのことや夏が近づき鬱蒼としてきた庭先の植栽のこと等頭痛める成すべき雑事はいくらでもある。さらにそこに様々な不具合や不可解なことも多々起こり、本当に息詰まるような思いでいた。決して暇でのんびり呑んだくれていたわけではない。そんなお気楽気分になれたらどんなに良かったか。
パソコンも何故かこのところフリーズすることが続き、思い通りにサクサクとブログも書けないときも多い。政府から有難くも頂いた10万円を元手にして新たにパソコンも買い替えることに決めた。
コロナがこのまま収束していくのか、また新たに感染が拡大していくのかそれはともかく、この先も我にとって生き辛いのは同じであろう。
しかしだからといって自堕落に、結果自滅と自死へとなし崩し的に向かうのはやはり望みはしない。ここでこのまま死ぬのはあまりに情けない。
誰も助けてくれないしそもそも孤独は自分だけのものなのだから、自分で出口と少しでも良くなるように解決策を求めていくしかない。
人生はまだ続いていくのだろう。ならばこのままセルフネグレクトしている暇はない。我にとって真に必要な密なるもの、その関係と場を改めて求めていく。また自ら築いていく。それこそが「文化」なのだと、そこに文化があると信じて。
ブログ、今度こそ日々再開していきます。が、新パソコンのセッティングなどでもう少し時間とられるかもしれません。
、
コロナ禍後の世界で何を、どうすべきか ― 2020年06月18日 00時00分16秒
★まずは近況からお知らせを
何の効果があるのか目的すらよくわからない「東京アラート」なるものは解除されたが、その後も東京では五月雨式に感染者数の増減を繰り返している。おそらく今後もこうした一定数の感染者の報告は続く。
政府はじょじょに様々な自粛要請を段階的に緩めていくようだが、ここ東京においては、おそらく今後とも「三密」を避けるべく、人と人との距離はとらねばならないという「新しい日常」が続いていくのだろう。
じっさい、コロナ感染者数が全国的にゼロとなったとしても、世界中ではちっともまだ収束に至るどころか感染拡大は続いている地域と状況はあるわけで、観光立国として再び外国人観光客に門戸を開放したとたん、また新規の国内感染者が出て来ることは想像に難くない。
ならば、たとえいったん国内ではコロナは「終息」したとしても、感染拡大の予防からもかつてのような「三密」空間は許されないし戻らない。
そう、コンサートのことである。我らが谷保かけこみ亭で、企画・開催して来た「共謀コンサート」はどうしたものか。
人と集まることが許されない世界で、我は何ができるのか、できることがあるのだろうか。このところずっと自問している。
読み手の皆様にも広くご意見、お考えを頂きたいと願うが、そうしたこを記す前にまず我が「近況」を。
さておき。
またまた間が空いてしまったが、何とか新パソコンは設定完了し終えた。さっそくその新しいパソコンで、今回のブログは送信していると言いたいが、まだパスワードの再設定が残っていて、以前の東芝のPC、レグザでこれは書いている。下手にいじると新旧どちらからもこのアサブロのサイトにアクセスできなくなる怖れがあるので、慎重にならなくてはならない。
じっさい新たなパソコン使用開始にあたって、予想はしていたが、その「設定」にずいぶん時間がとられた。そうしたことをまず報告していく。
我、マス坊は、パソコンとの出会いは、世が21世紀に入ってからで、それまでのフリーター暮らしがついに行き詰まり、食うに困って仕方なく「インターネットの古本屋稼業」に活路を見出すべく導入決めたのだった。
一番最初のは、ソーテックのウインドウズXPのであった。以後、やはりXPで、二台目は富士通の。そしてマイクロソフトの勝手なバージョンアップとサポート中止ごとに、ビスタ、8.1と買い替えて、今の東芝のレクザもウインドウズ8.1が入っている。
商売柄、メールも含めて常にデータは増え続けパソコン本体の容量はすぐにいっぱいになってしまう。昔は外付けのハードディスクという知識がなかったから、そもそもの容量が少なかった時代だったこともあって、動きが遅くなったりフリーズが多発するとその都度新パソコンに買い替えてきた。
また、パソコンが突然壊れてしまった場合、商売に重大な支障が起きしまうので、基本二台常に起動させていた。一台は、古本商売専用、もう一台は、私的趣味専用として。
世の中には、ノートタイプのブック型パソコンでも問題なく使っている人も多いと思うが、我はブログも含めてともかく使用頻度が高く、キーボードが平らだとタイピングが疲れて来る。また目も悪いから、できるだけ大きな画面のモニターが付いている、デスクトップ式のタイプを用いてきた。
