まだまだ「物語」は続く、続けていかねばならない。2021年12月09日 10時04分11秒

★まずは、最後の「共謀コンサート」を終えてから

 一昨日夜から降り続いた雨は、やっと上がって外はいま明るく晴れてきた。
 先に体調は戻った、と書いたものの、咳も含めて一進一退、相変わらずというのが正直なところで、父が在宅の日は、父のことだけを、それ以外の日は、増えすぎた猫たちの餌やりやトイレ交換など、どうはしてもやらねばならないことだけ終えたら、時間あればひたすら横になっていた。
 いまは体力が続かず、少し無理するとすぐにめまいやふらつきで起きていられない。まずは当面のコンサートを無事終えて正月を迎えることが先決だから、来年になって少し時間ができたらば、一度きちんと精神科も含めて医者にかかろうと真剣に考えている。

 さらにこのところは、庭の巨大化した公孫樹の樹とケヤキの落ち葉掃きに終日追われていて、昨日の朝など雨と強風で散り落ちたイチョウの葉で、家の前の道路は、アスファルトが見えないほどまさに黄色い絨毯を敷き詰めたような状況だった。
 隣近所さまが起きて騒ぐ前にと、小雨の中、必死で落葉を竹ぼうきで掃き集めてとりあえず掃ける限りの分は掃き集めたが、まだ木々の枝には葉が残っているので、あと一週間はこうした状態が続くのである。
 道路にこびりついた濡れ落ち葉を必死で竹ぼうきでかき集めていたら、とうとう右手の親指の付け根にマメができたというか、皮が剝がれてきて少し痛い。

 このところ、「小説」ではなく「物語」ということをよく考えている。
 いまやっているNHKの朝の連続ドラマもそうだが、架空の話でもある一族代々の「物語」というのは、とてつもなく面白く興味深いと気がついた。
 自分とは関係のないヨソの家系の話でも、たとえば三代にわたる祖父母から今の我々、ワタシに繋がる話というのは、そこに時代や世相も絡んで何とも言えない味わいと感動がある。
 人気テレビ番組、『ファミリーヒストリー』も同様で、人は木の又から生れてこないのだから、どんな人にもそれぞれ今の自分に至るバックボーンというか、親たち、そしてそのまた親たちの懸命に生きた歴史があり、たとえ平凡でも子孫はそのことをきちんと知るべき意義と価値があるのだと気づく。
 知ると同時に、個人であるならば書き遺すことも必要だと我は思う。有名人でない限り誰もがNHKのスタッフが追跡取材して「番組」にしてはくれないのだから。
 たとえば思いつくだけでも北杜夫の『楡家の一族』、佐藤愛子の『血脈』、山口瞳『血族』などはどれも自らのルーツ、親たちの代以前のことから一族の歴史を辿り調べ書き記したすぐれた物語だが、我もまた作品として世に出せなくてもせめて親たちのことだけは書き記しておきたいとこのところ強く思うようになった。

 思うのだが、「うた」というのは小説、それも短編小説のようなもので、ある一つの光景、風景や思い、感情を一曲にまとめて切り取ったようなものであり、それとは別に、ほんとうの「物語」、つまり長くてとても一日では読めないようなものがあって然るべきではないのか。そこにそれだけの内容がぎっしり詰め込まれたものが。
 いま、何でも短くコンパクトかつ簡潔に、ツイッター、ショートメールのような文体、スタイルが全ての主流となっているが、だからこそうんと時間のかかるもの、きちんとした小説、物語に我は強く心ひかれている。

 残念だが、我には子や孫はなく、書いたところで、それを読んで伝える子孫などはいないのだが、母方の祖父母が義人田中正造で知られる栃木県旧谷中村の出であることや、父方の祖父が佐賀から東京に出、苦学し早稲田を出て新聞記者になったことなど今からでも我が知る限りのことは昔の古い写真と共に「記録」しておきたいと切に願う。
 体調が悪い悪いとさんざん拙ブログではこぼしてきたが、今このままこうしてなし崩し的に我は死ぬわけにはいかない。
 我の「物語」はまだまだ続くし、続けていかねばならない。

 そう何としても。誰のためでもなく、この自分が生きていた証として。
To be continued.