「ぶらいあんず」新メンバー募集中2016年12月27日 22時21分54秒

★音楽を愛する方ならばどなたでも

 我マス坊が、本年友人知人たちと始めた音楽活動ユニット、『さみだれ楽団ぶらいあんず』であるが、谷保かけこみ亭での「反戦歌コンサート」などに、前座として登場したものの、その後、諸般の事情で休止状態となっている。
 その原因は、何といってもマス坊の母の容態が悪化して、同時期に父も病院内で骨折したりと老親二人の介護に追われてまったく時間がとれなくなってしまったからだ。
 やむを得ない家庭の事情ではあるけれど、メンバーの皆にはただ申し訳なく思う。

 そして既知のごとく母は亡くなり、三か月が過ぎ、死後の煩瑣な雑務処理もほぼ終え、我としては音楽の活動を再開すべきときが来たと思えてきた。
 ただ、メンバーの一人が、確認したわけではないが、練習も含めて今後の参加は難しいようなので、改めてこれからどういう編成でどんな活動をやっていくか再考している。
 むろん、いわゆる通常のバンド編成のように、ギター、ベース、ドラムとか、それぞれ担当が決まっていて、そうしたメンバーを求めているわけではない。

 そもそも我の考えている「音楽」のカタチは、ある楽曲を演るとして、その曲に参加できる人は、コーラスにしろ楽器にしろ、自由に誰でも参加してもらえたらと、いうものだ。
 例えば、誰でもよく知っている曲、フォークソングのスタンダードがあるとする。レッド・ベリーのグッドナイト・アイリーンでもいい。
 それをステージでやるとしたら、ボーカル、ギター、フィドロ(バイオリン)、マンドリンなど、できるだけ多彩な楽器で、楽しく唄い演奏したい。他にバンジョーやアコーディオンなども入ればもっと楽しく面白くできる。
 フォークソングというのは、元々は村祭りの余興、演芸のようなもので、日本のお神楽がそうであるように、その時々集まれる人たちが集って、各自できる楽器を持ちより、スタンダードの楽曲を自由に唄い演奏するものだったのである。
 ヒルビリーというルーツミュージックがそもそもそうであって、農民たちが村の寄り合い所的食堂などに仕事休みのときなどに集まっては、一杯やりながらだらだらと知ってる楽曲を演奏していたものだ。
 農民や職人、アマチュアでも、子供ときから家には様々な楽器があり、カーターファミリーのように代々家族で音楽に親しんできているから、皆かなりの芸達者なのだ。
 うたが上手い人は、立ち上がって唄うだろうし、楽器はボロくても腕は確かで、それぞれが得意な楽器でフリーセッション的に音楽にいそしむ。誰でも参加自由である。
 そうしたフォークソングの原初のかたちを、示すことはできないものか。そのスタイルは我にとって憧れであった。

 じっさい、様々なフォークシンガーのライブを企画してみると、フィナーレのときにやる、出演者全員での〆の曲などは、キーだけ確認しておけば、あとは自由闊達に、交互に歌ったり、楽器のソロを聴かせたりと「回す」ことができる。それは皆、経験豊富なベテラン、プロだからだが、たとえアマチュアであろうともしっかり練習を積めば、やがてはそうしたことは可能だと考えた。
 ぶらいあんずはそうしたスタイルで活動していく楽団だから、メンバーは固定でなくても良い。しかし、いきなり素人が集まって何かできるはずはなく、まずは課題曲、楽団のレパートリーを決めて、練習を積み重ねて行かねばならない。

 新メンバー募集と書いた。だからメンバーとして常に活動を共にしないとならないということもない。しかし、ステージに出るならば、事前に腕は確認しておかねばならないはずだし、そのためには事前に集まって練習はしないと恥かくだけだろう。
 音楽経験の有無はまったく問わない。が、練習にできるだけ参加できることだけが条件で、たとえばの話、事前に課題曲の譜面やカラオケ的なものはこちらでCDなどに焼いてお渡しするので、各自まず聴いて私的に練習したうえで、月一でもどこかで集まって「音合わせ」をする。
 そうして少しづつでも楽団としての腕を上げて、ステージなど、人前で活動していく。音楽が好きで、練習にできるだけ参加してもらえるのなら性別年齢、経験はまったく問わない。楽器は何もできなくてもうただけでの参加だってちっともかまわない。あるいは裏方的お手伝いでも。
 我らが多少でも手ほどきできる楽器ならば、またギター教室のようなこともやるので、音楽の経験が全くない素人でもご安心を。

 大事なことは、うたや音楽が好きだということ。それらを通して何かを伝えたい、表現したいという思いがあること。巧拙はいっさい問いません。こちらも下手くそですから。
 ただ、うたの場、音楽の場をできるだけ広く、誰でも参加できるような場を作っていきたいと願う。
 うたとは、音楽とは、ただ椅子に座って聴くだけのもの、あるいはYouTubeなどで、ぼんやり眺めるものではなく、自らがまず唄い奏でるものだと信じて。

