秋からに向け生活のメンテナンスを ― 2012年08月31日 09時12分12秒
★人生にもメンテナンスが必要である。
8月も今日で終わる。陽が昇ると暑くて犬の散歩もままならないのでこのところ6時前には起きている。今朝は曇りがちでいくぶん涼しかった。
実は今、親たちは旅行中で家にはいない。新聞折込にあった格安の温泉ツアーで信濃の湯田中温泉に行っている。ウチの近くまでバスで送迎してくれるので二泊三日、六食付で交通費込みで二万円というのをみつけてすぐに申し込んだのだ。
ウチは動物もいるので、完全に留守にはできない。なんで自分が家に残り老夫婦だけで温泉に行かせたのである。一昨年から母も病気していたので久々の旅行となる。もしかしたら二人にとって人生最後の温泉旅行となるかもしれない。今、自分も羽を伸ばしている。何より三度の飯の仕度をしなくて済むのがありがたい。
母の癌は完治したわけでもなく、これからまた再検査して今後の治療方針を決めていくわけだが、まあ動けるうちはできるだけ体に負担かからない範囲であちこち旅行させたいし、そのほうが気分転換にもなろう。癌のことを考えて脅えて暮らすよりも日々楽しく面白おかしく暮らすほうが長生きできるはずだ。
そうして今、一人で家にいて、久しぶりに自分ものんびりしている。一人なら飯などインスタントやパンをかじって済ませても良いし外食もできる。浮いた時間で、せっせっと部屋の片づけや机の上の整理をしている。まあパンツ一枚で、汗たらしながらであるが。
自分は基本居職で、時間はいくらでもあり余裕もあるはずなのに、何故か毎日何だかんだ忙しく、飯の仕度や掃除、洗濯など日常の家事に追われて一日が慌しく終わってしまう。雨も降らないので朝夕庭先の水遣りもかかせない。
気がつけばそうして一週間、一ヶ月があっという間に終わり、そこにたまに出かけたりイベントとかあって、その仕度と後片付けもあり気がつくと一年が過ぎてしまう。常に目先のことに追われて根本的な課題、懸案のことにはなかなか取り掛かれない。人生とは誰もがそうしたものなのかもしれないが、それで良しとはできない。
今回、親たちもいないので、時間もあるので部屋の中、ずっと何とかしなければと思いつつ手付かずでそのままにしてきた本や雑誌、ガラクタの山を片付けたり、パソコンを移動させて机の上を掃除したりと懸案のことを少しづつ進めている。机やパソコンの下も消しゴムのカスとかゴミが溜まってものすごい有様であった。久々に掃除機をかけた。
よく「メンテナンスのため休止中」という表示を目にするが、人の生活、人生もまたときどきメンテナンスが必要だと痛感する。こうして時間とって掃除したりあちこち手入れしたり見直したりすることだ。
毎年年末になると大掃除の季節を迎える。が、その頃は一年でいちばん忙しい時期であり、新年を迎える準備やら用事も山積みである。だからそこでメンテナンスなんかできやしない。ほんとうは日々気づいたとき時間のあるときに少しづつやっていけば良いのだが、何だか毎日慌しくてそれができないでいる。これは自分だけなのだろうか。世間の人は皆それが出来ているのか。
これから秋に向けて、また忙しくなる。ここでそのメンテナンスをしておかないと、モノはたまり散らかる一方でまた全てが渾沌としてくる。訳がわからなくなり探し物に追われてグズグスになってしまう。愚図な人には訳がある、とはとあるベストセラー本のタイトルだが、まさにその通りだと思う。
自分の肉体も含めて、どこかで時間とってメンテナンスをしていかないと結局目先のことだけに追われてただ慌しいうちに何も成し得ずに死んでしまうだろう。
親たちが不在の間、明日の夕刻にはまた戻ってきてしまうまで、自分の時間を有効に使いたい。そう、このブログだってメンテナンスしないと行けなかったのだ。
