癌を怖れず癌と共に生きる2015年10月09日 20時48分19秒

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 前回、増冨の湯と癌治療について書いた。追記というか、書き足しておきたいことを少し。
 先だっても某女性タレントが、壮絶な癌死を遂げ今もネット上や週刊誌などでは、芸能人によるコメントや追悼記事が続いている。
 他にも元女子プロレスラーのタレントの乳癌告白と手術後の闘病ブログが耳目を集めている。日本人にとって癌は今もっとも関心ある身近な、そして恐るべきポピュラーな病気だと思える。

 じっさい今や日本人の二人に一人は癌に罹ると統計も出ているようで、癌は不治の特別な病というより、きわめて日常的なほぼ誰でも体験する風邪や虫歯のようなものになってきたと言えよう。
 が、風邪では人はまず死なないが、癌の種類にもよるが致死率が高い癌も多いし、胃癌など手術で生存率が高い癌でも発見が遅ければやはり死ぬ。また、若ければ進行も早く、癌を発見後あっという間に死んでしまうことも多々ある。いずれによ、身近な病気となったとしてもその「死の恐怖」は軽減されたわけでは全然ない。
 癌のメカニズムや種類、症例などは専門的サイトや本もまた膨大にあるし、何も今さら素人が書くべきことなど何もないが、肉親に癌患者を抱えて、たぶん癌家系に生きる者として癌と治療に関して思うところを簡単に記したい。※自らが当事者となればとても落ち着いて何も考えられなくなるであろうから、これは未来の自分への覚書として。

 癌はまず体質や食を含めた日常生活、そしてストレスが大きく関係するとされている。タバコやアルコールを過多摂取する人は癌発症のリスクが高まることは科学的にも実証されているし、癌にかかる家族が多い家系もまた確かに存在する。また、フクシマの原発事故以後、甲状腺癌発症の確率が高くなっているとの報告もあるが、今はそのことにはふれないでおく。
 

 ただ一つだけはっきりしているのは、この過多のストレスや大気汚染と農薬や化学薬品、工業的食品添加物の多い食物を日常的に食べ暮らしている我々は、過去の日本人よりはるかに癌発症の可能性は高いことは間近いないことに異論あるまい。
 そしてもう一つ、誰もが人生八十年を謳歌するような長寿社会では、当然癌にかかる率も比例して高くなる。理由は、癌とは細胞の異常変異だから、高齢になるにつれ癌に罹る率も上がっていくからだ。
 ならばもはや特別な病気ではなくなった、癌とどう向き合い付き合っていくかであろう。

 私ごとを言えば、母の家系は、その父も長生きはしたが最後は胃癌で死に、母のすぐ下の弟も泌尿器系の癌で定年後すぐに死んでいる。そして母当人も、自らは癌など無関係だと思っていたのに、八十歳を過ぎた夏、原因不明の高熱が出、体調を崩してからじょじょに食が細くなり、下痢や便秘など繰り返し体重も減りこれはヘンだとあちこちの病院にかかったものの原因がなかなか判明できなかった。

 ガリガリに痩せたどころか足もむくみ腹水が溜まるようになってようやく、立川の病院で癌だとわかり、それも原発は卵巣からの癌で、それが大腸に転移して癒着を起こしてしまいもはや手術できるか体力低下と年齢もあってギリギリの状況だった。その頃はもう口からは何も食べられなかったのだ。

 そうした経緯は、ブログで逐一隠さず書いて来たので今さら繰り返さないが、幸いにして2011年の春先、その癌の部位、癒着した大腸を取り除き、腸を繋ぎ直して手術は成功し再び口から食べられる様になり母は元の生活ができるようになった。今振り返るとまさに生死の瀬戸際であったと思う。いまさらだが、神のご加護があったのだと知る。

 それから4年後、母は、ほぼ病気以前の元通りの日常生活を送っていたが、執刀医からも癌の部位は手術で取り除いたものの、癌細胞は体内に散ってしまっているから、またやがて再発はするだろうと言われたとおりに母の癌は再発した。
 が、今現在は、腹部へその下あたりに数センチの固まりとして確認はできるものの肥大化はあまりなく、抗がん剤などの治療はまだ何もしていない。一つに、八十代半ばという高齢であり、体に負担かかる再度の摘出手術はできないとのことと、もはや癌で死のうと自然に老衰的に死ぬのと差はなくなってきて、母も家族も癌に抗う気はなくなってきたからだ。
 それに疲れやすく体力は落ちてきたが、それは年齢的なものとして、特に痛みもなく普段の生活が前とさほど変わらず続けていられるのだから、もう特に何かの治療は必要ないではないか。また、さらに癌が肥大化して痛みや体力低下が甚だしくなれば何か対応法を考えるとして、今は食生活に注意するのと、定期的な丸山ワクチンの投与、それに月に数回の増冨の湯での湯治だけとなっている。