 ちなみに「さみだれ楽団」という名称は、昔デモ行進でよく使った言葉、集会後参加者各自勝手に解散する「さみだれ解散」からとってつけた。誰でもバラバラで各自自由参加、自由解散でやっていきたい故に。

我が人生にもっと手間暇かけていく2016年01月27日 22時14分03秒

★庭木の手入れに三日かけた話    アクセスランキング:126位

 ようやく記録的寒波は関東では過ぎ去ったようで、今日は一日ぽかぽか陽気の春の一日となった。
 月曜から続いていた拙宅の庭木の伐採、職人を招いての作業はようやく今日水曜の午後3時にやっと終わった。この三日間その作業の立ち合い的対応に追われて我がことは何もできなかった。
 落ちた木っ端クズを集めたり道を履いたり、下から樹上の職人に切る枝の支持を出したり、じっさいの力仕事や高所での伐採作業は何一つしていないのにただ寒い野外で立ち尽くしているだけでかなり疲れ夜も起きてられず早く寝てしまった。

 庭木は、イチョウだけでなく、ついでにケヤキから月桂樹、山茶花などの低木までほぼ全て丈詰めて、ちんちくりんに刈り込まれてしまった。
 今の我が家は、頭髪でいえば五分刈りどころかもうつるつるの出家した坊さん状態である。心なしか庭さえも広くなった気がしている。

 実はそれほどもう何年もほとんど手入れせずにほったらかしにしてきていたのである。庭木の手入れは母がやっていたのだが、老いたのと癌などで体調すぐれず体力も落ちて四季折々刈り込んだりせねばならないのが常に後手後手となり草木は伸び放題となっていたのだ。頭髪でいえば、ニューミュージック的ロングヘア―ではなく、ホームレス的見苦しい長髪であった。それがこの三日間、職人三人の奮闘で、まさに床屋に行って全部剃り上げて来たような庭となってしまった。
 母はこれですっきりしたと大満足であるが、我としてはまたすぐに生え伸びるとは思うものの、妙にうすら寒いような淋しい気持ちにややなっている。何もここまで切らなくても良いだろうにと。そして鬱蒼としていた庭が綺麗さっぱりしてしまうと妙に落ち着かない。床屋から出て来たときみたいに恥ずかしい。

 が、今回ここまで切り詰めて刈り込めば、イチョウもケヤキも今年の秋の落葉はずいぶん少なくなるだろうし、枝もずいぶん短く詰めたので我一人でも剪定はかなり楽になったと思える。だからこの数年母を悩ましていたご近所との落葉をめぐるトラブル、軋轢はしばらくは解消されるのではないか。じっさいやいのやいのと口うるさく口さない罵詈雑言が飛び交い、それもあってストレスで母の癌は悪化したのだと思えるほどだ。それほどご近所の人たちは容赦なくあからさまに文句を並べ立てていた。
 今回、母は癌再発したこともあって、思うところあってもう息子に任せて息子が恣意的に、そのうち時間のあるときに切る、なんて言うのをアテにしていては根本解決はしないと考え、金払って業者に頼んだのは英断であったかと今は思える。

 そして今自分もこう思った。今までは庭先のことは親任せにしてきたこともいけなかったし、庭と言えども、いや、室内よりも外から丸見えになる、道を通る人誰でも目にする場所だからこそもっと気を使いきちんと綺麗にしていかなくてはならなかったのだと。 
 今までは何にせよ、忙しいことを言い訳に、庭先にしろ室内にしろ基本ほったらかしにしてきていた。今抱えているこの問題が終わったら、一段落して落ち着いたらと、常に後回しにしてきていた。
 まさにある意味、無頼であったと思う。結果としてそれで良いことなんか一つもなく、ただだらしなく収拾がつかず混乱の極みに達しすべてがゴミ屋敷化していくばかりであった。
 そしてようやく、今回まずは伸びるに任せて来た庭木から職人を使って手を入れることができた。室内は家政婦とかヘルパーを雇うことはできないが、今年これからは、意を決して溜まったゴミ化したものは捨ててすっきり快適な家にしていかねばならない。

 今改めて思う。目先のことや、自らやりたいことに囚われて、もっと肝心なこと、日々の生活の維持管理を我は常に後回しにしてきたのではないのかと。本来はまずそのことをきちんとやれて、つまりサラリーマンなら糊のきいたワイシャツとプレスのしっかりしたスーツ、磨き上げた靴でビジネスに向かうように、まずは自分の生活環境をきちんと整えてから何事も始めるべきであったのだ。

 我は「食」にはかなり時間と手間暇かけ、たぶん普通の人よりコダワリを持って対処している。できるだけ手作りを旨として。が、衣食住のうちの残り二つは、衣類も住居もまったくほったらかし、放擲してきてしまっていた。見かけや着るものに構わないのはともかく、特に住まいにはもっと時間かけて真剣に向き合わねばならなかったのだとやっと今わかった。
 生きるとは人生とは、まずきちんとした誰からも後ろ指さされない快適な住環境を人任せでなく自ら築いて、それからじっくり向き合っていくものなのだと今にして気づく。
 そう、何をやるにせよ全てのことはまずそのためのきちんとした環境とシステムを作ってから始める、始まっていくのであった。自分のダメさは、その手順を考えなかったことに由来していたのである。