実は、ウインドウズ8.1では、富士通のも東芝レクザと同時に併用していた。が、母が死ぬ前の年、2015年の晩夏9月、ものすごい残暑の日にパソコンのない部屋で起動させたら暑さでクラッシュしてしまい、それ以降、何とかこの東芝の一台だけで何とかやりくりしてきた。※重くならないよう、画像や映像などのデータは、最近はすべて外付けHDに保存して来た。
そして何とか無事に持ちこたえられて、ついに今回は、ウィンドウズでは最も新しいウインドウズ10である。容量も1テラあるが、今回も録り溜めた、いやこれからも増え続けるデータ類は全部ハードティスクに最初から移していく予定でいる。
それにしても新パソコン、初期設定のやり方には驚かされた。まさに日進月歩、21世紀も中庸となれば、である。
紙の説明書の類はもはや一枚もなく、全てがパソコンに内蔵されているAIの女の子の音声と「対話」しながら進めていくのである。
我がパソコンに出会った頃は、最低でも数冊の仕様書と基本的使用法を説くマニュアルが付いていたのに。むろんそれでも初心者はちんぷんかんぷんで、仕方なく市販の解説本を買ったり、どうしても手に負えないときは、メーカーのサポートに、えんえん窓口で待たされて指示を仰いだものだったのに。
まさに「時代は変わる」であった。しかし、そのAⅠ、名前は、コルタナという女声とは、どうにもウマがあわず、「申し訳ありません。聞き取れませんでした」とか、遅々として先へ進めず、有線でネットを繋ぎ、インターネット開通するまで一晩かかった。
何の効果があるのか目的すらよくわからない「東京アラート」なるものは解除されたが、その後も東京では五月雨式に感染者数の増減を繰り返している。おそらく今後もこうした一定数の感染者の報告は続く。
政府はじょじょに様々な自粛要請を段階的に緩めていくようだが、ここ東京においては、おそらく今後とも「三密」を避けるべく、人と人との距離はとらねばならないという「新しい日常」が続いていくのだろう。
じっさい、コロナ感染者数が全国的にゼロとなったとしても、世界中ではちっともまだ収束に至るどころか感染拡大は続いている地域と状況はあるわけで、観光立国として再び外国人観光客に門戸を開放したとたん、また新規の国内感染者が出て来ることは想像に難くない。
ならば、たとえいったん国内ではコロナは「終息」したとしても、感染拡大の予防からもかつてのような「三密」空間は許されないし戻らない。
そう、コンサートのことである。我らが谷保かけこみ亭で、企画・開催して来た「共謀コンサート」はどうしたものか。
人と集まることが許されない世界で、我は何ができるのか、できることがあるのだろうか。このところずっと自問している。
読み手の皆様にも広くご意見、お考えを頂きたいと願うが、そうしたこを記す前にまず我が「近況」を。
さておき。
またまた間が空いてしまったが、何とか新パソコンは設定完了し終えた。さっそくその新しいパソコンで、今回のブログは送信していると言いたいが、まだパスワードの再設定が残っていて、以前の東芝のPC、レグザでこれは書いている。下手にいじると新旧どちらからもこのアサブロのサイトにアクセスできなくなる怖れがあるので、慎重にならなくてはならない。
じっさい新たなパソコン使用開始にあたって、予想はしていたが、その「設定」にずいぶん時間がとられた。そうしたことをまず報告していく。
我、マス坊は、パソコンとの出会いは、世が21世紀に入ってからで、それまでのフリーター暮らしがついに行き詰まり、食うに困って仕方なく「インターネットの古本屋稼業」に活路を見出すべく導入決めたのだった。
一番最初のは、ソーテックのウインドウズXPのであった。以後、やはりXPで、二台目は富士通の。そしてマイクロソフトの勝手なバージョンアップとサポート中止ごとに、ビスタ、8.1と買い替えて、今の東芝のレクザもウインドウズ8.1が入っている。
商売柄、メールも含めて常にデータは増え続けパソコン本体の容量はすぐにいっぱいになってしまう。昔は外付けのハードディスクという知識がなかったから、そもそもの容量が少なかった時代だったこともあって、動きが遅くなったりフリーズが多発するとその都度新パソコンに買い替えてきた。
また、パソコンが突然壊れてしまった場合、商売に重大な支障が起きしまうので、基本二台常に起動させていた。一台は、古本商売専用、もう一台は、私的趣味専用として。
世の中には、ノートタイプのブック型パソコンでも問題なく使っている人も多いと思うが、我はブログも含めてともかく使用頻度が高く、キーボードが平らだとタイピングが疲れて来る。また目も悪いから、できるだけ大きな画面のモニターが付いている、デスクトップ式のタイプを用いてきた。
