「当たり前の人になりたい」宣言・22011年11月01日 07時53分10秒

★夢から覚めてまた新たな夢を見る。

 外は今日も明るくカラッと晴れた。今日から11月。今年も残すところ二月である。焦る気持ちもなくはないが、気持ちは前向きである。

 躁状態というわけではないが、29日のプレ・オープンイベントのことをブログに再掲したり、来た方々に手紙書いたりと振り返ったりしているとまた気持ち昂ぶるところがあって、遅く寝たのに関わらず早朝から起きてしまった。しかしこのところおかげさまで睡眠足らずとも体調は良く、前のように何もしていないのに朝起きたときからダルイという倦怠感はまったくない。自分はやはりイベント屋、企画プロデューサー気質なのであろうか。今回も来られた多くの人たちから元気をもらった気がしている。中でも特にいつも明るく楽しい元気全開のみほこんに。
 彼女の天性の明るさは生来ネクラの自分にとっては眩しいほどだが、暗くウツウツとした冴えない男には誰だって声もかけたくないし近寄りたくもない。今さらこの自分が明るく劇的に性格改造などできるはずもないが、少しでも陽性に、ハキハキとした他人から好感持たれるような良い人になりたいとマジに思う。まあ妙に明るい増坊というのは自分でも想像しただけで気持ち悪いものがあるが。それはそれとして今後の課題?でもある。

 何が「当たり前のこと」であるか、人それぞれ思うところはあろう。自分にとってはそうした明るさもまた一つの条件であり、他者と応対したときにどれだけきちんとした挨拶や返事ができるか対応すらまず課題だと思う。暗く無愛想では人から怪しげな奴として不信感や警戒感を募らせるだけだ。:結果、いらぬトラブルを招いてしまう。今年の春の大阪旅行のように。

 しかしそんなこと以前に、つまり他者との関係の前にまず自分とのこと、自分自身で自らと向き合って改善、解決すべき問題が多々ある。それは一言でいってしまえば、何事もきちんとさせていくということだ。それが出来るか。今回もプレ開店と称して人を招くのに当って本当にまず場所作りに苦労した。当日の準備や応対、進行なんてそれに比べれば何一つ痛痒感じない。楽しさややりがいすらある。
 だが、溜まった本や雑誌、書類などの紙モノを仕分けして片付ける作業は真に苦痛である。ギリシア神話に出てくる牛小屋の掃除か、賽の河原の石積みを思わせる。しかも問題はその原因を作ったのも自分であり、根本のところは何も改善されていないのだ。ある意味ただまた別のところに移動させているだけとも言える。心底うんざりした。自らのサガを呪うしかなかった。まさにこんなんだから会社勤めも結婚もできなかったのである。
 
 「当たり前の人になりたい」とは実は妖怪人間ベムたちの叫びをパクったものだ。当たり前とは何か。自分にとって一番のことは、何事もきちんとさせてスッキリしていくことである。増坊の家自体、家族全員が「片付けられない症候群」でもあり、だからこそ今回、お客様を招いてならば嫌でも片付けるであろうと「開店」に向けて動き出したのであった。
 だが、じっさいどうであったのか。それは来られた皆さんの心の内にある。ただ、あれでもそのために少しでも片付いたし片付けたのである。自分でも感心している。そうやって無理して負荷やプレッシャーをかけない限り自分はそれができないのだからまたそれも情けない。
 しかしそうするしかできないし生きていく術ならばこれからも常に人に来てもらうしかない。どうかどうかぜひともまた遊びに来てください。

 ベムたちは人間になれたのだろうか。自分にとっての当たり前、つまりまっとうな人間はまだひどく遠い。見果てぬ夢のような気さえするが、追い求めていきたい。

さて、今週末は秋の京都でまったりと!?2011年11月01日 22時03分04秒

★今年最後の関西旅行へ

 自分でも疲れているのかどうなのかよくわからないまま次の予定が入っている。今週末の話だが、増坊はまた京都に行っている。29日が終わるまでどうするか未定で迷うところもあったのだったが、旅行に出るなら今しかないし、親達の入院の前に二泊三日程度家を空けることになった。今ならまだ数日ならでかけられるはず。でももしかしたらこれが最後の関西旅行となるかという思いもある。

 増坊は近年ずっと春の大型連休には必ず大阪へ、ついでに京都にも寄って友人知人たちに顔出していた。が、もう来年からはその頃大阪に行くことはまずないし、他に行く用事もない。会いたい人もいなくはないが。今はもう橋下府政も含めて大阪には深い幻滅感を抱いている。ユニークでアナーキーほどおもろかった何でもアリの大阪はすっかり変質してしまった気がしている。いや大きなカンチガイをしている。

 こんなことは書くとまた問題あるかと思うが、ダメだからこそ特異性、異能さが光っていた街が、もっと酷く悪いダメの方の街東京に伍して負けずにのし上がろうと思うこ自体誤りではないかと思う。アホの発想はおもろい。愛嬌もある。が、バカの発想はやがては自ら地獄に落ちる。
 今大阪はその瀬戸際にある。アホの良識を示して欲しいと切に願う。それこそが大阪の底力であろう。独裁者とその取り巻きを首長に抱けばやがて大阪は大阪でなくなる。悪しき東京の出来損ないには大阪人は住むこともできやしない。どうしてそれがわからないのか。アホの良識が今こそ問われている。

 京都は親炙する詩人有馬敲さんや敬愛するフォークシンガー、友人知人多くもいるし今も昔も大好きな街なので願わくば折々ことあれば行きたいと思っている。たぶん時間がゆるし家が空けられるのなら今後も通うであろう。自分にとってはもはや第二の故郷と言う気さえしているのだから。

 問題はこれからは親達の介護で家が空けられなくなるということだ。まあすべてのことには時がある。千年の古都は自分が行こうと行くまいとこれからもずっと存在し続けるのだから。いつかまたのんびり寺社巡りなどできる日が来ると信じている。
 今回は時間ゆるせば南禅寺のほうまで歩きたいのであるが・・・