今年後半の予定などを記す。2015年05月31日 08時28分12秒

★これまでのこと、これからのこと            アクセスランキング: 176位

 涼しかったのは、ほんの一日そこらであった。また今日も朝から暑い。

 今日、5月31日。今月も終わる。本来はまだ春の季節に数えられる五月なのに、真夏を思わせる30℃を超す暑い日が何日も続いた異常な年であった。エルニーニョとか原因はあるのかもしれないが、これもまた地球温暖化の激化がもたらす恒常的な異常事態なのであろう。一時的な異常が続けばそれが平常、日常的、例年となっていく。

 クーラーはどこにいても欠かせないし、そうした現代文明に依存する限り、何だかんだ言っても原発依存は避けられないような気がしている。原発不要の信念は変わらないが、脱原発を政府に求めるならば、自ら電気をできるだけ使わないことと、使う電気は自ら作ることをしていかねばならないと考える。あるいはアーミッシュの人たちのようにこの文明をいったん過去に戻すことを模索していくかだ。
 さておき・・・

 我がことを記せば、先月をもって長年近くに借りていた倉庫を何とか撤収して家主に返すことはかなったが、その余波というべき「結果」が今も収まっていない。

 そこにあった古本類は、山梨の古民家に運びこんだが、それ以外のもの、まず向こうから来たガラクタ、セトモノ類、チラシなどの紙ゴミ類、それにLPレコードの詰まった箱がどっと我が家に押し寄せ、ゴミ類はじょじょに処分してはいるが、捨てられないものも今も多々あり未だただ困惑している。早く何とかせねばと焦ってきている。

 つまるところ、そのときどきどう処理すべきか迷い判断保留にしてきたモノを、これまではともかく「とりあえず」倉庫に投げ込んできた。本来すべきは逐次、それが来たり溜まった段階でどう扱うべきか、判断し分別処理していくべきことであった。

 つまりこれからも使うもの、必要となるものはわかるようにフォルダに入れて分別保存し、そうでないものはすぐゴミとして処分し減らしていく。そうした当たり前の作業を忙しさという怠け心を理由にサボり、倉庫というスペースがあったからそこに、そのうち時間できたときに整理しようとひたすら溜めてきたのであった。そして倉庫の撤収でウチに戻ってきたのだ。

 まあ、今さらそれを言っても悔やんでも仕方ない。ウチに押し寄せた、そうした未整理未分別のモノどもを少しづつでも確認して、残すものは残し、使うもの使えるものは使って、他は捨てるしかない。そうしないと無頼庵の活動じたいスペースがなくて始められない。
 
 ただ、今月は、かなり無理した先月の移動作業の疲れがどっと出たものか、大型連休から体調崩してひたすら寝込んでしまった。腰痛はさほどではないが、心身ともに疲労感が強く、気持ちも萎え、めまいやふらつきもあって夜になると頭痛がひどく起きていられず、すぐ寝てしまいブログさえもきちんと書けない始末であった。

 危機感高まる政治情勢に、もっと外に出てアクション起こして、非力ながらも一民意を示さねばと思うのだが、無理すれば半病人が本物の病人となりそうで、医者通いや入院したりすると面倒となるので、思いはあっても、家でじっとひたすら暑さに耐えて横になるしかなかった。

 が、とにもかくにも7月25日、谷保のかけこみ亭での「反戦フォーク」コンサートが決定したので、ようやく今後の方向性だけは見えてきたから良しとしたい。

 ※長くなるのでもう一回別稿で書き足していきます。

無頼庵6月から再開します。2015年05月26日 21時31分26秒

★まずはレコードコンサートと「音楽教室」を              アクセスランキング:162位

 体調悪いときに、山梨へ行っても向こうでも何もできず、積んだ荷物だけ下ろしてあとはひたすら寝てばかりいた。

 おまけに高速はどこも工事渋滞十数キロという表示が出ていたので、金払って渋滞に巻き込まれるバカはいないと、けっきょく一度も高速には入らず大垂水峠を越えて高尾周りで帰ってきた。ただ疲れに行ってきたようだ。夜のくねくね山道をひたすら走ったのでまたメマイがしている。

 さておき、いつまでもこもって鬱々としていられない。無頼庵の活動再開は、まずは映画塾をという話であったが、予定も出てないようなので、いちばんはじめやすい簡単な活動からやっていくことにした。
 レコードコンサートだ。

 先にちょこっと記したが、借りてた倉庫から小さい中古レコードショップ一軒分ぐらいの量のレコードが返ってきた。レコードは山梨に持っていく考えは今のところないので、その置き場に頭痛めている。
 しかし、売り物にする気もないので、ともかく聴いてもて屑みたいなものや重複して持っているものは処分していくしかない。何しろいったい何があるのか、自分は持っているのかきちんと確認していくことからだ。
 在庫リストも作成したい。実のところそれらのレコードは数寄屋橋のハンター他で、昔狂ったように買い漁ったものでたぶんきちんとほとんど聴いてもいないのだ。どうせ一枚100円ほどので屑レコードだから捨てても良いが、ともかく聴かないことには始まらない。

