死者の国と生者の国2016年09月13日 17時38分35秒

★死者と我々を分かつもの

 もう少しブログ書かせてください。

 妹は今日の昼過ぎ、新幹線でまず小倉に向かって帰った。たぶんまだ車中であろうか。
 その妹を乗せて立川まで送り、その後、母が生前ずっとかかりつけだった相互病院に、支払いに行った。

 8日の早朝、もう心肺停止となった母を乗せて救急車で行き、当番の女医さんに診てもらい母の死亡診断書を書いてもらった。さらに死後の処理代、着替えさせられた浴衣代など、総計2万いくらかが未払いとなっていたのだ。

 何しろ、救急隊が到着し大慌てで、いつも母が使っている、保険証などの入っている手提げ袋だけひっつかんで救急車に飛び乗ったから、お金は母の小銭入れしかなかった。
 で、当然のこと万単位の金は持ち合わせがなく、後ほど清算ということで、手配した葬儀社の車で母の遺体と共に帰って来たのだ。
 いつまでもその金を払わずにいられないし、ちょうど妹を送る用事もあったので、行って支払った次第。

 それでも受付会計で、かなり待たされた。そしてその病院の入り口、出口を行きかう人々を見ながら、ああ彼らは皆、生者、生きている人なんだと不思議な気持ちになった。
 そう、車椅子やどんな怪我しようと、入院のパジャマ姿であろうと彼らはまだ生きている。母もついこの前までは、ここに来て、待合のソファーに座り、自ら会計を済ませていた。ふと、その後ろ姿が思い出され、つい目で母の姿を追ったが、当然のこともうここにはいない。母は死んでしまった。今は骨だけが白く冷たく木箱に入って我が家に置かれている。

 かつてこの病院に、我は何度も何度も通い、入院している父を母を見舞い、あるいは彼らの救急外来、入退院の度に窓口に通った。母もまたそこのソファーに腰かけ、清算のとき名前を呼ばれるまで何度も何度も待っていた。
 そのときはまだ生きていた。そして我々の側、こちら側、生者の世界、生の国にいたのである。しかし、もう母はここにもこちら側のどこにもいない。
 残念なことに、あちら側、死の国、死者の国に旅立ってしまった。そのときの手続きのための代金を今ここで、我は支払っている。すごく不思議な名状しがたい気分になった。

 病院とは、ある意味、空港でいうところの搭乗手続きのロビーのような場所なのだ。ひとたび渡航審査を終えて、パスポートにスタンプを押されて出国ゲートを越えてしまえばもう戻ることはできない。
 母は9月8日に、ここからその手続きを終えて、死者の国へと旅立ってしまった。空港ならば、また帰国することも可能だが、こればかりは一方通行的旅立ちで、二度と帰ってはこれない。

 我々はまだこちら側にいる。死者の国と我々の国とは、水と油以上に隔絶している。水と油ならば、マヨネーズのように融合して一つにもなれる。その国は確かに存在していると思う。が、我々は行くことができない。
 いや、いつかは皆が行くわけだが、行ったらもう二度と戻れない。だからその国のことは我々は誰もわからないしうかがい知れない。
 母はその国へと旅立ってしまった。我はそのための費用を今日支払いに行った。病院の待合室に集う人たちを見ていて、我らはまだここにいる。どんなに病み衰えてもこちら側にいる。我らと母との彼岸を、その距離をいやでも考えさせられた。

 我は母をその彼岸入りの頃までは生かして、こちら側に置いておくつもりだったがかなわなかった。

 死者の国、その国へは誰もがわたる。しかし、一度行ってしまった人は二度と帰らない。そう、ここに、この病院に母はずっと通い続けた。何度も入院した。手術もした。が、もう二度と来ることはない。

 支払いを済ませて車を出した。少しだけ泣きながら母の遺骨が待つ家路を急いだ。

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