真夜中に起きて思うこと2011年02月06日 01時48分49秒

★当たり前のことをまず当たり前に

 この世の全ては因果応報だし、無意味なことは何一つないのだから災難に遭う時は災難に遭うべしと心得て受け入れていくしかない。全ては神の手の内にある。

 そう考えても、相変わらずの腰の痛みにはまいったと書かざるえない。腰は肉体のカナメと書き文字通りからだの中心だから、そこを痛めると歩くことも座ることすらできなくなる。
 専らもっとも痛くない体勢で湿布してベッドで寝ているしかないのだが、寝返りの度に痛みで目が覚めてしまう。意識していなかったが人は一晩でこんなに何回も寝返りを打つのだと知った。だから夜が長い。

 晩飯食って起きて何かできるわけではないので、ともかくベッドに入り体位を模索して痛くない位置をみつけてから手元の本など繰って眠る。昨晩もだが、時間が過ぎず目覚めてはうんうん唸りつつトイレに起きてまたうんうん言ってベッドにもぐりしばらく本でもめくりまた眠る。
 幸い週末ということもあり、大工は昨日土曜日も来なかった。工事もほぼ最終段階で、あとは一階のトイレを設置したりキッチンの換気扇をとりつけたり細かい作業だけとなった。それと薪ストーブの煙突。今日6日は日曜日、誰も来ない。のんびりできる。

 昨日は痛む腰ながら母の入院している立川の病院まで父と犬たちも乗せて車出した。犬の散歩がてらである。犬は川原で放した。
 歩くのは痛くてできなくても運転はオートマなので何とかできる。薬局の駐車場に車停めて、道端のものにつかまりながらゆっくり歩き病院内は車椅子で移動することにして父に押してもらった。一番元気なはずの自分が動けなくなってパーキンソンかつ認知症の父に車椅子を押してもらい入院中の母を見舞うとはまさにコントである。

 母はまだ治療に至らず、ようやく各種検査は終わった段階で、ひたすら点滴を続けていた。意識もあるし何も食べていないわりには元気であった。親とは有難いもので、ギックリ腰の息子の容態を気遣ってくれた。まあ、家にいるより病院の方がはるかに安全安心だし、ちょうど軌を一にして介護していた側が倒れたので本当に入院させられて良かった。認知症の親父に妻と息子の世話はできない。神はうまくはからってくれる。

 寝ながら思い出したことだが、昔自分がもう少し若かった頃、それでも40ぐらいになっていたかとも思うのだが、女友達の紹介で彼女が勤めていた西荻のソーセージ屋で働いていたことがある。今から10年以上も前になるかと思う。

 当時職がなく、古本屋もまだ始めていなかった増坊の困窮状態を心配して彼女が口聞いてソーセージ職人の仕事を世話してくれたのだ。ドイツで修行し賞もとったというマスターの元で、大きな肉包丁で肉の塊から細かい骨を取り除くことから腸詰まで一から教わった。
 季節がちょうど秋から冬に向かう頃で、自分はお歳暮シーズンで忙しくなる作業場の臨時職工としてバイトに入ったわけだが、その年の大晦日に突然首になった。何月から始めたのかもはや記憶が定かでない。もしかしたら夏前からかもしれない。

 理由は簡単で、最も注文が増える歳末を終えれば作業はヒマになるからだと言われたが、そこの気難しいマスターと二人だけの作業にお互いにうんざりもしてこちらも嫌気が差していたから渡りに船でもあった。こちらもヘンクツ剣呑であり、人に慣れ親しまないし彼もまたかなり変わり者であったからだと思う。※本当はバイトでも突然の解雇は法律違反なのであるが。

 肉など生ものを扱う作業場は冬でも暖房などはなくすこぶる冷え切って長時間の立ち仕事はかなりの肉体的負担であったし、12月は超多忙でまさに精神的肉体的にも限界でクビは頃合でもあったと今にして思う。
 ただ、問題は辞めさせられてから激しい腰痛が出て、ほぼ1月の間ぐらいまさに寝たきりとなってしまい、正月も含めてその新年はひたすら療養に努めたことを思い出した。入院するほどではなかったが、やはり腰が痛くてもう歩くことすらできなかったのだ。
 そのとき日がなコタツに入って横になりながら窓から見えた景色、庭木の冬枯れた細い枝を思い出す。切り取られたガラス窓から見える世界だけがそのときの自分には外との繋がりの全てであった。今の痛みからそのときのことを思い出した。

 そのバイトを紹介してくれこんな自分の将来をも案じてくれた女の子は数年前に若くして病死してしまった。彼女もそのソーセージ屋での無理が祟ったのだと思える。今でも彼女のやさしい心遣いとその期待に応えられなかったことが悔やまれるが、過ぎたことは戻せないし、もはやすべて仕方なかったのだと思うしかない。

 長い夜にそうしたことを思い出す。誰にでもやさしくて皆から愛され密かに大好きだった、もはや死んでしまった女の子のことや、昔自分のしたことなどを。

 今はともかく早くこの身動きとれない状況を脱してひとつひとつきちんとさせていくことだ。当たり前のことを当たり前にやっていきたい。そうできるようになりたい。死んでいった人たちのためにもしっかり生きていかねばならないと寝ながらも心した。こんな自分にもまだできることが何かきっとあるはずだ。
 先のことはどうなるか見えないしどうしたものかと不安に思うが、ともかく一日一日を乗り切ってからだ。