 というわけで、今更このご時世だが、懐かしのレコードコンサートを月一間隔で始めたいと思う。毎回テーマを決めてかけていく。たぶん今の若い人はレコード盤そのものも未知のメディアであろう。
 美味しいコーヒー淹れてレコードをかけただそれを聴く。それだけのことだから客人や参加者があっもなくてもちっとも困らない。

 日程決まったらまずお知らせします。予約も不要です。ついでにギターも含めた音楽教室のようなことも希望者あらば再開したいと思ってます。

うた仲間、音楽友募りたい2015年03月23日 22時24分35秒

★共に歌ったり音を出したりやる仲間募集します。           アクセスランキング: 126位

 昨日、久しぶりにマイユニット、みほこんずのメンバーが集まって少しだけ演奏やってみた。あの11月30日から全員が揃うのは初めてであり、音出しも当然ながら三か月半ぶりとなる。
 再び活動続けることも確認できたことは何より喜ばしかったが、何といっても楽器を持ちよりレパートリーを再演したりセッション的に合わせるだけでもとても楽しかった。むろん皆で一緒に歌うこともだ。皆で音楽を演る楽しさを味わった。

 音楽というのは、基本は個々の個人がそれぞれ練習しその成果なり精進ぶりを示すものであるけれど、本番のそれよりも一番楽しいのは、集まってわいわいがやがや騒ぎながらじっさいに皆で音出して歌って曲をカタチにしていくことだといつも思う。
 本番はその成果、最良の結果を人前で出せればただ良いだけで、そこには満足感は得られたとしても楽しみはあまりない。うまくいかなくても練習という行為こそ音楽をつくり上げて行く共同作業で、個人的にはいちばん好きだ。
 逆に一番つまらないのは、一人でギター弾いて誰もいないところで練習のために歌うことで、むろんそれこそ大事かつ必要な基本行為なのだが、三回ぐらいやるとすぐ飽きてしまう。ちっとも楽しくも何ともない。

 そして実際に揃って久々に音出した後、溜まっていた倦んだ気持ちや淀んだ悪い想念のようなこれまで抱えていた鬱々としたものが消えてしまったことに気がついた。音楽、聴いたり一人でするのではなく、それも皆で演る音楽こそが気分を変え人を元気にさせることだと思い至った。

 ただなかなかメンバー全員で揃うことは難しい。我はともかくみんな忙しくてスケジュールが合わない。ならば、某真黒毛ぼっくすのように不定形の楽団として活動するという手もあると気づく。じっさい敬愛するさこ大介さんの大介バンドだって、フルメンバー揃っての練習やコンサートは年に数回でしかない。たいがいは二人、三人単位のユニットで演っている。
 ビートルズは四人そろわないとビートルズではないが、それはプロとして活動を求められたからであり、そもそも音楽の形態はもっとゆるく自由であってもまったく構わないはずではないか。

 共に音楽をやりたいと思う者ならば、楽器が何か一つでもできなくてはならないということも必須条件ではないと考える。楽器なんかできなくてもうたったりコーラスつけたり、足踏みや手拍子するのだって音楽の行為には違わない。あるいはただそこにいて聴いたり意見してくれることだってメンバーだと言えるのではないか。

 今まで何かをやることは、どこであれやはり何かの条件や約束、契約のようなことがまず前提にされてきたと思う。つまりギター教室なりワークショップやると発表し宣伝すれば、その参加者には相応の義務とやる気、責任のようなものが求められたし、こちらもやはり求めていた。
 しかし、それは前提条件ではない。音楽と音楽の場があることが前提であり、関わり方はじっさいどうでも良いことであった。つまり、もともとプロでもないし、金とっての商売としてやっているのではないのだから、もっと自由に、良い意味でルーズであって何が悪いのか。
 つまり皆忙しいのなら、来る者は拒まず来ない者はそれで良し、去る者もまたかまわないというスタンスでやるのが誰にとってもいちばん楽だろう。

 昨日久々に皆で揃って少しでも音出し練習やってそのことに気がついた。誰でもかまわない。音楽なんかやったことなくてもかまわない。もし楽器ができるようになりたいのなら基本的なことなら教えもするし、多少の知識もある。アドバイスもできるかもしれない。
 問題ひとつ。そうしたこと、歌ったり聴いたりする音楽が好きであってほしいだけだ。年齢も経験もいっさい関係ない。

 『バンドメンバー募集』 と記すと、それなりの本気さやレベル、経験も関係してくる。でもそんなことは大事だとは考えない。集まってわいわいがやがや音出すのが、歌うことが楽しく好きかどうかということけだ。
 幸いウチにはギターだけでなくキーボードやウクレレなどもある。それらは人に教えることはまだできないが、まずこの我から練習続けて多少は弾けるようマスターしていきたい。
 夢はいろんな楽器を持ち寄って、スタンダード曲をセッションして回すことができるような仲間たちが揃うことだ。二ユーロストシティやディキシーズ・ミッドナイト・ランブラーズのような形態の即席バントができないものか。
 考えてみれば高田渡がやりたかったことは、若き日の武蔵野たんぽぽ団しかり、ヒルトップもしかり、ずっとそうした形態の音楽、セッションバンドであった。今更ながら亡き人の思いというか気持ちがわかってきたということになる。

