山奥の温泉で、青い空と白い雲と・続き2015年10月07日 12時05分16秒

★流れ行く雲のように生きる           

 その増冨の湯が他の温泉どこより特異な点は、浴槽、つまり湯船がいくつもあり、それぞれの温度が異なることだ。そしてどれも一般の風呂から思うとかなりヌルい。熱い風呂を好む日本男子には物足りないことであろう。
 日本人が風呂の温度として一番好むのは41度~と何かで読んだ気がするが、増冨では、一番高温で、37度、そして35度、さらに30度、そして源泉そのままの25度と、四段階に分かれた湯船がある。

 元々が冷泉の温泉、つまり鉱泉なのだから湧き出す源泉のままだと25度前後しかない。それを少しづつ段階的に加熱して最高で37度迄にしたのは、長く浸かるよう温泉治療を目的としたからだ。
 それ以上高い温度だと、気持ちはいいけれど長く湯に入っていられない。ここでは、その他に、白湯というべきか、鉱泉とは別に、一般の銭湯と同じように水道水を沸かして41度にした浴槽も別に設けてある。

 入り方は人それぞれだが、まずはその41度の風呂で体を温めてから、ぬるい方の鉱泉の浴槽に入る。どれに入ってもかまわないし、一番無理なく長く入れる浴槽をみつければ良いのだそうだ。
 我の場合は、段階的に、37→35→30と入って体が冷えてきたらまた41度の浴槽でほてるまで入って、25度の源泉に浸かる。その他にサウナ室もあるから、寒くなればそうした熱い場所で温まりまたぬるい浴槽に入っていく。そうしたことを繰り返して母と行けば約3時間は入っている。ときに湯の中でうとうとと居眠りすらしてしまう。またそれも極楽かと思える。

 ともかくここでは温泉治療と療養目的だから、入浴客はひたすら茶褐色の湯に、無念無想で目をつぶって何十分も浸かっている。当然のこと老人や中高年が多いが、近くに本格的登山できる岩山もあるので、登山帰りの若者たちが多く寄る時期もある。施設の外には彼らのためのリュック置き場も拵えてある。

 温度ごとに分けられた浴槽も、段差をつけたり、寝湯というように浅くパイプで一人づつ横たわれるようになったスペースまである。ともかく飽きさせないよう長く入れるよう山奥なのにちょっとした温泉アミューズメント設備である。
 そうした特化した温泉だとよく知らないで来る客は、ヌルい湯に入ってみて「冷たい!」と叫び、けっきょく41度の、温泉でない浴槽にだけ入ってすぐに出てしまう。それでは何のためにその秘湯に来たか意味がない。

 その温泉で何を考えたか。様々な浴槽の中で、我マス坊が一番好きなのは、いちばん温度の低い25度の源泉で、それは半野外のテラスにある。
 他の風呂がすべて屋内なのに対して、そのいちばん冷たい源泉は、屋外に鉄骨ガラス張りで設えた、温室のようなコーナーに寝湯として設けられている。むろん半野外だから真冬などとても寒くて入る人など皆無である。
 が、今の季節は、外が暑ければプール感覚で、山間の緑に囲まれた中で、太陽を浴びて半身を浸けて空を見上げているのは至上の快楽としか言いようがない。

 特に晴れた日中は、組まれた鉄骨の間のガラス窓から覗く青空を寝湯に浸かりながらぼんやり見上げときにうつらうつらする。浅いので溺れることはないし、冷たいのでのぼせることはない。むろんあまり長い時間そこに浸かれば体は冷えて風邪ひくかもしれないが、今の季節まで、それも外が暑いぐらいの日なら快適このうえない。
 そうしてヌルイ湯に浸かりながら、空を見上げて流れるゆっくり白い雲をぼんやり眺めていた。母と約束した出る時間まではまだ一時間以上ある。

 雲はゆっくりだが、確実に流れカタチを変えて左から右へ区切られたガラス窓の中を通り過ぎていく。そして思った。これが時間の流れなのだ。世界は昔も今もずっとこうしてこのスピードでゆっくりと動いていた。
 なのにいつしか人間はそうした自然の流れとは別に、勝手に時間を早く動かして無理やりスピードを速めてしまった。ともかくやみくもに、決めたからには何が何でもそのリミットに合わせようと、大急ぎですべてを動かしていく。しかしそんなに急いだとして何か得するのか。
 誰もが単に死に向かって大急ぎで突き進むだけでないのか。まるでネズミの大群が海に続く崖に向かって進み集団自殺していくように。

 自分はいつも慌てふためき常に焦っていたなあと思った。グズでノロマだからこそ、何もできずに時間だけが過ぎて、いつも苛立ちコトに置いては大慌てでパニックとなる。

 そして今年もまたそんな調子で気がつけば10月となった。そしてあれもこれもとけんあんのことは溜まるばかりで早く何とかせにゃと焦り始めている。
 しかし、いくら慌て焦りイライラしたとしてもそれでモノゴトは早く進むわけでもない。気ばかりが急いて逆に多動性障害のようにどれもこれも中途半端になっていくばかりだ。
 じっさいの時間の流れはこんなにゆっくりとしたものだが、決して休むことはないし止まらないし弛むこともない。ごくゆっくりとほとんど動いていないようだが、それでも確実に雲は流れときはゆっくり過ぎていく。これこそが正しい時間の流れなのだ。

 そして思った。ならばこの時間でやっていくのが正しい姿なのではないか。人に合わせたり振り回されたり、気にしたりあれこれ考えたりするのは結局のところあまり意味がない。時間は自分のものであり、自分のペースでしか本来は動かない。そしてようやく正しい本当の時間のスピードをみつけた。だとしたらこれで良いのではないか。このペースでのんびりと、だが確実に進めて行けばよいのではないのか。

 もう焦らないし慌てない。急かされても自分のペースは崩さない。ゆっくりと自分時間を大事にしていこう。しかし、だからこそきちんと、成すべきことやヘンなこと、正しくないと思うことにはきちんとすぐに対処して行かねばならない。ゆっくりとだからこそ後回しにはできない。一つ一つゆっくりと、だが確実にこなしていく。

 増冨の湯に浸かってようやく正しい時間の進み方がわかった。増冨の湯のすばらしさをもっと多くの人たちに知ってもらいたい。こうした智慧が浮かんだのも、この地の持つ特異な自然治癒力のおかげなのだと今は思う。関心持たれた方は喜んで案内いたします。我で良ければ同行いたしましょう。

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