年の瀬に、亡き母の夢をみる2016年12月28日 22時55分23秒

★夢から醒めたあとのやるせないこの気持ちは・・・

 昨日の夜から冷たい雨が降り、北からの強い風、木枯らしが吹き荒れていた。
 今日は、風はまだ残っていたものの、晴れ間ものぞき日中は穏やかとなった。朝から父の溜まった汚れ物の洗濯に追われた。

 このところ夢の中に母がよく出てくる。今朝がたも母の夢を見た。
 母が死んだ一、二か月は、夢の中でも母に会いたいと願い、せめて夢で母に会えるかと常に期待していた。が、何故か、母のことは夢にも見ずに、辛い日々は慌ただしくただ過ぎて、そのこともまた哀しみを増す理由の一つでもあった。もはや夢でも会うことはかなわないのかと情けなく思った。
 ところが、死後三か月が過ぎたころから、先にも記したが、母の夢をみることが起こるようになった。
 思うに、母もあの世でもそろそろ一段落して、やっと我の夢に出ることもできるようになったのではないのか。

 当初、向うに行ったばかりの頃は、先に逝っていた旧知の懐かしい人たちの再会、歓迎会や、向うでの諸手続きやらが忙しくて、こちら=現世のことなどに気が回らず、夢に出ることすらうっかり忘れていたのかと想像する。母はそういう身勝手なところがある人だったから。
 ようやくあの世での生活にも慣れて、さて、遺して来た夫や息子たちのことはどうしたのかと、こちらの夢の中にアクセスしようとし始めたのかもしれない。
 
 その夢の内容だが、母の癌が再発した頃、病んではいたが、まだ元気に自ら動けていた頃の母が、話の前段階はよく覚えていないのだが、母は自ら歩いて何度も入院したり手術した立川の病院に出向くというところからだった。医師は出てこなかったから診察に行ったのではないようだ。
 我も母と一緒だったが、そこまで伴ったわけではないようで、母はまず一人で歩いて行ったのだった。
 その病院も現実の病院よりもっとこじんまりとして、デイサービスの施設のような感じで、そこに集まっていた顔見知りの看護婦さんたちに、母はニコニコしながらまず挨拶して「私、また癌が再発しちゃったの」と話しかけた。
 みんなも、母が来たことに喜び、歓迎してくれて、でも元気そう、とか、少し痩せた感じだけど、大丈夫よ、とか言って母を励ましてくれた。
 それから母の手を引いて、その病院の中を歩き回ったりして、何か職員と話し、夢の最後は、ベッドに横になった母を、我はぎゅっと抱きしめて終わった。
 家に帰って来たのかもわからない。ただ、生きている母の体温と、息つかいを感じて心臓の音まではっきりと聞き取れたことは覚えている。
 そして夢の中の我は、その先のことに対して不安は感じつつも、母はこうして自分で歩いて病院に来れたのだから、大丈夫だと安心していた。
 でも調子よくても急に体調が悪くなるかもしれないしなあ、とかあれこれ考えているうちに、じょじょに夢から醒めてきて、ああ、これは 夢だった、もう母は死んでしまったのだ、と気づき、目覚めた。
 しばらく布団の中で、今の夢を反芻していた。ちょっと前までなら、母は死んでしまっている「現実」に打ちのめされ大泣きしたことだろう。
 もう三か月以上過ぎたこともあるからか、うっすら涙は出たが、もう声上げて号泣しはしなかった。
 それにしてもリアルな夢で、母の体温から心臓の音、匂いまではっきりありありと夢なのに我は感じていたのだ。まだ元気だった頃の母を再び抱きしめられて夢でも嬉しかった。有難い夢だった。
 夢の中で、生きている母と会い、覚めて、母はもう死んでしまったという「現実」に戻ると、今までは常に、何とも形状し難い嘆息するしかないやるせなさ、虚しい空漠感に苦しめられていた。
 しかし、このところはその喪失の哀しみ、嘆きよりも母と会えた喜びのほうが勝りつつあるようだ。

 母が寝たきりとなったきっかけは、まず、家で夕刻時、40度を超すものすごい高い熱が突然出て、寒気がして歯の根が合わないほど母はガタガタ震えて、我に「ぎゅっと肩から抱きしめて」と願った。
 救急車の手配しつつ、我は母に軽く覆いかぶさって、ともかく震える母を抱きしめて我の体温で温めるしかできなかった。
 今思うと、それは癌性腹膜炎などで、細菌による感染症、敗血症での高熱で、たいがい30分ほどで、熱は下がり出してはいた。しかし、そうした高熱は母の体力を奪い、以後も数度そうした高い熱の発作が起きては都度入院を余儀なくされ、結果として衰弱が進み寝たきりに向かってしまったのだ。

 以後、我家で介護ベッドに寝たきりの生活を送るようになった母は、夏でも常に寒い寒いと言い続けた。ときたままた高熱が出る兆しはあったが、我が付き添い、いつものようにぎゅっと抱きしめれば収まるときもあった。
 結局最後は、熱も出ることなく、食事もほとんど食べられなくなってミイラのように痩せ衰えてしまい、誤嚥した水を咳き込む力すらなく、我の腕の中で、まさになすすべもなく魂が尽きて死んでしまった。

 実をいうとこのところ、我と父は諍いが絶えなかった。たえず食事のつど食べたくないとかあれこれ文句ばかり言う父を叱りつけ、怒鳴り特養に入れると脅したり隣近所に聞こえるほど「騒動」を繰り返していた。
 正直、もう一緒に暮らせないし、このままでは息子は発狂するか父を殺すか倒れるかしかない。特養に入れるしかないのかと真剣に考えていた。とことん疲れ果てた。「狂人」と暮らしているとこちらまで頭がおかしくなってしまう。
 そんな最中に、母が元気なころの姿で、夢の中に出て来て、言葉には出さないけれど、我を慰めてくれたのだ。
 現実はどんなに辛く苦しくても、夢の中では母は変わらず元気な姿で会えるのならば、その母の愛に応えるためにももう少し我は頑張ろうと今思い直している。
 母はしっかり今も生きている。変わらぬ姿で存在している。夢の中では我に示し励ましてくれたのだ。夢であろうとその「復活」があるのならば、もう人生は辛くない。母は変わらずそこにいてくれる。母は常に我を見守ってくれているのだった。