 焦りも急ぎもしない。音楽は逃げやしない。ただ少しでも歩を進めていくことだ。新たな出会いもあるだろう。巧い下手は関係ない。まず出会いがあり関係が続きそしてその先に見えてくるもの、辿りつく場所がある。
 無頼庵のこれからの活動方向がようやく見えてきたような気がしている。どなたでも来られて音楽活動を一緒にやりませんか。

実人生のリストラクション2015年01月27日 08時35分05秒

★とりあえず今年前半期の予定として               アクセスランキング: 179位

 雨上がりの暖かく爽やかな朝だ。近くのホームセンターの園芸売り場には色とりどりの春の花々の鉢がいっぱい並び始めた。しっとりした空気を胸いっぱいに吸い込んだ。もう春なのだ。

 どんなに好きな大切な人がいたとしても残念ながら人は他人の人生をどうにかすること、何とかしてやれることは何もない。これは厳然たる事実である。別個体であるがゆえだ。どうにかできると考えるのは絶対的間違いである。
 むろん応援や支援、励ましはいくらでもできる。様子見も含めて手助けは様々なかたちできる。しかしその人の人生はその人のものだから最終的決断や選択はその人のもので他者は関われないしどうこうしてはならない。尊重すべきである。それこそが自己責任であり、個々それぞれの人の大切な人生なのだと思う。

 その大事な他者に対して我の無力さに暗澹たる気持ちにもなるけれどだからこそ、ナザレのイエズスは説いた。「汝の欲することを隣人にもせよ」と。自分がしてほしいことを他者にして我が身のように愛せよと。
 せめてその一点のみでも徹して他者を愛していくしかない。そう心して生きていくしかないわけだが、自分が望むことでも他者にとっては不要かつよけいなこと、望まぬ場合も多々あるのでなかなか難しい。思う気持ちは伝わらない。

 とにもかくにもシリアで狂信者たちに囚われた日本人人質の無事解放を我々は祈ることしかできない。

 さて、1月もそろそろ終わる。2015年の予定を出さねばならないのだが、今後について迷うところもありなかなか決められなかった。映画塾も詩の朗読ライブも、また音楽のライブも話は昨年から出ているのだが、いろいろあって日程確定できず、ずるずるとここまで来てしまった。もし期待して待たれた方がいたとしたらまずお詫びしたい。

 今月中に日時を発表して2月から無頼庵の活動をスタートすると年明けには考えていた。が、関係する何人かが体調を崩したり連絡がうまくとれなくなったり予定だけ先行させるわけにもいかずなかなか決められなかった。
 そしてなにはともかく過去の、終えたイベントの後始末もまだきちんと終えていないどころかどうすべきか先が見えていない。むろん並行してまた新たなことに取り掛かり動き出すということもできよう。しかし今年のモットーは、すべてきちんとさせていく、としたこともあり、これまでのように常に先へ先へと過去を過ぎたこととしてほったらかし、放擲することは絶対にすべきではないと考えた。

 また、これは個人的なことだが、昨年の大きなイベントもあったことで、今経済的にとても苦しくなった。昨年後半からいろいろ必要経費としてあれこれ機材なども買い込んだりしたこともあり、出費が重なり、今年になって気がついたのだが、引き落とし用の通帳はずっとマイナスであった。
 マス坊は、Amazonとかからの入金とカード決済で引き落としされる銀行は別にしているのだが、引き落とし用の「ゆうちょ銀行」はいつしか、残高不足でもとりあえず引き落とし日に引き落とされるようになっていたのだ。
 毎月、カード会社とかから請求された金額をそのゆうちょの口座に入れて引き落とされていくわけだが、前月のぶんもそこに入れた額より引き落とし額が大きくて、足りないかなあと思っていたら何もトラブルはなかった。
 が、じっさいは、ゆうちょ銀行のほうから融資扱いで、立て替えてもらっていたようで、今月になり通帳を確認したらマイナスの数字が記されていて、さらに今月決済の額を入金したらしっかり貸付利子も引かれてしまっていた。こんなことは初めてである。知らぬ間に借金していたのである。

 今はたいていは生鮮食品以外に何か買うとすればAmazonとかからネット上でカードで買い物をする。ずいぶん音響、録音に関連した機材を買い求めた。またイベントでも出費が大きかった。カードは支払が一月以上遅れるので、まだ来月も請求される額は大きいはずだ。
 ハズカシイ話、そうしたことも考えてしまうと、今は金がなくて拙宅でさえもイベントが難しいと思えてきた。

