一潮さんへの思いをうたに乗せて2011年09月26日 22時37分59秒

五郎さんのギターバンジョーにシバがハーモニカをつけて
★仲間たちがうたった「たびよんの鳥」

 人は人のために人と何ができるのだろうか。このところ、特に大震災が起きてからよく考える。
 じっさいのところ、人が人のためにできることなんてほとんどない。
 病気で悩み苦しんでいる人に、頑張れとか、しっかりしろと励ますことはたやすいが、当人とっては気休めにもなりはない。
 同じく災難に遭い最愛の大事な人を失くした人にかける言葉も見つからない。その痛みも苦しみも当人以外にはまさに他人事であって同情はできても代わって重い荷を背負うことはできやしない。

 そしてそうした病気や災難、死別などの苦しみは人には必ずいつかは訪れる。普段は考えないようにして遠ざけていても嫌でも誰にも迫り来る。
 今年になってからだけでも自分の周りでも多くの知人友人、親戚が次々死んだ。テレビや映画他で昔から知っていた有名人まで含めればほぼ知っている人が死なない日はないほどだ。
 相応の歳で死ぬ人もいればまだそんな歳でもないのにと残念に思う人もいる。そうした有名な方たちとは面識も関わりも無いので訃報に接してはこちら側の勝手な思いがわくだけであるが、多少でも出会いがあり、まして好感を抱いた人の死はこちら側にドンとこたえるものがある。

 そしていつも思うのはその人のために何かできたのではないかという問いであり、何もできなかったという悔いのような苦味である。つまるところ人は人、自分は自分でしかなく、それはたとい夫婦であってもその溝は埋まらない。
 ただ、もし他人同士であったとしても夫婦のような近しい関係になれたのならそれはどのような夫婦であっても幸運なことであろう。他人と少なくともそこまでの運命の関わりが持てたという一点で羨ましく思う。
 
 自分は今幸いにして老親や老犬たちという身内がいて関わりがあるが、おそらく数年のうちに次々死に、やがてはたった一人になっていく。そしてそう遠くはないうちに自分も死んでこの世からいなくなる。

 そのとき、故高坂一潮さんのように、残したうたを友たちは唄ってくれるだろうか。青森から遠く離れた東京の田舎で、この日、盟友である中川五郎さんとシバが亡き人への供養のためにも彼のうたをうたってくれた。考えてみれば秋のお彼岸でもあった。

 あの世があるのかわからない。しかし、こうして亡き人をいつまでも思いことあるごとに語り唄い継いでいる人たちがいる限りその人は死んでいないのだと深く感じた。そう、そのステージには一潮さんも見えないけれど確かに隣に立っていた。「だびよんの鳥」は真に名曲である。ぼくもこれから歌っていく。

 自分もそうした良いうたを作りたい、作らねばならぬと今また思いを新たにしている。
 一潮さんのために自分も何か少しでもできたのか。

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