予告、「ぶらいあんず」再デビューコンサートを2016年06月12日 17時05分23秒

★ここから這い上がれ

 ♪ここから這い上がる 
  ここから這い上がる 
  いつかはみんなでここから這いあがる

  おお、諦めず信じよう
  みんなでここから這い上がる

 「ウイ・シャル・オーバーカム」のメロディで突然思いついたのが、上記の歌詞だ。今の気分をうたにするとしたら、まさにこんな気持ちである。

 人間とは欲深いもので、一つ成し終えたり、手に入れるとまたさらに次のことや新たなものが欲しくなる。
 今回のコンサート、そもそも企画責任者でありながら、入院、家で介護中の老親たちの体調など我家の事情次第では参加すらかなわないところであった。
 だからともかくその日を迎えることができ、立ち会えただけでも良かったのである。その上さらにはチラシなどに載せてた予定通り少しでも「演者」としても出られたのだからそれだけでも良しとしないとならないはずだ。
 が、終わってみると、総体としてのコンサートは素晴らしく満足のいくものであったとしても、いや、だからこそその分、ステージの自らの出来には不満というか、思い通りにやれなかったことのもやもやとした気持ちが残った。満足感の中にぽっかりと穴が空いている。そこを淋しさに似た風が吹く。
 そもそも個人的にもろくに練習できてなかったし、楽団として他のメンバーと集まって音合わせも一回もできなかった。それを考慮すればごくごく当然の結果であってそれを認め受け入れるしかない。あれはあれで意義ある行為だと評価してくれる人もいたようだが・・・
 過ぎたことをあれこれ言っても仕方ない。そのうえで、ではこれからのこと、次はどうしていくかを考えるしかないのだと考えた。

 まだ日時も何も確定したわけではないが、年内にもう一回、秋口以降の頃、場所は同じかけこみ亭で、我がぶらいあんずとしてのコンサートをやれたらと夢想した。4回続いた「反戦歌」コンサートの流れを受けて、映画などでいうところのスピンオフ、つまり番外編、うたのアナザーストーリーの場を設けたいと思った。
 もちろんのこと、親たちの状況、つまり母の癌が完治することはなく、おそらく何も変わっていないはずだから時間的環境的にもかなり難しい。しかし、もう一度、その目標に向けて個人的に練習を積んで、月一程度であろうとも定期的にメンバーが集まって音合わせして臨めばもう少し今回よりはきちんとしたステージをお見せできるはずと思える。
 そしてそのことは、これまで我がやってきたのことの「決算」として総まとめ的意味合いを持つかとも考える。

 実は唄いたいうたもかなり増えた。我の巧拙は問わずどうしても今、誰かに聞いてもらいたいうたがいくつかある。我が音楽活動を終えるとしてもそれだけは一度きちんとどこかで発表の場を持ちたいと思っていた。さらにはぶらいあんずとしてもきちんとしたステージを示したい。メンバー皆が今回は不完全燃焼気味ではないかとも思える。
 出来や結果はどうあれ、思いをうたに込めてとことん思い切り唄ってみたいはずだ。ここで、これで終わらせてはならない。

 まだ他のメンバーにきちんと相談したわけではない。しかし、こうした「目標」を定めて、そこに向かって練習を積み重ねていくことは良いことだろう。我を取り巻く内外全てが悪い状況、環境の中だからこそ、唯唯諾諾それも仕方ないと諦め受け入れるのではなく、気分転換程度だとしても状況を打破して行かねばならないと考えた。そう、誰にとってもだ。
 それこそが今回、第四回目のラストに皆でうたったディランの「アイ・シャル・ビー・リリースト~ I Shall Be Released 」なのだと思う。

 この企画が確定すれば、またこの件詳しくお知らせしたい。さらにはオープンマイク枠での参加者を多く募りたい。