別れは突然に ― 2016年09月08日 08時36分04秒
★母は、本日早暁なくなりました。励ましと応援、諸事有難うございました。
今もまだ実感ないし、この事実、現実をどう受け取って良いのかわからない。母は、今も下の介護ベッドで変わらぬ姿のまま静かに眠っている。その顔は穏やかで、熟睡しているとしか思えない。
が、もう息はなく、先ほど葬儀屋さんがドライアイスなどを用意して、簡単な焼香ができるように、ろうそくと鐘など全部整えてくれたのだ。
たぶんこれから葬儀に向けてものすごく慌ただしくなるので、ごく簡単にお知らせしておきます。午後、葬儀社の方と打ち合わせして葬儀日程などはっきりさせていくことになるとのことです。
昨日は、一日便が止まらない状態で、少しうとうとすると、また腹が痛み出し、オムツに便が出る。そうしたことの繰り返しで、その数は10数回にも及び、深夜からそれが続いたため我はその都度起こされては介助しておりました。
昼過ぎに訪問看護士が来て、状況を説明して200mlの点滴を腹から入れたのですが、要するに腸を休ませないとと言われて、朝は軽く無理して食べさせたものの午後も晩飯も食べずにひたすら寝てました。
しかし少し静かに眠っていたかと思うと、母は、お腹痛い、苦しいと騒ぎ出し、その都度腹部を軽く撫でたり、下痢止めの薬などを飲ませていたのですが、便の回数は止まらず、少量でもオムツを交換したとたんや、その途中でも出てしまい、当人もいったいどうしちゃったんだろう、助けて助けて、と我にすがっておりました。
我は、そんなで睡眠不足のまま、夕方から母の隣の床でマットにシュラフ敷いて寝てたのですが、日付が変わっても数十分おきに便はほんの少しでも出続け、その都度オムツの、パッドだけでも交換して他のですが、やはりその作業すら我の手際の悪さもあってかなりの疲労となっていたようです。
けっきょく、3時半頃、日付が変わってから四度目かのオムツ交換して、口だけでも潤そうと吸い飲みで水を口にふくませたところ、つい量が多かったのか母はむせて苦しがり、ヘンな咳が出始めました。
そのあと、口をうがいしたいと言うので水をまた飲ませたらそれは吐き出さず全部飲んだら呼吸がヘンな風になって、うまく息が出来ていない感じなので、呼吸が弱く少なくなりました。声かけても反応はありません。慌てて訪問看護センターに電話し相談したが、さらに苦しそうなので119番の救急車に手配、彼らはわりとすぐ来てくれたものの、その時点で心肺停止と診断され、心臓マッサージや酸素吸入など立川の病院に行くまでずっと車中も手を尽くしてくれたのですが、向うで死亡確認となりました。
私としては、何がなんでも今月の20日辺りまでは家で面倒見て、ともかくそこまで我も倒れず頑張ったら、ホスピスなど次の段階に移行を、と考えていたのです。そしてそれは可能だと信じてました。
が、まったく想定外というか、あまりに突然、そんなふうに誤嚥して息が出来なくなって死ぬとは思いもよらぬ出来事でした。
今はまだ実感は何もありません。父は戻って来た母の遺骸に縋り号泣しておりましたが、私としては、ただただこれから葬儀までの手順で頭がいっぱいです。
親戚やケアマネや、親しくしていた関係者にまずは早朝からでんわしまくって、母の急な死を伝えて、今これを記してます。
母は、その当日まで意識はあり、言葉を発するのはだいぶしんどくなっていましたが、まだまだこれなら大丈夫だと我は安心してました。ただ、急な多発する下痢に頭痛めて、いったいどうしたものか、入院させたほうが良いのか、と訪問看護ステーションとも明日医師とはかって指示を仰ぐ予定でした。
まさか、こんなふうに突然の別れが来るとは。まだまだできることはあったし、話したいこともたくさんありました。まだその時間はあると信じていました。
今はただ悔いだけです。最後は我も睡眠不足でぼうっとしてつい母に、小言まで言ってしまいました。一番苦しいのは母当人なのに、ついこんな状態がいつまで続くのかと溜息ついて母を責めるようなこともこぼしてしまいしました。
今は、母にただただ詫びています。最後の最後でつい弱音吐いて、愚痴こぼしてごめんねと。
私がもっとがんばれたら、愚痴などこぼさなかったら母はもう少し生きていたはずです。つい弱音を吐いて、このままだと息子も倒れてしまうと母を責めてしまいました。
もっともっとその日まで、できることもあったしすべきことも多々あったのに、けっきょくは日々の食事と洗濯、オムツ交換だけに追われて何一つできませんでした。
そして今これもまた母の愛なのかと思うしかありません。今は悲しみ以前に悔いだけが、私を責めてます。ただ、正直なところ、ほっとしたような気持ちも今あることも恥ずかしながら告白します。
でもでもでも、母にはもっと生きていてほしかった。我はがんばった。が、最後でつい弱音を吐いてしまった。
覚悟も想定もしていたのに、こんな風に突然最後の時が来るなんて。
まさかこんなに早く永遠の別れが来るとは。
拙ブログの読者のみなさん、本当に励ましと応援、ありがとうございました。ただただ感謝です。皆様にも神の恵みとご加護がありますように。
母はまだ眠っています。数時間前と変わらずそこにいます。たぶんこれからも母はわが心のうちでいつまでも生き続けることでしょう。
本当にこれまで多々ありがとうございました!