 自分がやろうとしてること、外でのイベントでなく拙宅での集いのようなものでもやるからにはそれなりの準備や支度をせねばならない。つまりある程度の食材や飲料を買い求めたり事前の準備とその後の後片付けもしなくてはならない。
 それは苦ではないが、当日だけで終わるわけではないので、やはり相応に時間と金もかかってしまう。そして問題は、大概の場合、そうしたイベントは、先の「教育と貧困」もそうであったが、企画者側の持ち出しとなる。
 満席となっても赤という場合も多々あるだけでなく、基本まずいっぱい観客が来ることなどない世界だから、常に赤字、持ち出し出費となってしまう。ならばある意味、いちばん金を使わないのは何もしないことということになる。
 むろん金回りがよく、バブル期の企業のように、余った金をどう使うか頭を痛める人も今もいよう。しかし現実のはなし、決して金持ちでない、自分を含めてどちらかといえば低所得層の人たちが身銭を切ってこうしたイベントを開催しているのである。

 だから、イベントを企画するにせよ外では会場費など出費がかかるので自分は自宅でささやかにやり続けて行こうと考えた。が、今は情けない話、出費、支払いがかさんでしまいそれで金がなくて金がいくらかでもかかることが難しくなってきた。
 できなくはないしすべきだとも考える。ただ、今は、この数か月は溜まった支払いが終わるまでは新たなことは企画すべきではないと昨日考えがまとまった。繰り返すが何かをするには仕込みに金も時間もかかりそれが回収される保証はないのである。ならばそれをするのならばある程度の「余裕」がない限り本来すべきではないであろう。そして今はその金の余裕がない。先も見えない。

 そして金のこと、経済的なこととは別にして、これまでの自分がやってきたこと、まだきちんとカタチにしていない数多くのことも少しでもカタチにして関係した人たちに返していかねばならないと思い至った。
 つまりライブを企画したり参加しても撮ったり録ったものが忙しさにかまけてこのところ未だほぼ全て未編集なのである。大げさに言えば、自分が日本のフォークソングと関わりを持ち始めた高校生からの頃のものが、カセットテープなどでそっくりそのまま保管というより投げ出してある。それらをデジタル化しないとこのままでは消えて散逸してしまう。

 先だっての京都ほんやら洞全焼の報を知ってから、つくづくこうしたフォークソング文化はきちんと保存保管しておくべきであったと痛感した。世間はどう考えるかはともかく、自分が長年撮り録り溜めたそうした貴重なフォークソング関連の音源や写真をそろそろきちんと整理しバックアップとって管理していかねばと強く考えた。

 今までは暇になったらとか、落ち着いて様々な余裕出来たら腰据えて取り掛かろうと考えていた。いわば老後の楽しみのように。しかし、考えてみれば俺にはそんなときは絶対に来ないのである。世話してくれるパートナーもない孤独かつ狷介な老人はおそらく日々生きていくのに必死であろう。体が動く限り清掃員とか倉庫番とかやって生活費を得なくてはならない。

 家はあっても年金はないのである。そして生業の古本稼業も先も見えている。金が入ってくる当てはどこにもないのだ。

 しかしそんなことで絶望もあれこれ今さら悩みもしない。そういうところは基本がバカなので「明日のことは思い煩わない」。
 ただ、とりあえず、今年の3月までは拙宅でのイベントは休止し無頼庵での活動は休業としようと考えた。理由は先に記したようなことで、金欠ともう少しこれまでやってきたことの整理整頓、録り溜めたものを個々に作品としていく作業に専念しようと思った。自分自身の能力も高めたい。

 また何かを●日にやると決めてしまうとその準備と後始末がまたそこに加わる。何事も器用に並行してできる人はいるだろうが、自分は愚図だから一つのことしかできない。いや、一つのことすらきちんとできやしない。まずは足元を固めたい。
そう、本来の意味でのリストラ、つまり我が人生の再建と構築=リストラクションを進めて行こうと決意した。

 というわけで、とりあえず2015年は、3月まで無頼庵はお休みとします。個人的には、他の場所でスタッフ的に関わるイベントはいくつかあるのでまた個々に詳しく宣伝も兼ねて発表します。

 4月以降確定しているのは、詩と映画以外では、館野公一の世界新たな企画として再開することと、新しくライブシリーズとして女性シンガーにスポットを当てていく「今をうたうおんなたち2015」というライブを無頼庵で始めます。
 トップは、まずマス坊、10代の頃からフォークアイドル、憧れの人だった大好きな「よしだよしこ」さんが内定している。共演にみほこんをお願いする予定。楽しみにしてお待ちください。

12月23日(祝)無頼庵恒例・クリスマス謝恩ライブのお知らせとお誘い2014年12月07日 23時06分49秒

★今年も無事感謝の気持ちを込めてBryanクリスマス謝恩ライブパーティへどなたでもお気軽にご参加ください。        アクセスランキング: 104位



 今年もまた無頼庵では、クリスマスイブのイブの23日に、恒例のイベント、クリスマス謝恩フリーライブ&忘年会パーティを開催いたします。初めてご参加の方でもかまいません。皆でこの一年を振り返り、来年もまた無事に生き抜くためにも美味しい料理と素晴らしい音楽と楽しい語らいのときを皆で過ごしましょう。
 ミュージシャン、アーチストは基本無料招待、何か当日、唄うなり弾くなりパフォーマンスなりの芸をご披露頂ければ幸いです。一般の無芸観客の方は、¥1500円で何時間でも飲み食い観覧といたします。

 ★出演 さこ大介 みほこん&みほこんず(順&マス坊) 三留まゆみ&映画塾有志 他 司会進行*奥主榮(詩人) ※飛び入り大歓迎!