実は、ウインドウズ8.1では、富士通のも東芝レクザと同時に併用していた。が、母が死ぬ前の年、2015年の晩夏9月、ものすごい残暑の日にパソコンのない部屋で起動させたら暑さでクラッシュしてしまい、それ以降、何とかこの東芝の一台だけで何とかやりくりしてきた。※重くならないよう、画像や映像などのデータは、最近はすべて外付けHDに保存して来た。
そして何とか無事に持ちこたえられて、ついに今回は、ウィンドウズでは最も新しいウインドウズ10である。容量も1テラあるが、今回も録り溜めた、いやこれからも増え続けるデータ類は全部ハードティスクに最初から移していく予定でいる。
それにしても新パソコン、初期設定のやり方には驚かされた。まさに日進月歩、21世紀も中庸となれば、である。
紙の説明書の類はもはや一枚もなく、全てがパソコンに内蔵されているAIの女の子の音声と「対話」しながら進めていくのである。
我がパソコンに出会った頃は、最低でも数冊の仕様書と基本的使用法を説くマニュアルが付いていたのに。むろんそれでも初心者はちんぷんかんぷんで、仕方なく市販の解説本を買ったり、どうしても手に負えないときは、メーカーのサポートに、えんえん窓口で待たされて指示を仰いだものだったのに。
まさに「時代は変わる」であった。しかし、そのAⅠ、名前は、コルタナという女声とは、どうにもウマがあわず、「申し訳ありません。聞き取れませんでした」とか、遅々として先へ進めず、有線でネットを繋ぎ、インターネット開通するまで一晩かかった。
コロナ禍後の世界で何を、どうすべきか・1 ― 2020年06月26日 14時21分32秒
★明日27日予定の「月刊・共謀」コンサートは、中止いたします。※マスダは店に顔出してます。
緊急事態宣言が解除されて一か月。全国的にはようやく元の「日常」が戻りつつあるが、我が東京都では、相変わらず一日50人前後もの新たな感染者数の報告が続いている。
谷保かけこみ亭で、今年は毎月必ず月末の土曜、もしくは日曜に定期開催と決めて新たな思いでリニューアルした『「月刊・共謀」コンサート』。コロナ禍騒動の最中、何とか4月の回までは開催できたものの、、ついに店側が「休業」となり、5月の回は中止となった。
そして6月の回は、当初、某映画評論家を招いて『映画で共謀』としてプロジェクターで映像を流してライブ実演も加味して企画していたのだが、コンサート形式として不特定の観客を入れての開催は不可能であるためその企画は流れてしまった。
が、せっかく「共謀コンサート」用に、当日6/27日は店側が場を空けて用意してくれていたわけだから、たとえ無観客でも居合わせた人たち相手にライブのようなことはできるかもと夢想していた。むろん無配信で。
じっさい盟友太田三造さんは、お仕事の後に駆けつけてくれると約束してくれていた。また他にも顔出すと連絡してくれた方もいた。
が、やはりそれは、「共謀コンサート」ではないし、仲間内で集うことに意味がなくはないかもしれないが、迷い思い考えなおした。喫緊のお知らせで申し訳ありません。
他のシンガーやミュージシャンはどうか知らないが、、自分にとっての「うた」、「音楽」とは=「共謀」行為であるわけで、どのようなカタチでも他者へ、観客・聴衆に、その「思い」が発信できなければ今は慎むべきかと気持ちが変わった。
そして今後の「月刊・共謀」コンサートも、まず来月7月の回は、現状のコロナ下が続くならば、当然、店の客数そのものが制限されるだろうから、出演者数も絞ったうえで、「無観客」で開催することは決めた。そしてそれを、生配信となるかは検討中だが、ネットで「配信」してみるつもりでいる。※今の気持ちでは生配信はいろいろ怖いので、荒編集でも多少のチェックしたうえで演者の確認・承諾の上で公開したいと考えている。
まずはそうして一回、コンサートを配信してみたうえで、今後のことについてはまた新たに考え直そうと思った。
YouTubeなどSNSの活用は以前から我の課題であった。じっさい毎回、自分が関わるライブ公演はこの数年来映像録画と録音は欠かしたことがない。※いろいご批判は多々あろうけれども。
が、今は録るだけとってもそれを編集しネット上にあげる行為にまで時間がなく、特に「共謀」コンサートを毎月開催するようになってからは、もうそれだけで手いっぱいで、毎回の準備・手配と後始末で、他のライブ、誘われたコンサートに出向くことすら難しくなっていた。
ならば、再びまた元のように、通常のコンサートの開催、=無制限に観客を招き入れて誰とでも気軽に「共謀」できるときが戻るまで真に「自粛」とし、「共謀コンサート」の開催は中止にして、その間は録り溜めた「共謀」関連の映像をアップしていく。つまり過去の映像であるけれどもSNSを利用してこのライブの様子を流すことで視聴者方に「共謀」を求めていくことも一つの「手段」ではなかろうか。