今もまだ実感ないし、この事実、現実をどう受け取って良いのかわからない。母は、今も下の介護ベッドで変わらぬ姿のまま静かに眠っている。その顔は穏やかで、熟睡しているとしか思えない。
が、もう息はなく、先ほど葬儀屋さんがドライアイスなどを用意して、簡単な焼香ができるように、ろうそくと鐘など全部整えてくれたのだ。
たぶんこれから葬儀に向けてものすごく慌ただしくなるので、ごく簡単にお知らせしておきます。午後、葬儀社の方と打ち合わせして葬儀日程などはっきりさせていくことになるとのことです。
昨日は、一日便が止まらない状態で、少しうとうとすると、また腹が痛み出し、オムツに便が出る。そうしたことの繰り返しで、その数は10数回にも及び、深夜からそれが続いたため我はその都度起こされては介助しておりました。
昼過ぎに訪問看護士が来て、状況を説明して200mlの点滴を腹から入れたのですが、要するに腸を休ませないとと言われて、朝は軽く無理して食べさせたものの午後も晩飯も食べずにひたすら寝てました。
しかし少し静かに眠っていたかと思うと、母は、お腹痛い、苦しいと騒ぎ出し、その都度腹部を軽く撫でたり、下痢止めの薬などを飲ませていたのですが、便の回数は止まらず、少量でもオムツを交換したとたんや、その途中でも出てしまい、当人もいったいどうしちゃったんだろう、助けて助けて、と我にすがっておりました。
我は、そんなで睡眠不足のまま、夕方から母の隣の床でマットにシュラフ敷いて寝てたのですが、日付が変わっても数十分おきに便はほんの少しでも出続け、その都度オムツの、パッドだけでも交換して他のですが、やはりその作業すら我の手際の悪さもあってかなりの疲労となっていたようです。
けっきょく、3時半頃、日付が変わってから四度目かのオムツ交換して、口だけでも潤そうと吸い飲みで水を口にふくませたところ、つい量が多かったのか母はむせて苦しがり、ヘンな咳が出始めました。
そのあと、口をうがいしたいと言うので水をまた飲ませたらそれは吐き出さず全部飲んだら呼吸がヘンな風になって、うまく息が出来ていない感じなので、呼吸が弱く少なくなりました。声かけても反応はありません。慌てて訪問看護センターに電話し相談したが、さらに苦しそうなので119番の救急車に手配、彼らはわりとすぐ来てくれたものの、その時点で心肺停止と診断され、心臓マッサージや酸素吸入など立川の病院に行くまでずっと車中も手を尽くしてくれたのですが、向うで死亡確認となりました。
私としては、何がなんでも今月の20日辺りまでは家で面倒見て、ともかくそこまで我も倒れず頑張ったら、ホスピスなど次の段階に移行を、と考えていたのです。そしてそれは可能だと信じてました。
が、まったく想定外というか、あまりに突然、そんなふうに誤嚥して息が出来なくなって死ぬとは思いもよらぬ出来事でした。
今はまだ実感は何もありません。父は戻って来た母の遺骸に縋り号泣しておりましたが、私としては、ただただこれから葬儀までの手順で頭がいっぱいです。
親戚やケアマネや、親しくしていた関係者にまずは早朝からでんわしまくって、母の急な死を伝えて、今これを記してます。
母は、その当日まで意識はあり、言葉を発するのはだいぶしんどくなっていましたが、まだまだこれなら大丈夫だと我は安心してました。ただ、急な多発する下痢に頭痛めて、いったいどうしたものか、入院させたほうが良いのか、と訪問看護ステーションとも明日医師とはかって指示を仰ぐ予定でした。
まさか、こんなふうに突然の別れが来るとは。まだまだできることはあったし、話したいこともたくさんありました。まだその時間はあると信じていました。
今はただ悔いだけです。最後は我も睡眠不足でぼうっとしてつい母に、小言まで言ってしまいました。一番苦しいのは母当人なのに、ついこんな状態がいつまで続くのかと溜息ついて母を責めるようなこともこぼしてしまいしました。
今は、母にただただ詫びています。最後の最後でつい弱音吐いて、愚痴こぼしてごめんねと。
私がもっとがんばれたら、愚痴などこぼさなかったら母はもう少し生きていたはずです。つい弱音を吐いて、このままだと息子も倒れてしまうと母を責めてしまいました。
もっともっとその日まで、できることもあったしすべきことも多々あったのに、けっきょくは日々の食事と洗濯、オムツ交換だけに追われて何一つできませんでした。
そして今これもまた母の愛なのかと思うしかありません。今は悲しみ以前に悔いだけが、私を責めてます。ただ、正直なところ、ほっとしたような気持ちも今あることも恥ずかしながら告白します。
でもでもでも、母にはもっと生きていてほしかった。我はがんばった。が、最後でつい弱音を吐いてしまった。
覚悟も想定もしていたのに、こんな風に突然最後の時が来るなんて。
まさかこんなに早く永遠の別れが来るとは。
拙ブログの読者のみなさん、本当に励ましと応援、ありがとうございました。ただただ感謝です。皆様にも神の恵みとご加護がありますように。
母はまだ眠っています。数時間前と変わらずそこにいます。たぶんこれからも母はわが心のうちでいつまでも生き続けることでしょう。
本当にこれまで多々ありがとうございました!
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