12月1日@無頼庵「楽四季一生バイオリン演歌ショー」2012年11月13日 22時02分03秒

新潟での楽四季さん
★12月1日の詳細です。どーぞ老いも若きもお気軽に!まずはバイオリン演歌と楽四季一生さんについて。

 「バイオリン演歌師」といっても今の人はいったい何のことかと思うのであろう。むろん、もはやその実物、現存している「ほんもの」、つまり本職でやっている人など生きているわけがない。何しろ彼らが活躍したのは明治大正の頃であり、生で見た、聞いた人だってもういないはずだ。

 ウチの親父は、かろうじて大正期末の生まれで、昭和一桁年代に幼少期を過ごしている世代であるが、街角でそんな人たちは見たことがないらしい。まあ、当然であろう。ラジオや新聞が普及してマスメディアが成立した近現代ではバイオリンで時事を風刺し世相を唄い、唄本を売って生業としていた「演歌師」なんて当時でさえ時代錯誤で、どんな田舎、僻地へ行っても現存していたとは思えない。彼らはそもそも自由民権運動に乗じて登場してきた職業であったのだから。まあ、日本狼や日本かわうそと同じく既に絶滅した種である。

 ただ、戦後初の国政選挙で当選し国会議員となった、タレント議員第一号として歴史に名を残す石田一松は、「ノンキ節」で知られるバイオリン演歌師であったのだから、戦中ぐらいまでは芸人、今で言うタレントとしてそれなりに寄席や宴席、慰問など興行の世界にはいたものと思われる。

 今では絶滅したその「最後の演歌師」といえば桜井敏雄(1909年~1996年)で、戦後昭和の高度成長期の回顧ブームなどでかなり売れっ子となりテレビなどにもたまに登場していたから記憶にある方もいるかもしれない。彼はその石田一松の弟子だったそうだ。
 増坊も彼の晩年、浅草木馬館でやった懐かしの演芸大会的催しで、千代若・千代菊など共に桜井氏当人を観ている。かなりヨボヨボの老人だったが声は出て姿勢はしっかりした端正な芸だったと記憶している。彼のバイオリンは今小沢昭一の手元にあるときく。そうしたバイオリン演歌師は彼の死で絶滅したはずなのである。が・・・

 今回拙宅「無頼庵」にお招きする楽四季一生(たのしき・かずお)氏は、その桜井師の弟子であり、その今は既に消えうせたバイオリン演歌のスタイルを平成の世に伝えるべく演奏活動を長年されている。写真を見ればお分かりのごとく、昔の書生スタイル姿で、うたも演奏も当時の面影を色濃く残す忠実な継承者なのである。

 増坊は先年、かんから三線の岡大介から紹介され、その飾らない人柄と味のある歌声にすっかり魅せられてしまった。バイオリンはカントリーやクラッシックのプレイヤーほど巧くはないところが、実に演歌師らしくそのギコギコと弓を引き鳴らすスタイルが往時を強く偲ばせる。それは過去の物真似ではなくうたの時事性も高く、かつてのバイオリン演歌師が今の世に生きていたらきっとこうした人であろうと思える。それ故、両国フォークロアセンターの企画にも度々出て頂いているし、今や彼の活動は老人達だけにでなく平成の若者にも大ウケなのである。先日もあの人気者熊坂るつこのコンサート、打ち上げにも登場し耳の肥えた新潟の観客を驚かせた。

 遊びやコスプレ、芸人としてそうしたバイオリン演歌をやる人は他にもいるかもしれない。今後若いモノズキが始めるかもしれない。しかし、知る限り本気で、当時のスタイルをきちんと継承し今に生かし、その精神さえも伝えている人は彼、楽四季さんただ一人である。その彼を無頼庵にお招きできて実に光栄である。どうかこの機会に、今では珍しい本物の「最後のバイオリン演歌師」の唄う「バイオリン演歌」を聴きに観にきてほしいと願う。

 バイオリン演歌って、森進一なんかの「演歌」とどう違うのと思われる方、「演歌」とはそもそも何なのかこのライブで確かめることができるであろう。そして共演は、増坊友人知人間のナンバーワンギタリスト、外山誠二。チェット・アトキンスぱりのフィンガーピッキングのスペシャリストがバイオリン演歌師に色をそえる。こんな異色の顔会わせ、最初で最後かもしれない。
 どうか老いも若きもお気軽にお越しいただきたい。当日は二部としてフォークシンガーによるフォークライブも6時から予定している。一部二部どちらかだけのご参加でもかまいません。