フォークソング三昧の晩秋の一日2012年11月23日 22時28分56秒

いったいギター何本持っているのか。
★フォークソングのワークショップ無事終了す。

 今日23日、昔でいう「新嘗祭」の祝日、拙宅無頼庵では、第二回目となる日本のフォークに関するワークショップがあった。参加者は相変わらず微々たるものであったが、個人的には手応えというべき満足感はあった。久々に昔良く聴いたレコードをかけて今改めて気づき思い至るところ、新たに得るところ大であった。おかしな話、昔聴いていたときには見えなかったことが見えてきた。今満ち足りた思いでいる。

 前回はまず初回として、これからの全体像のあらましを語り、言わばダイジェスト的にレコードをあれこれかけたのだが、久しぶりのプレイヤー操作に戸惑い、曲の頭がすぐ出てこず気持ちばかり焦り自分としては不完全燃焼の感があった。気ばかり焦りひどく疲れた。自分ちなのにおかしな話である。

 まあ、それは以前両国フォークロアセンターで、もっと大人数を前にしてやったときも同じことで、こうした「講演会」的催しはどうしても観客側がどう思ったのか果たしてこれで満足されたのかもう一つつかめずあたふたしているうちに終わりとなって後々まで何かすっきりしない不完全燃焼感に苛まれる。ではじっさいの自分が演るライブ、コンサートならどうなのか、まだその実体験はないのでわからない。

 ただ、今日は体調もすぐれず12月1日のバイオリン演歌のコンサートを前に準備に追われ慌しい最中ということもあり何一つここっちには仕度も頭も回らなかった。気心知れた友人たちを相手にやるのだから行き当たりばったりでもまあどうにかなるだろうと思っていた。
 そうして何一つかまえず気軽に始めたのが良かったのか、自分としては縦横無尽、自在闊達に話を進めることができ、思い残すことなくうまくやれた感があった。やはり焦り緊張しないということが何ごとも肝要なのであろう。
 本番が終わってからも手持ちのレコードコレクションから昔のLPレコードをあれこれリクエストに応えてかけ続けた。こんなにレコードを聴いたのは何十年ぶりかと思えた。昔、学生の頃以来30数年ぶりに聴いたレコードがほとんどであった。70年代、いや時に60年代のレコードで聴く高石友也も岡林も中川五郎も加川良も友部正人も高田渡も皆実に声が若い。当たり前だが皆10代20代なのだから瑞々しく越えに張りがある。

 今還暦を過ぎ彼らの生のライブを聞き、その当人をも知ってみるとスタイルも曲も声も同じなのに当然ながらどこかがかなり違う。五郎さんのように今のほうがはるかに良くなった人もいるし、昔のほうが元気で精彩ある人も当然いる。だが、自分の中で思い描いていたイメージが今21世紀に昔聴いたレコードを聴き直した時だいぶ修正された。
 若いとき聴いてあまり良くないとかピンとこなくて魅力を感じず評価しなかった人や曲が今聴くとおやっと驚かされることもある。逆に記憶の中ではすごいと思っていたうたや演奏、サウンドが今聴くと大したことないと失望する人もいた。それは彼らアーチストが変わったということもあるのだろうが聴き手である自分が変わったことが大きい。

 耳が肥えて成長したのか、それとも昔の感性を失ってしまったのかわからないが、缶詰のように閉じ込められた音の世界の中でもやはり歳月はたち変わっていくのだと気づかされた。当たり前のことだが、この世に永遠不変のものなど何一つない。音楽やうたも生き物なのだ。そして一時は色褪せて価値を失ったものでも時世に応じてまた精彩を放つ。「自衛隊に入ろう」などその典型かもしれない。思わずおやって得心してしまった。それだけちっとも時代状況は相変わらずどころかまた悪化しているということの証なのであるが。


 手前味噌を承知で書く。このフォークソング講座、ただ昔のレコードを聴くというだけでも実に面白い。こんな面白い試みをほんの数名でやっているのは実にもったいないと思う。どうぞこれからでも一人でも多くの参加者に来て欲しい。それを企画し、司会進行役が面白いのだから本当に面白いのだと思う。