薪ストーブ日和2012年11月17日 21時37分20秒

★家の中に火のある暮らし

 季節は駆け足で進み、木々の葉は散り落ちてはいないがもう体感的には冬である。今夏はいつまでも暑く、夏が長かったので秋はすごく短く感じる。

 このところ雨や曇りの日や、木枯らしが吹く日は薪ストーブに火を入れている。火入れから二年目の今年、自分で言うのも何だが着火も火加減もずいぶん上手くなってきた。

 前にも書いたけれど、ウチのストーブは、オーブン機能も付いた業務用と言うべきか、本来の暖房のためのものではない。それもあってか基本的に暖房器具としての役割はほとんど果たしていない。
 それが設置してある一階のキッチンはちっとも暖まらないし、せいぜいお湯がふんだんに沸いて使える程度の利便しかない。ただ、煙突が通り温まった空気が上がっていく二階の部屋「無頼庵」の部分はストーブを焚くとほんのりと暖かい。
 うんと汗ばむほど暖かくなるのならば本体と工事費も含め百万円近くも出して導入した薪ストーブの意義もあるのだが、「ほんのり」では何とも心もとない。しかしそのほんのりだか、ほんわか程度の暖かさが何とも心地良く、個人的には満足している。

 ストーブの中にまず紙とか木っ端を入れてそれに火を着けてそれからじょじょに太い丸太のような固まりに火を拡大していく。最初はなかなか太い固まりに火が着かないから多少は煙も出て二階までも煙くなる。でも今ではその煙の臭いからいがらっぽさも含めて好ましく感じる。本来気管が弱い自分としてはタバコも含めたそうした「煙い」のは苦手だったのだが、薪の燃える煙の臭いというのは何とも懐かしく感じる。それはたぶん子供の頃の七輪で火を起こし炭に火をつけたときや練炭の燃える臭いに繋がるからだろう。祖父の部屋には火鉢もあったことを思い出す。
 
 そう、昔は家庭内にそうした「直火」の道具が必ずあった。それがガスや電気コンロの普及により、火は一箇所に管理されひどく簡便になった。つまりマッチもいらずスイッチ一つですぐに火は着きあっという間にお湯も沸くようになった。いや、今では蛇口をひねればお湯が出る。IHというのか、火を全く使わないコンロも普及している。

 しかし、そうした手間隙かけて直火を用い、火の道具が室内にあった頃は煙も煤も出たのだろうがその暖かさは今とは格別の感があった。火の価値というものはあり難かった。火鉢など暖房器具としてはほとんど役には立たないけれど、手をかざしたりお湯を沸かす程度でもそれが部屋にあることは有り難かった。つまり暖房とはそれだけしかなかったのだから。
 それがやがては狭い室内でも石油=灯油を使った芯を燃やすストーブとなっていく。これは相当に暖かかった。かなり灯油臭くはあったけれど。ストーブの上ではヤカンも乗せられたし餅も焼けた。昔は学校などには石炭ストーブもあったことを思い出す。暖かさではやはり石炭が一番であった。

 それがいつしか、面倒だということと直火は危険だということで家庭では火は直接見えないファンヒーター型式になっていく。空気も汚れないというのが売り文句だった。そしてマンションなどの共有住宅では最初から火災を怖れて直火のストーブは禁止され、代わって各部屋ごとにエアコンが付いた。
 そうして火鉢や練炭どころか灯油やガスのストーブも生活から消えて、今の子供はマッチの使い方すら知らない。焚き火もしないから火をつけて何かを大きく燃やしていく行為はキャンプでも行かない限り生涯することはない。今の時代は生活から火が失われてしまったのである。

 そして今、昨年から憧れの薪ストーブを家に導入して、当初はうまく薪に火を着けるまでやや苦労したものの、家の中に直火がある暮らしをしてみてこれは本当に素晴らしいと思える。暖房としてはあまり役立たないし、普段は天板に乗せたヤカンでお湯を沸かす程度のオーブンでもその存在自体が心強く、人を和ましてくれる。

 先だって新潟の築数百年という古民家に泊まって囲炉裏を囲んでお茶を飲んだりしたのだが、囲炉裏はウチの薪ストーブより当然ながらモット煙い。煙突がないまま薪を燃やしているのだから煙はそのまま室内に昇っていく。しかし燻されたような黒光りする梁や柱に囲まれた部屋で囲炉裏の火を見ているだけで気持ちは癒されいつまでも飽きることはなかった。
 今、自分も外は雨の日などは、薪ストーブの前でガラス越しではあるが、燃え盛る薪をただぼんやりずっと眺めている。上の鉄板に、ソーセージとかを乗せてちょっと焦がしてそれを肴に赤ワインなどちびりぢびり飲むのは至福のときである。

 慌しい世間や社会のことは外にして、そうしてただぼんやり火をみつめてぼーとしているのは逃避ではあろう。しかしおそらく原始人の頃から人間はこうした営みをしてきたわけであり、直火と暮らしは一体化していたのだ。今では野外キャンプ以外、こうした火のある暮らしは古民家でもない限り全く失われてしまった。だからこそもし場所と少しの金に余裕あらば各家に薪ストーブを置くことをオススメする。原発事故以降、オール電化神話はもう色褪せた。やはり昔ながらの直火のストーブが必要とされるのである。

 まあ、その前にウチの薪ストーブにあたりに来てください。囲炉裏ほど寛げないけれどそれなりの味わいがあります。