 ★開場 午後3時頃 終演予定午後11時頃

 ★当日はまた薪ストーブで焼いた鶏の丸焼きなど豪華なクリスマスディナーを提供いたします。乞うご期待。

 ★当日ふらっとご来場もかまわないのですが、プログラムと料理準備の関係上、参加される方は、願わくば前日までに来場時間と人数などご一報いただけると助かります。

★問&申し込み マスダ 090-8175-8479

これからのこと、年内秋口のこと2014年09月07日 21時10分23秒

たっつあんとその新潟の仲間たち
★改めて簡単に今後の予定など記す

 昨晩帰り道、ゲリラ豪雨で全身濡れたこととまた気温も下がりうすら寒くなってきたせいか、今日は喉がかなり痛く咳も出てきて風邪の症状が現れてきたので無理せず出掛けず昼食後は薬飲んでひたすら深く眠った。
 
 予定では所沢で、今晩はよしだよしこさんとソウルブラザーズのライブがあり、今後の相談したいことも種々あって、伝えてはなかったが行くつもりでカレンダーには印をつけてあったのだが、そんなで断念した。
 やはり連日の埼玉方面は今の自分の体力では無理があるし昨日さほど疲れなければ行けたかと思うが、気持ちも萎えてしまった。申し訳ないがここでまた無理して体調崩すと今後のイベントに大きく影響してくるはずだ。

 予定では、まず来週明け、火曜日にまた社員氏を招いて二人で山梨へ行って一泊してくる。洗濯機などウチからいろいろ運ぶものと向こうの片づけ作業も多々あり、涼しくもなってきたので精力的に作業進めに行く。10日水曜夕方には戻る。

 それと14日は四谷コタンでのみほこんのライブ。
 さらに19日には谷保かけこみ亭で豊田勇造ライブ。
 そして翌日20日は拙宅無頼庵での「館野公一」定例ライブ。

 どれも重要なライブを終えて、23日(祝日)には古民家片づけ隊一行として皆で山梨古民家ツアーが日帰りである。

 さらに27日土曜日は、タイから「カラワン」来日コンサートがある。
そして翌日28日は河辺での「月刊 中川五郎」9月号ライブが。

 それらの合間塗って、早めに11/30日の「詩人有馬敲&フォークシンガーライブ」の宣伝チラシを作成していかねばならない。今月内には完成させて広く配布していく。何としても10月5日の岡さんの浅草木馬亭には間に合わしたい。

 ウチ無頼庵でのライブは今のところ9/20日土曜日の館野公一さんだけだが、そんなこんなで慌ただしく宣伝もろくにできていない。が、いつも通り落ち着いた充実したステージを披露してくれるものと期待している。今さらだが宣伝強めて行こう。まだ席はかなりあります。どなたでもお気軽にウチに遊びに、聴きに来てください。

 先に記した、たっつあんの二枚組CDアルバムは、藤しんいちろうを通しても購入可能とのことなので、関心ある方はマス坊へ連絡ください。彼に手配いたします。たっつあんの40数年にわたる音楽活動の集大成、地元と生活に軸足を置いた確かな良い歌がいっぱいであろう。しかもアレンジャー・録音はあの天才クニ河内さんである。
 ※マス坊も早く手に入れて聴きたいのだが、いろいろ出費がかさんで今月を乗り切るだけで四苦八苦という有様で今回は断念してしまった。金は出る一方で入る当てがない。アベノミクスも色あせて本当に何とかしないとならない。

 そんなこんなでまたこれからかなり慌ただしく忙しくなっていくが、無理せず体調様子みつつどれもうまくこなしていきたいと願う。まずはこの鼻風邪早く追いやってからだ。季節の変わり目、皆さまもご自愛ください。お元気で。ごきげんよう。

有馬敲さんを招いて詩朗読&フォークソングライブ決定!!2014年08月25日 16時25分52秒

★11月30日、都内のライブハウスにてほぼ確定~お知らせします。     アクセスランキング: 117位

 東京は昨夜から弱い雨が降ってめっきり涼しくなった。外ではカナカナセミ、蜩が静かに鳴いている。まだ暑さもぶり返す日もあろうが、今年の夏もあと一週間で終わる。
 全国的に豪雨災害に見舞われた2014年の夏だったが、このまま大気が安定し穏やかで爽やかな秋が来ることを願う。

 このところ老犬介護の日々は終わったのに、その習慣からか何時に寝ようと朝は早く、それこそ夜がまだ明けやらぬうちに目が覚めてしまう。今朝も4時頃起きた。
 もっと長くせめて7時頃までは寝ていたいと思うのだが、いったん起きてしまうとベッドに戻ってももはや眠れず、外が明るくなるまであれこれ考え悶々と過ごし、陽が昇る前に犬たちの散歩に行く。