8月も今日で終わる。陽が昇ると暑くて犬の散歩もままならないのでこのところ6時前には起きている。今朝は曇りがちでいくぶん涼しかった。
実は今、親たちは旅行中で家にはいない。新聞折込にあった格安の温泉ツアーで信濃の湯田中温泉に行っている。ウチの近くまでバスで送迎してくれるので二泊三日、六食付で交通費込みで二万円というのをみつけてすぐに申し込んだのだ。
ウチは動物もいるので、完全に留守にはできない。なんで自分が家に残り老夫婦だけで温泉に行かせたのである。一昨年から母も病気していたので久々の旅行となる。もしかしたら二人にとって人生最後の温泉旅行となるかもしれない。今、自分も羽を伸ばしている。何より三度の飯の仕度をしなくて済むのがありがたい。
母の癌は完治したわけでもなく、これからまた再検査して今後の治療方針を決めていくわけだが、まあ動けるうちはできるだけ体に負担かからない範囲であちこち旅行させたいし、そのほうが気分転換にもなろう。癌のことを考えて脅えて暮らすよりも日々楽しく面白おかしく暮らすほうが長生きできるはずだ。
そうして今、一人で家にいて、久しぶりに自分ものんびりしている。一人なら飯などインスタントやパンをかじって済ませても良いし外食もできる。浮いた時間で、せっせっと部屋の片づけや机の上の整理をしている。まあパンツ一枚で、汗たらしながらであるが。
自分は基本居職で、時間はいくらでもあり余裕もあるはずなのに、何故か毎日何だかんだ忙しく、飯の仕度や掃除、洗濯など日常の家事に追われて一日が慌しく終わってしまう。雨も降らないので朝夕庭先の水遣りもかかせない。
気がつけばそうして一週間、一ヶ月があっという間に終わり、そこにたまに出かけたりイベントとかあって、その仕度と後片付けもあり気がつくと一年が過ぎてしまう。常に目先のことに追われて根本的な課題、懸案のことにはなかなか取り掛かれない。人生とは誰もがそうしたものなのかもしれないが、それで良しとはできない。
今回、親たちもいないので、時間もあるので部屋の中、ずっと何とかしなければと思いつつ手付かずでそのままにしてきた本や雑誌、ガラクタの山を片付けたり、パソコンを移動させて机の上を掃除したりと懸案のことを少しづつ進めている。机やパソコンの下も消しゴムのカスとかゴミが溜まってものすごい有様であった。久々に掃除機をかけた。
よく「メンテナンスのため休止中」という表示を目にするが、人の生活、人生もまたときどきメンテナンスが必要だと痛感する。こうして時間とって掃除したりあちこち手入れしたり見直したりすることだ。
毎年年末になると大掃除の季節を迎える。が、その頃は一年でいちばん忙しい時期であり、新年を迎える準備やら用事も山積みである。だからそこでメンテナンスなんかできやしない。ほんとうは日々気づいたとき時間のあるときに少しづつやっていけば良いのだが、何だか毎日慌しくてそれができないでいる。これは自分だけなのだろうか。世間の人は皆それが出来ているのか。
これから秋に向けて、また忙しくなる。ここでそのメンテナンスをしておかないと、モノはたまり散らかる一方でまた全てが渾沌としてくる。訳がわからなくなり探し物に追われてグズグスになってしまう。愚図な人には訳がある、とはとあるベストセラー本のタイトルだが、まさにその通りだと思う。
自分の肉体も含めて、どこかで時間とってメンテナンスをしていかないと結局目先のことだけに追われてただ慌しいうちに何も成し得ずに死んでしまうだろう。
親たちが不在の間、明日の夕刻にはまた戻ってきてしまうまで、自分の時間を有効に使いたい。そう、このブログだってメンテナンスしないと行けなかったのだ。
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