「無頼庵」12月の予定2011年11月27日 04時26分01秒

★12月の23か24日、薪ストーブに火を入れてクリスマスパーティーをやります。

 ただでさえ愚図でノロマな自分だから年の瀬が近づきさらに慌しく、やるべきことが山積みでやや焦り気味である。まあ、何も年内に全て片付けねばらないということではなく、1年という区切りに意味はないのだが、できれば気持ちを切り替えるためにも今年のことは今年の内に片づけてしまいたいと願う次第だ。

 ブックカフェ無頼庵のほうも、どのようなカタチであろうと「オープン」、つまり常時「公開」に持っていきたいと考えているしそのためにはまだまだストーブの件も含めて家自体が真に「完成」となるよう手を入れなくてはならない。壁や天井もまだ漆喰やペンキをぬるべきところが残っている。本の山で倉庫化した小部屋も何とか片づけたい。
 これまでは途中経過として、まだ完成していないんだ、途中だからと断って人を招くことはあったが、いいかげんそうした「言い訳」は終わりにすべきだと思うし、人が来るたびに大慌てで片付けたり本の山をどかしたりしているようでは「開店」は覚束ないどころかすべてに意味がない。
 何をどうすべきであるかはわかっている。それは見えている。問題はそれを果たしてできるかということであろう。ただでさえあれこれやりたいことを抱えて気の多い自分が、手のかかる、ある意味目が離せない半病人の老親たちを抱えてその関係の中でどうやっていけるかどうかでもある。
 それがこれまでもなかなかずっとできなかったのだから、何か根本的に、やり方、考え方を変えねば不可能のようにも思えるが、ともかく実践と行動あるのみで立ち止まって机上であれこれ考えている時間はまったくない。年末に限らず始終1年中何だかんだ常にあれこれ忙しいのだから。

 しかしそれは自分だけではないはずだし、結婚し家庭や子供を持つ者だってまたそれはそれで同様にあれこれ忙しく時間の工面に頭を痛めていることであろう。自分は勤め人でないからまだこれでも時間は大幅に自由になる。別に土日祝日に限らずとも時間は作れる。だのに怠け者の愚図だから時間はあってもなかなかスピーディにモノゴトが進まないのである。まあ、それも個性のうち、自分のペースなんだと思うしかないが。

 さて、このところずっと迷い考えていたのだが、昨日国立(矢川)で、夕方から井形大作さんや宮瀧順子さんたちのライブにちょこっと顔を出し、彼らの音楽を聴いているうちにやっと予定案がまとまった。
 当初12月末、仕事納めの頃に、ウチで友人知人仲間を招いて、故原田芳雄邸に倣い「大忘年会」をやろうかと漠然と考えていたのだが、反応も悪く暮は慌しいからと参加者も少ないようなので、それは中止することにして、代わりに、クリスマス会をささやかにでもやりたい。
 25日は教会に行ったりするさすがに「当日」なので、その日は避けて、23日か24日のいずれかの日、また昼間から夜までだらだらのんびりやりたいと思う。ついに完成し火の入った(はずの)薪ストーブでチキンも焼く。ケーキも作れたら焼く。まあ、その頃はあちこちでイベントも多いだろうし皆さん忙しいかと思うので、あくまでも来れる来たい方だけで。今回はお知らせハガキとかは出さない。友人知人にはメールは出すかと思う。

 もちろん、当ブログの読者も含めて誰でもご自由にご参加頂きたい。今回は音楽は基本的に抜きで、ストーブを囲んで暖まりながらだらだら食べて呑んであれこれ話してこの1年を振り返り感謝したいと思う。珍しいレコードもかけたい。申し訳ないが参加費は実費で頂きたい。あるいは持ち寄りでもかまわない。

 また、12月中はもっぱらそうした家の手入れ、最終的完成に向けて片付けに専念していると思うので、基本的に家にこもって何かしら作業している。そうした状態でかまわなければいつ誰が来られてもかまわない。ペンキやワックス塗りとかは人手があると大いに助かる。来て頂いた方には晩飯程度はご馳走する。

 フォークソング教室も準備進めて早く企画書を作りたい。23日と24日、どちらの日が来やすいか、参加希望者はご連絡頂ければ参考にして日時を決定としたい。

 人は人とどこまで関われるのか。そしてどうやって新しい関係が築けるのか。人それぞれは皆孤独な存在であるのに。
 帰りの南武線の中でそんなことをぼんやり考えた。