むろんそれはあくまでも今は代替の、仕方なくのことでもあり、本来のコトとはまた別の、当然いつかすべきことであった。これまでととって替われる新しい「様式」ではないし、将来的にも置き換える気はまったくない。
ただこのコロナ新生活習慣下、この不自由なときを利用して今まで直近のコンサートの企画という「多忙」を理由に放擲していた自分の「宿題」を片付けることができるのではないか。そう、今は時間がある。新たなコンサートを企画しなければ。
さておき、それもまた一つのコロナ禍後の世界、アフターコロナだかウイズコロナだか、知らないが新たな対応策の一つだろう。
正直な気持ちを記せば、たとえ生配信できたとしても「無観客」ならば、「共謀」コンサートはそもそもそのコンセプト上からも開催する意味はないような気がしている。今は。
何回か今思うところを書いていきます。
緊急事態宣言が解除されて一か月。全国的にはようやく元の「日常」が戻りつつあるが、我が東京都では、相変わらず一日50人前後もの新たな感染者数の報告が続いている。
谷保かけこみ亭で、今年は毎月必ず月末の土曜、もしくは日曜に定期開催と決めて新たな思いでリニューアルした『「月刊・共謀」コンサート』。コロナ禍騒動の最中、何とか4月の回までは開催できたものの、、ついに店側が「休業」となり、5月の回は中止となった。
そして6月の回は、当初、某映画評論家を招いて『映画で共謀』としてプロジェクターで映像を流してライブ実演も加味して企画していたのだが、コンサート形式として不特定の観客を入れての開催は不可能であるためその企画は流れてしまった。
が、せっかく「共謀コンサート」用に、当日6/27日は店側が場を空けて用意してくれていたわけだから、たとえ無観客でも居合わせた人たち相手にライブのようなことはできるかもと夢想していた。むろん無配信で。
じっさい盟友太田三造さんは、お仕事の後に駆けつけてくれると約束してくれていた。また他にも顔出すと連絡してくれた方もいた。
が、やはりそれは、「共謀コンサート」ではないし、仲間内で集うことに意味がなくはないかもしれないが、迷い思い考えなおした。喫緊のお知らせで申し訳ありません。
他のシンガーやミュージシャンはどうか知らないが、、自分にとっての「うた」、「音楽」とは=「共謀」行為であるわけで、どのようなカタチでも他者へ、観客・聴衆に、その「思い」が発信できなければ今は慎むべきかと気持ちが変わった。
そして今後の「月刊・共謀」コンサートも、まず来月7月の回は、現状のコロナ下が続くならば、当然、店の客数そのものが制限されるだろうから、出演者数も絞ったうえで、「無観客」で開催することは決めた。そしてそれを、生配信となるかは検討中だが、ネットで「配信」してみるつもりでいる。※今の気持ちでは生配信はいろいろ怖いので、荒編集でも多少のチェックしたうえで演者の確認・承諾の上で公開したいと考えている。
まずはそうして一回、コンサートを配信してみたうえで、今後のことについてはまた新たに考え直そうと思った。
YouTubeなどSNSの活用は以前から我の課題であった。じっさい毎回、自分が関わるライブ公演はこの数年来映像録画と録音は欠かしたことがない。※いろいご批判は多々あろうけれども。
が、今は録るだけとってもそれを編集しネット上にあげる行為にまで時間がなく、特に「共謀」コンサートを毎月開催するようになってからは、もうそれだけで手いっぱいで、毎回の準備・手配と後始末で、他のライブ、誘われたコンサートに出向くことすら難しくなっていた。
ならば、再びまた元のように、通常のコンサートの開催、=無制限に観客を招き入れて誰とでも気軽に「共謀」できるときが戻るまで真に「自粛」とし、「共謀コンサート」の開催は中止にして、その間は録り溜めた「共謀」関連の映像をアップしていく。つまり過去の映像であるけれどもSNSを利用してこのライブの様子を流すことで視聴者方に「共謀」を求めていくことも一つの「手段」ではなかろうか。
むろんそれはあくまでも今は代替の、仕方なくのことでもあり、本来のコトとはまた別の、当然いつかすべきことであった。これまでととって替われる新しい「様式」ではないし、将来的にも置き換える気はまったくない。
ただこのコロナ新生活習慣下、この不自由なときを利用して今まで直近のコンサートの企画という「多忙」を理由に放擲していた自分の「宿題」を片付けることができるのではないか。そう、今は時間がある。新たなコンサートを企画しなければ。
さておき、それもまた一つのコロナ禍後の世界、アフターコロナだかウイズコロナだか、知らないが新たな対応策の一つだろう。
正直な気持ちを記せば、たとえ生配信できたとしても「無観客」ならば、「共謀」コンサートはそもそもそのコンセプト上からも開催する意味はないような気がしている。今は。
何回か今思うところを書いていきます。
最近のコメント