家ほぼ完成・ついに大工は今日で撤収。2011年02月08日 21時54分31秒

★今日2/8日で大工仕事は終わりとなった。

 腰のこと、母のこと、そして家の工事のこと、いろいろ報告したいことが多々あるが、とりあえずまず家の事をお知らせしたい。

 今日、最後まで一人来ていた大工が一階のトイレのドアをとりつけ、カギもつけてくれ、電気屋も来て風呂場の照明を入れたので、もうこれで大工職人の作業はなくなった。
 夕方、親方のカワムラさんが来て、残った材とか釘類、ゴミをまとめて車に積み込み、ホウキで床掃いて掃除機もかけていった。細かい手直しとか見直しはまだあるだろうが、これで一応大工仕事は今日で終わったことになる。
 もちろんでは明日からここですぐ暮らせるかというと、ガスはまだ繋がっていないのとキッチンには換気扇もついていないし、薪ストーブの煙突もまだとりつけていないので生活は当分これまで通り裏の方でやる。下駄箱のドアとかは建具職人が来て作ることになる。
 
 要するにただ大工がもう来なくなるということだけなのだが、それでも工具や材料の板が散乱していた「現場」が片付いて何もなくなるとようやく家も完成したのだと思えてきた。じわじわ深い喜びが沸いてきたことをまず報告したい。ありきたりな表現だがまさに感慨深い。

 このブログの前のブログから、いやまたそれ以前にメルマガをやっていた頃から増坊と付き合いのあった方ならご存知かと思うが、この家作りの計画はもう何年来かの懸案であった。計画からだと10年以上である。自ら壊し始めてからでも5年は経つ。
 いったいいつになったら家はできるのかと、京都や大阪に行くたび向こうの友人知人、フォークシンガーからも半ば呆れ気味に問われて、自分でも先が見えず返事に窮するばかりであった。

 それがようやく昨年の春頃から大工らにより本格的に工事開始となって、ついに今日2月8日、トンカンやる作業は終わりを告げたというわけだ。
 いつから工事が始まったのか、増改築という部分もあるので何日が建前とか開始の日は決められないが、ちなみに前のブログで確認してみたら、自分が去年の春一番で大阪に行っている間、5月1日にコンクリで基礎を打ったと記している。もしそこをスタートとしても半年どころか9ヶ月以上かかっている。今時の家では異常に長く時間かけた。常識的にはありえない。今なら早ければ3ヶ月ぐらいで更地から建てて住めるようになるのだから。

 ウチの場合、遅れた理由とは、棟梁カワムラさんは他の真っ当な現場も抱えていたので、そちらを優先させて、ウチには手の空いているとき、手の空いた職人を入れるという方針で、ちまちま様子見ながら進めたのでこんなに時間がかかった。普通の現場のように一気に何人もの職人を投入して全力投球した日もあったが、大方大工が来ても1~2人という日も多く、梅雨時などは、柱建てただけで屋根もないのに何週間も大工が来ないこともあり雨空見上げて大いに思案した。
 まあ、こちらも職人の都合に合わせる代わりにずいぶん我儘言ったり、無理な無体な注文つけたりもした。そんなこんなで施主と大工の共同作業的にほとんど図面なしに、現場優先でその時々アイディア出し合って手探りで建てた。だからすごく時間がかかったとも言えよう。

 そうして、ともかく今日で大工仕事は終わったのだ。
 しかしこれですぐ完成ではない。実は施主の作業が山ほど残っている。今回無垢の安い杉板を大量に壁などに使ったので、そうした部分や建具に全部塗料を塗らなくてはならない。それは職人仕事ではなく、施主自らの仕事であり、前に、裏側を建てたときも内装外装の壁は自らコテで、外は外壁材、中は壁も天井も珪藻土をせっせっと塗った。今回はあまり珪藻土は使わないが、白木が多いのでペンキ塗る部分が沢山ある。
 正直な気持ち、今は体調も悪いのでそのことを思うと大変だと憂鬱な気持ちにもなるが、それは納期などないし、自分のペースで急がずやれば良い。このブログの読者で暇な人も来て手伝ってくれるかもしれない。

 孫文は死の枕元で、遺言として「革命未だ終わらず」と呟いたときく。家作りの師匠、村瀬春樹氏も家作りに終わりなどないとおっしゃった。それは家もまた生き物であり人もまた変わるからだ。しかし、だからといって永久革命論ならぬ永久に完成しないというのでは聖サクラダ教会じゃあるまいし皆困ってしまうわけで、ともかく完成させて宣言したい。

 これは己惚れかもしれないが、まさに手前味噌として言わせてもらうとすごく不思議な面白いステキな家ができた。100%満足いくわけではないが、まあ80点のコダワリは通した。自分が知る限り最近こんな家はどこにもない。渡辺篤にも来てもらい感心させたいと切に思う。それほどヘンで不思議な家である。どうか誰でも遊びに来てください。