災害からの「教訓」に思う2013年02月06日 21時29分38秒

★二度目の「大雪」は大したことなくすべて融けた。

 人は経験から学ぶわけだが、先だって成人式の日の雪で懲りたからか、今回の大雪の予報には多くの人がかなり備えていた。自分の利用する青梅線に至っては遅れが出るからと朝から予め本数半減iにしてしまった。
 しかし、立春過ぎの雪は残らないと言われるように、途中から雨になったこともあり道にもどこにも雪はまったく残っていない。大騒ぎしたわりには大したことない雪であっけない気もしている。まあ、溶けたのが夜間に凍って歩道に残るのがいちばん面倒かつ後々大変なのだから積る事なくすぐに融けたことは何よりであった。

 教訓ということばがある。経験から学び今後にそれを活かすことだ。大雪にしろ大地震にしろ自然災害が起こると、それが記憶に新しいうち、その災害が発生して間もないうちは人はかなり敏感に「次回」に備えている。防災意識も対策も高く現実的である。
 しかし、それが時間的経過と共に低下していくこともまた当然であって、大地震や津波のように数十年単位から世紀をまたいで起こるような災害だと体験した世代が死ぬと忘れ去られることも多い。そしてまた大震災のような事態が新たに起きて体験して初めて改めて対策を立てることとなる。
 本当はその災害を記録に残して代々語り継いでいけば災害じたいは防げなくても被害は減らすことは可能なのにだ。しかしそれもまた人間であり、都市部などでは人の移動も大きいからそのいつ起きるかわからない「防災対策」にはなかなか予算も人も動かない。じっさい神戸ではもはや阪神淡路大震災を体験していない人のほうが体験者数を上まっているそうだ。ならば「教訓」はどう活かし伝えていけばよいのか。

 自然災害に限らない。戦争という事態であっても同じことで、もう先の大戦、我が家で言うところの「太平洋戦争」を知る世代はもう数少なくなってしまった。戦争に行った世代がごく僅かなのはいたし方ないが、空襲や疎開を体験した世代だってもう皆老人たちだからあと10年そこらで国民全員が「戦争を知らない子供たち」となってしまう。
 思うに、そうした戦争未体験世代が増えるに連れて憲法改定への動きが戦後の長さに比例して大きくなってきたように思える。つまり戦後すぐは平和憲法を変えようなんて策動はまさに「反動」であってよほどの右翼活動家以外にはそんなことは口にも出来ない状況だったのに、今では現国会を見るように改憲論者が堂々と肩で風切る有様なのである。
 しかも問題に思えるのは、それらは慎太郎世代ではなく、もっとその子世代の若者、若手だということだ。つまり自分のように戦争そのものを体験した親たちから戦争というものを聞き知った世代よりももっと若い、本当に全く戦争を知らない世代層が憲法を変えようとしている。
 時間、歳月と共に体験は風化しその教訓すらも伝わることなく忘れ去られるのが人の世の常かもしれないが、それもまた情けないことではないか。
 加川良さんの有名な反戦歌「教訓」はいみじくも何故か「教訓」という題である。昔は何でこの曲が「教訓」なのかピンと来なかったが、今ならよくわかる。あの時代はまだ先の戦争について知る者、記憶にある者たちが沢山いたのである。だから教訓としてあんなうたを作ったのだと。
 そして戦後は終わり、今再び「戦前」となって、その戦争体験の「教訓」をどう戦争未体験世代に伝えていくべきか、大災害の体験記憶と共に後の世代へと伝えることの困難さを思うこの頃だ。

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