クリスマスの静かな朝に2014年12月25日 06時25分39秒

★天のはからい、神の御心のままに         アクセスランキング: 128位

 自らの愚かさと迂闊さ、非力さがゆえ、悩みと迷い、苛立ちの中に今もあるこの身だが、有難くもまだ死なずに何とか生きている。それはこんな我をも見捨てず憐れみ、ときに用いてくれる方がいるからでただ感謝の気持ちしかない。

 そして常に試され、チャンスを与えられるのだが、ナザレのイエスに漁られた頃のペテロのように、口先だけの信心は表明してもことにおいて挫けて失態と失敗を繰り返し多くの人に迷惑をかけてしまう。岡大介が指摘するようにつくづく「いつもツメが甘い」のである。
 呆れられ叱られ疎んぜられるのは事実の結果、仕方ないことでかまいはしないが、その人を怒らせ失望させ傷つけてしまったことは心から申し訳なく思う。そのことを思うと胃が痛い。そうしたことの繰り返しが即これまでの人生なのだから実に罪深いことで回心とは程遠いと改めて気づく。

 自分のバカさをことにおいて常に悔いてもまたしばらくするとそれを繰り替えすのだから本当にたちが悪い。だから誰からも、特に女性から愛されない、求められないのだとつくづく思い至る。

 が、こうした鬱々とした思いからは何も始まらない。悔やみ後悔したと記したとしてもまたも同様の事態をしでかすのであらばまったく意味がない。それは単なる自己感傷、韜晦の類であり心の逃避の手口にしかすぎない。ならばどうすべきか。
 そう、愛されないにはわけがあるのである。身勝手なこんな人間なのだから自らでさえも呆れ果て愛想が尽きる。ならばもっと人として自らを高めていくしかないと気づく。つまりすべてにもっときちんとして信頼される善き人に自分を変えていくしかない。

 自分で自分を愛せない人間が他者から愛されるわけがないではないか。しかし、神はこんな者さえも見捨てずに生かしてくれた。ならばその期待に応えて、人には恩返しをし、神の御心にかなうよう生きていくしかない。それにはまず力を高めていくことだろう。
 弱く非力な我にも愛と力とそして勇気を賜らんことを 先ほど祈り委ね祈り続けた。
 クリスマスの朝に。

 天なる神には みさかえあれ
 地に住む人には 安きあれ と