「流浪の旅」と「しらみの旅」2012年10月17日 21時25分42秒

★土取利行氏のうたう元祖「しらみの旅」を聞いて

 今年の岡大介、浅草木馬亭での独演会、目玉は何と言っても異能異才、世界的にも名高い土取利行氏のゲスト&サポートであった。
 氏は音楽家、パーカッショニストとして、フリージャズシーンで活躍、そしてフランスでピーター・ブルックの国際劇団で音楽監督としての活動でも知られる。多少でも芸能・芸術に関心ある方はお名前はご存知のことだと思う。

 だが、近年彼は、添田唖蝉坊親子の残した本流演歌の求道者、継承者として、三味線で自ら彼らのうたを唄い、語り継ぐ活動をされている。実は、先だって岡大介から、郡上八幡で氏と会って貴重な添田知道直伝の「演歌」を聞かせてもらったことなどコーフン気味に聞かされていた。が、その人があのフランスで活躍したアーチスト土取氏だとは結びつかなかった。まあ、自分も岡も同じB型獅子座同士、常にお互い話半分で聴き話ししているので仕方ない。

 今回ステージで、彼のコーナーにおいて、添田唖蝉坊親子との関係が語られようやく氷解した。何でもパートナーであった故・桃山晴衣が晩年の唖蝉坊の息子、知道氏ととても親しく、唖蝉坊や彼らの作った「演歌」を頻繁に聴く機会があり、記録や資料は手元に沢山あるらしい。
 そして、唖蝉坊演歌の後継者を自認している若き岡大介が彼と知り合ったのも必然であり、土取氏も興味を持ち彼に直伝の正調唖蝉坊「演歌」を伝授したということなのだ。

 じっさい、土取氏自身も現在「日本のうたよどこへいった~土取利行の音楽夜会-添田唖蝉坊・知道の明治大正演歌をうたう-」というライブ活動を行っている。※今回頂いたチラシだと、11/18日(日)に、山梨県甲府市の桜座というところで午後3時開演、そのコンサートがある。詳しいことは彼の公式ホームページ「土取利行の音楽世界」で検索してくだい。

 今回の木馬亭での独演会、成功裏に終わったことは当日帰ってから拙ブログで詳細は報告したが、岡にとってもそうであるように自分にとっても土取氏を知り得たのは僥倖であった。ドラマーとしての彼の技量にも驚かされたが(とてもタイトで、あの若き日のフランキー堺をほうふつさせられた)、やはり含蓄滋味ある演歌についての語りとその正調唖蝉坊節には深く感心感動させられた。

 今回は、語り部分が多く、唄われたのは数曲だったものの、中でも正調「しらみの旅」は素晴らしかった。今もずっとあの哀切極まりないあのメロディーと歌詞が頭の中に流れている。
 高田渡のアルバムなどにも入っているからこの曲はご存知の方も多いだろう。もともと原曲は、大正10年ごろに発表され人口に膾炙してヒットしたマイナー調の「流浪の旅」という曲である。増坊は、先年亡くなった母方の祖母からそのオリジナル曲を聴かされ育ったのでよく知っていた。

 流れ流れて 落ち行く先は北は シベリア 南はジャバよ
 いずこの土地を 墓所と定めいずこの土地の 土と終わらん

 この曲を、唖蝉坊は替歌にして、「しらみの旅」を作ったのである。

 ぞろりぞろりと はいゆく先は 右はワキ の下 左は肩よ
 ボロボロ着物や 汚れたシャツの 縫い目 はぎ目を宿と決め
  昨日は背中 今日は乳の下 しらみの旅は いつまで続く

 ところが、自分達が知っている高田渡バージョンは、メロディーをカントリー、アメリカ民謡のそれに変えて、アップテンポのメジャーでうたっている。まあ、それが彼のスタイルであり、それはそれで面白いが、あの哀切さ哀調がまったくそこにはなくただコミカルなだけだ。

 自分はこの曲は元唄が、「流浪の旅」だと知っていたから、原曲のメロディーで聴いてみたいとずっと思っていた。自分では勝手に旧に戻してうたったりしていたが、正調の「しらみの旅」はどんなものか確かめたいと願っていた。今回ついに唖蝉坊親子直伝のそれが聴けて感無量であった。
 土取氏も語っていたように、これは官憲の弾圧に追われ居場所も定まらず不遇な生涯を終えた唖蝉坊の生きかた、心情をしらみに託してうたったもので、まさに哀切、涙なくして聴けない名曲であろう。

 故高田渡は、人間接着剤と呼ばれ、様々な異ジャンルのミュージシャン、芸術家たちと親交があり、渡氏を通して結びついた人たちも沢山いた。好漢岡大介も渡氏に倣い、本当にいろんな人たちとすぐに友達になりこちらにも彼らを紹介してくれた。今回、土取氏とはまだきちんと面識は得ていないが、実に素晴らしい方をおしえてくれたと今改めて感謝している。
 岡大介の旅はこれからも続く。