政治とはまさに権謀術数だと思い至る2012年11月28日 20時46分16秒

★ああ、わからない。何が何だかわからない。

 衆院選告示日を前にしてますます政党、政治集団の離合集散が加速度を増して日々猫の目のように目まぐるしく移り変わる。まさに今自分が何党なのか秘書に聞いてもわからない。

 名前だけ決めて誕生したものの数日でまた違う党と合流してその党は消えてしまう。そんな党が多すぎる。いったいこういう輩は政党というものを何だと思っているのか。テレビタレントが番組ごとに衣装を変えるように次々とその名を変えまた違う党が新たに出来ていく。

 今一番人気の新党と一緒にやりたいとエールを送り、袖にされるとまたはみだした者同士でくっついて新しい党ができる。その党もまた新たな動きがあると話題性のあるそっちに合流していく。いったい政党とはそんなに簡単に出来てまた消えてもかまわないものなのか。一夜にして出来、一夜にして消えてしまうならば国民はそんな党に政治を託すことなどできやしない。

 こうした輩を見ているとわかることはただ一つ。要するに政権公約も個々の細かい政策もじっさいはどうでもよく、まさに「大同」の部分だけ、原発なら原発、TPPならTPP、消費税増税なら増税という一つか二つのことだけで徒党を組む。その理由は選挙で自らが生き残れるかという目的だけであって、各々少数のままでは大政党を利するし選挙協力も頭に野合的に集まるのである。ではじっさいにもしその党が政権をとったら安保はどうするのか近隣諸国との外交はどうするか、憲法改定問題はどうするのかまだ何も話し合ってもいないだろうからまったく白紙のままである。でもそれらはそのときまた考えれば良いことなのだろうか。

 公約、マニフェストなど政権を獲得するためのしょせん絵に描いたモチに過ぎないことは民主党政権三年が白日のもとに知らしめた。そして今また政権獲得、あるいはまずは自らが当選するために皆目の色を変えて「勝ち組」、つまり今度の衆院選の目玉、一番人気になる政党に加わろうと必死なのである。新、新、新党ラッシュの話題で今の雰囲気ではマスコミが持ち上げ続けた維新太郎たちは早くも色褪せた感がある。

 まあ、反原発だか、脱原発だか、卒原発だか何だか知らないが、原発問題が今回の選挙の争点となっていくことは歓迎したい。政治は原発問題だけで大別すべきてばないことは当然であるが、ともかくこれで、今後も原発容認、推進派の政党とそうではない、速度に差はあろうとも将来的には原発ゼロとする政党との区別ができた。
 原発推進派は自民、日本維新、民主、公明など、それ以外の政党はほぼ反原発といちおうは見てよいかもしれない。むろん、その中には今回の選挙戦のため便宜的に反原発というポーズをとっている輩も当然いよう。
 原発でカンチガイしてはならないのは、民主党である。今もっぱら野田首相は2030年代に原発ゼロにしていくなどと演説で声を張り上げている。だが、またもや騙されてはならない。安全性が確認されていない大飯を無理やり再稼動させ、大間の原発建設も容認した男がどうしてゼロにするなど口にできるのか。政権を握ればまた新たに次々と原発は稼動させていく。原発の海外輸出はこれからも続けていく。だのに国内はゼロなんてできるわけがない。民主党にはゼロにする気もそもそもない。要するにこれもまた推進派自民や維新と差をつけるための口先だけのカラ公約なのである。

 マス坊はどこに入れかって? 原発は即時ゼロを公約に掲げている政党である。それができるかできないかではなく、そのぐらい大慌てのスピードで取り組まないと原発はだらだらと稼動し続け絶対になくなりはしない。そうこうしているうちに巨大地震が来て地球規模の大事故が起きよう。オレは今も昔も反米、反TPP、反原発なのだから雨後の竹の子のような明日にはなくなっている「新党」には騙されはしない。