 日医大の丸山ワクチンがどれほどがん抑制に効果があるのかそれもまだ判明していない。しかし、再発はしたものの、手術後4年間は、癌は沈静化していたし、今現在もさほど肥大は抑えられている。医者たちはそんなワクチンは気休めだと考え、効果のほどは疑問視しているようだが、現実の話として手術直後の抗癌剤を一度した他はそのワクチン以外の医療行為は何もしていないのだから我々はその効果は間違いなくあると信じている。

 ただこれは癌の特効薬でも、抑制する薬でもないのだから、あまり末期癌的状態て体力の低下した患者には効果はないかもしれない。これは増冨の温泉も同様に、その人自身の自然治癒力を高めるのに効果があるとされる。詳しい理屈はわからないが、白血球などが増えたり体が活性化することで、癌細胞の増殖を結果として抑えていくことになるのだと思える。
 じっさい、癌細胞を殺す治療法は放射線を中てるのも同様に、他の健康な細胞も殺してしまうことになる。癌自体は消えたとしても体力がなくなり他の病気に罹ったり他に障害が出たりとかえって生命の危機となることも多いと聞く。

 思うのだが、癌を病気の一つだと考えるのは間違いなのではないか。何故なら癌は血液も含めて体中のどこにもできる。そしてそれぞれ特徴も違う。症状も千差万別だ。癌とはそもそも「病気」ではなく細胞の特殊変異なのである。本来正しく増殖していくべき細胞が、あるとき何かの異常で癌細胞に変化する。そしてその変化した細胞が増殖し続け健康な細胞を蝕んでいく。それを病気と考えるのはどうか。病気とは決まった症状が現れ一過性で治るものだ。癌は基本自然には治らない。増殖し続け最後にはその肉体じたい滅ぼしてしまう。

 細胞というのは、常に一定の周期で古くなっては死に、その遺伝子を受け継ぎまた新たに生まれ変わっていく。一年たつと人間の体はすっかり新しい細胞に生まれ変わっているのだそうだ。
 しかし顔形も脳内の記憶も前のままなのは、きちんと細胞同士がその遺伝的情報を変わらずコピー&ペーストし続け新しい細胞に受け渡しているからだ。しかし、コピー機でコピーとった人が知るように、コピーは回数を重ねるごとに最初は綺麗に見えてもしだいしだいに汚く不鮮明なものとなっていく。
 最初は真っ白い原稿も何百回もコピーを繰り返すといつしかシミのような汚れが出てしだいにそのシミは大きくなっていく。癌細胞もそうしたものではないかと思う。コピーを繰り返しているうちに、あるとき何かのミスでヘンな細胞が出来た。が、そのままそれをコピーし続けていたらそのヘンな細胞はさらに増え続け最初のまっとうなほうが減ってきてしまった。

 若ければ、そうしたミスは起こらないし、チェックも厳しくきくのかもしれない。が、歳とってきて、それだけコピー回数が加算されると正しいコピーのほうが少なくなっていく。だからシミやシワのようなものが皮膚にはできるし、眉毛が異常に長く伸びたり耳の穴など変なところに長い毛が生えたりもしてくる。それは癌ではないが、正しい遺伝子情報がいつしか伝わらなくなってそうした異常が起こるのであろう。

 癌もまたそうしたものでしかない。若い時の癌は別として、人はそう考えると歳とればこそ誰でも癌になるしなっても当然だと気づく。ただそれをどう進行を遅らせるか、癌を知り見極め、どう癌とつき合いながら長く生きていくかが工夫のしどころだと思える。そしてそれは可能だと思う。

 でも癌は当然怖い。できればかからず、癌に煩うことなく人生を全うしたい。しかし、二人に一人の日本人が癌にかかる。そして我は癌家系なのだ。ならば癌は他人事だとどうして言えようか。祖父が母がそうであったように、まずおそらく癌と出会うだろう。それがいつ来るか、だ。

 ※バカだから書き出したら例によって長くなった。もう一回だけ書きたいことがある。

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