 24日のイベントが終わり、いよいよこれから秋から冬にかけての一年の仕上げの時期に入っていく。来年一月からの企画も考えてはいるのだが、さておき、まずは年内のこと。
 年末恒例のサマークリスマスではない本番のクリスマス、忘年謝恩ライブイベントは今年も12月23日と決めた。昨日来られたさこ大介さんとみほこんとの再演もかなうかと思う。その日はまた薪ストーブで鶏を焼いたりケーキも作ったりして、うたと音楽と手作り料理で神に感謝して今年一年を振り返りたい。どなたでも出入り可能なので、ご参加ください。基本、出演者は無料、その他来場者は一律千円で呑み放題食べ放題といたしたい。

 そしてその前の開催だが、つい先日ようやく日程が確定してたぶんこれで決定決行となるライブイベントをまずどこより早くお知らせしたい。

 マス坊の詩の師匠、京都在住で世界的に知られる詩人、有馬敲(ありまたかし)氏を東京に招いて、フォークミュージシャンたちとの詩朗読とうたのジョイントライブが11月30日に決まった。会場とか詳細はまだ未定だが、出演者たちだけは押さえたので記しておく。

・有馬敲
・中川五郎
・岡大介
・藤しんいちろう
・みほこん 他豪華ミュージシャン多数予定

司会進行・三留まゆみ  協力*オフノート

 当日は詩人仲間及びフォークマニアたちでかなり客席はいっぱいになるかと思う。詳細は近日発表できると思うが、当ブログでも優先予約受け付けるのでお早目に。

 今回のライブは録音して、CDアルバムとして全国的に発売する予定でいる。高田渡の「値上げ」をはじめとして、関西フォークムーブメントの重鎮であった詩人、有馬敲の集大成となるライブとなろう。今、八十代半ばの有馬さんの詩人生最後のビックイベント、ぜひご参加ご同席ください。
 こうした企画はおそらく最初で最後となる。;歴史と伝説となるコンサートにぜひお立会いください。

明日は、プレ・サマークリスマスと映画塾同時開催2014年08月23日 10時52分28秒

★慌ただしい日々が続くが、予定通りに          アクセスランキング: 93位

 猛暑の夏もようやく終わりが見えてきたが、今夏は、全国的に記録的豪雨による洪水、山崩れ、落雷、雹、突風、竜巻と異常気象が多発している。広島県では今も被災地は手がつけられない状態であるようだ。土砂に飲み込まれたまま行方不明の方々の安否が気にかかる。

 まさに地球温暖化をはじめとして様々な現代文明のツケが自然災害として一気に押し寄せ人類に警告を与えているようにも思える。このままこうした異常気象が恒常化してしまえば人間は安心して生きていけなくなるのではないか。人類に未来はあるのか。
 幸いにして、というと不謹慎だが、関東、特に東京のウチの地方は今のところ雨もなく暑さは残るが安定した天候が続いている。が、いつどこでまたゲリラ豪雨が起きたり、例年の何か月分も一気に一晩で大雨が降るかもしれない。世界情勢も含めて不穏な気が満ちている2014年の晩夏である。
 読者の皆さんの地方はいかがであろうか。

 さて、私ごとというか拙宅無頼庵のこと。
 先に、お知らせしたように、明日24日は、「三留まゆみの映画塾復活祭」とハヤシヨシオメモリアルクラブの「プレ・サマークリスマス2014」が開催される。
 どちらも一見さんお断りはしていないが、かなり濃い仲間内の集いとなるだろうから初めて来られる方は戸惑うかもしれない。ただ、カルト&モンド映画オタクと深夜放送ラジオオタクたちの生態を知るには良い機会なのでご興味と関心ある方はどなたでもお気軽にご参加ください。

 今そのための会場づくりに追われている。まだ当日出す料理や飲み物の準備や仕込みまでもいっていない。今回はかなり多くの参加者があると思うのでスペースも広くしておかねばならない。ところがそんなときに限って、老親たちが交互に体調崩して示した合わせたように治ったかと思うとまた発熱や下痢を相互いに繰り返してその都度病院通いである。何度点滴に行ったことか。
 何でこうなんかなーと呆れつつ、まあ歳も歳だから仕方ないわけで、老犬はいなくなってもちっとも時間が作れないでいる。情けないのは自分だけでない。

 まあ、まだ今日一日ある。もたもたしていても明日は優秀な強力スタッフが早くから来て強制的に片づけてくれることであろう。何とかなると信じつつ今日できることを無理せず進めていくだけだ。
 腰痛は相変わらずで、その他、いくつか気にかかる憂鬱な案件も抱えてはいるが、ともかくこの24日さえ無事終われば、夏は終わり秋9月となって心機一転仕切り直すことができる。

 まずここを乗り切ってからだ。

★映画塾、プレ・サマークリスマスとも
◆2014年08月24日(日)15:00開場 15:30開演

◆参加費:¥1,000(お茶菓子代) 

◆懇親会:18:00〜
参加費:¥1,500 恒例・三留のカレーは「特製ソイレントグリーンカレー」を準備中!