好きだなあ斉藤さん、いい味だしまくり!2012年08月28日 00時09分32秒

今回は大介トリオで登場! 左からさこさん、斉藤さん、そして坂出さん
★踊るチョット・ベイカー斉藤暁

 斉藤さんは本業は役者で、映画やテレビに出まくっているベテランだからお顔を見れば、あーあの人と誰もがご存知であろう。その俳優業の傍ら、さこ大介率いる大介バンドのトランぺッターとしてずっと音楽活動も続けていてこのところはボーカリストとしても達者な喉も聴かせてくれている。近く公開の超話題作も控えていて、今回もそんな多忙な最中、湾岸から駆けつけてくれた。

 三橋美智也の曲を中心に「歌謡ショー」をサマークリスマスの余興としてお願いしたのだが、期待通り、いやそれ以上に楽しくしかも心に染み入る歌声をたっぷりさこさんと共に披露してくれた。観客は皆十二分に堪能できたと思う。

 それにしても不思議に思うのは、斉藤さんはテレビや映画で見るイメージとほぼ寸分も違わぬ人柄で、今や売れっ子の芸能人であるはずなのにちっとも偉ぶるところはないし気さくで実直で変わらずいつも感心させられる。
 芸能人というのは、知る限り、ステージやテレビの中では腰が低く愛想良くてもじっさいに会ってみると皆かなりエラソーだったり陰険横柄でオレはスター、お前らとは違うんだぞ、というオーラをやたら振りまいている。じっさい人気なんか大してなくても大概偉そうにしている人がほとんどだ。
 ところが斉藤さんに限っては、今も昔もまったくフツーの人であり、ほとんどあの役柄そのもののほんわかとした、ある意味あか抜けないほど親近感あふれる朴訥とした人なのである。もしかしたらそれも演技ではないかと訝るが、まあ音楽をやるのに演技などいらないのだからきっとそのまんまの人なのだろう。肩肘はることのない自然体。それは素晴らしいことだと思う。

 大介さんを通して知己を得て、ライブを観たり一緒に呑む機会も多くなったが、それが普段の彼だとわかってもまだ何か不思議な気がしている。うっかり昼間、民間のテレビをつけっぱなしにしていて二時間ワイドの再放送とか流れていると、あっ斉藤さん!と脇で出ているのに気づくことがままある。テレビや映画の中の人と会うとこちとら構えたり緊張してしまうのだが、斉藤さんに限ってはそうした芸能人オーラは全く出ていないからこちらも安心である。いや、会うたびにいつも何だかほっとして嬉しくなる。その人柄に癒される。 これは人徳だと思う。

 たぶん、やがては彼自身を主人公にしたスピンオフ的な映画も撮られることもあろう。でもどんなに売れっ子になろうともきっと変わらない。なぜなら彼には好きな音楽活動があり、常にそこで地に足がついているからだ。ぜひ、大介バンドの一員としての彼のミュージシャンとしての顔、ステージもご覧になって頂きたい。彼のうたは聴いているだけで心があたたく嬉しくなってくる。けっして巧いわけではないがのんびりしていて毎度良い味だしている。しいて言えばあの岸井明を思い出す。
 こんな素晴らしい人とお近づきになれて実に光栄である。有難う斉藤さん。

国会議員定数削減論を強く批判する。2012年08月28日 08時51分28秒

★今大きく揺れ動く政治について思うこと

 今政局は大きく揺れ動いている。
 民自公の三党だけの談合で、社会保障については後ほどゆっくり考えるとしてまず消費税増税だけを強行成立させた悪い奴らは、法案成立と引き換えに「近いうち国会解散」の口約束を交わしていたはずなのに、早期解散は大敗北確実の民主党野田首相側としてはこのままだらだらと先延ばしする気と見定めると仲間割れを起こし自公で首相問責決議を出すと言い出した。

 一方民主党は、衆院選挙制度関連法、つまり一票の格差是正と定数削減を盛り込んだ法案を他の政党は全て欠席しているのに民主単独で強行採決、衆院で可決させてしまった。法案成立の可能性は低いとはいえ、選挙制度自体を変える重要な法案を一党だけで採決強行するのは言語道断、前代未聞の暴挙だとしか言いようがない。

「民主党は衆院選挙制度に関する各党協議を一方的に打ち切り、単独で法案を提出して委員会への付託を強行し、さらに単独で趣旨説明、質疑を行い、採決まで強行した。選挙制度は議会制民主主義の土台であり、与党だけで強行することは断じてゆるされない。憲政史上これほどの暴挙はない」――とは、野党11党が衆院議長に手渡した申し入れ文書であるが、まさに今国会は異常な事態である。そして先ほど29日夜、参院では、野田首相問責決議が、自民党も加わって可決された。これは、民主党の公約にない消費税増税を強く批判し凍結を求める決議なのにそこに自民が加わり賛成するのは全く理解に苦しむ。まさに自己矛盾であり、要するに何が何でも問責決議を可決させて野田政権を揺さぶろうという党利党略なのであろう。

 成立の見込みのない定数削減法案を与党のみで強行採決する暴走も消費税増税法が成立したとたん三党合意はどこ吹く風、問責決議に加わる自民党どちらも常軌を逸している。まさに瀬戸際外交ならぬ、瀬戸際国会運営である。国会をおもちゃのようにもてあそんでいる。呆れ果てるのはたやすいがそれよりも胸を痛める。二大政党とはこんな大馬鹿でよいものか。まさに茶番、いい大人のくせに子供じみている。
 
 そして今いちばん気がかりなのが、このところ喧しい「衆院議員定数削減論」である。まるで錦の御旗のようだ。採決を与党単独で強行した民主党案も一票の格差是正と共に、比例定数を40削減を盛り込んでいる。政治家たちの間からは、よく「国会議員自らが身を削らなくては」とゆえに定数削減しなければならないという発言が流れてくる。しかしこれは詭弁以前におかしな論である。

 そもそも議員定数とは政治家の私物ではない。それは国民の権利であり、有権者の代理人として国政を任せる人の数なのである。その国会議員の数は他国に比べて日本は決して多いわけではない。その数を減らすということは国民の意思が国政に届くのが困難となることに他ならない。ろくに働いていないのに高い給料をとっているというならば議員の数を減らすのではなく給与自体を半減にすれば済む話ではないか。
 問題とすべきは単純に国会議員の数ではなく、そこに正しく民意が反映されているかどうかだ。残念なことに現行の小選挙区制を中心にした選挙制度では死票が多く国民の民意は正しく反映されていない。国会で寝てばかりいたり下劣な野次をとばすろくに働いていない政治家も多々いる。しかしそれ以前にマニフェストはちっとも守らず、公約にないことばかり強行し前政権と変わらぬ悪政を繰り返す政治家たちこそ存在を問われるべきことだろう。そうした政治家たちは即刻退場願いたい。だが、それと定数を減らすことはまったく次元が違う。そこに騙されてはならない。

 民主党と自民党、日本も米国などに倣って政権交代がしやすい二大政党制を目指すべきだと政治評論家はしたり顔で説いた。が、何のことはない、基本的に同じ穴から出たムジナと狸のような二大政党では何ひとつこの国は変わらない。国民の多くが原発ゼロを望んでもなくなりはしない。米軍基地もなくならない。変わらないどころか消費税は上がるしさらには選挙制度改革と称して国民の代表である国会議員の数そのものさえ減らすことを目論んでいるのである。これではますます国民の声は政治に反映されなくなる。

 この国には多様な文化があり多様な価値観がある。様々な性向を持つマイノリティと呼ばれる人々も多種存在している。本当はそうした少数派の人たちからも国会議員を出せるようその声が国会に届くよう選挙制度を変えるべきであろう。つまり完全な全国規模での比例代表制にすれば、基本的に死票はなくなる。もっとも死票の多いのが小選挙区制なのである。なのに、今の政治家たちは議員定数を減らすにはまず比例を減らすことから言う。民意がいちばん反映しにくい完全小選挙区制にしたいのである。

 大阪の市長は、いみじくもこう言った。国会議員の数を現行480から半分に削減すると。それを衆院選に打って出る公約にする気なのだ。つまりわずか240人の議員だけにして、そうして一気に政権を握ればもう異論や反論を述べる野党、少数派の議員は皆無となる。確かにそのときは国民が望む?「決められる政治」ができよう。しかしその政治はいったい何を決めるつもりなのか。彼の頭の中を覗き見ると多様な意見、個人の思想信条はいっさい認められない管理と弾圧の競争格差社会が見える。それは恐ろしいことにすぐそこまで来ている。

 繰り返す、国会議員の定数削減論に与してはならない。議員定数を減らすことは民主主義自体を根底から否定することに他ならない。大阪のアチャコさんが以前言っていたことを思い出す。国会議員なんてみんなボランティアにすれば良いと。極論だが、それは正しいと思う。最低限、行った政治活動費だけは後ほどきちんと選挙民に公開して審判を仰ぎ、国庫から支払ってもらう。あとは全て個人からの政治献金でまかなう。それこそが正しい意味での国民、有権者の「代理人」となろう。選挙民も彼らの動向に強い関心を持つようになる。選挙民を欺き、タメにならないことをすればすぐさま落選してしまう。そうした本来の姿の民主主義に戻していかねばならない。
 
 国会議員の数を減らしても政治はけっして良くはならない。まして国民の意見や願いはますます国会に届きにくくなる。議員定数削減は国民にとって国家にとっても民主主義にとっても自殺行為なのである。大阪の市長はそもそも民主主義じたいお嫌いで否定しようとしているようだ。それを全体主義、国家主義、ときにファシズムと言うのである。