この一年をふりかえって・続き2017年12月26日 07時37分40秒

★出会いと別れのその先に

 よく、今年の十大ニュースというように、個人的、あるいは世相的に、今年一年の間に起こったことについて順位をつけて発表することが今は一般的だ。
 では我に関してはそう考えてみてもとても10も大きなニュースは何もない。一言でいって、今年も昨年に引き続き老いた親の看護というか、世話と介助中心に明け暮れて自分のこと、家のことは何もできずに一年がまた過ぎたということだけだろう。
 ただ、去年は、その挙句に秋九月に母が死んでその「後始末」に追われたわけだが、今年は遺された父はさらに衰弱は進み、体調的にも母の後を追っては来ているが幸いにしてまだ父は健在で、全てのストーリーは「来年に続く」という結末で終わったというところだ。
 その他は、毎度のことだが、ありふれた表現を使えば、出会いと別れを繰り返していた。

 確かに今年も「出会い」、また新たな知り合いは出来たものの、しかも圧倒的に「別れ」のほうが多く、のみ亭のやっちゃんを筆頭に、その出来事は、当初は怒りのような憤りすら覚えるほどの痛恨事であった。ある意味、去年の母に引き続き、今年もまたとても大切な人を喪ってしまったのだ。
 別れだけ振り返っても、4月頭にこの家で生まれたときから、約20年間共に暮らし、全国あちこち連れて行った愛犬ブラ彦がついに天寿を全うしたことと、その後、入れ替わるように5月末にまたこの家にやってきた子猫たち、二匹の新たな命が、母猫も飼い主である我もかなり苦労して大事に育てて二か月経ち、ずいぶん可愛く成長してそろそろ新たな飼い主の元へと考えていた矢先、二匹一緒に忽然と姿を消してしまったことだ。母親も我も何日もあちこち探しまわったが、八方手を尽くしてもみつからず、何か事故にあったのかとも考えたが、外で遊んでいるときに誰かに連れ去られたとしか思えない。誰かに可愛がられて無事でいると思いたいが・・・
 その突然の別れも今もまだ我の中で深い傷になっている。
 
 出会いに関しては、ヒトとのことは知り合っても数回限りで終わってしまったことも多く、継続的に続くほど得難いものは今年は何もなかった。むしろ、懇意にして来たはずの人と、我の不徳が原因なのであろう、疎遠になり互いに連絡がなくなってしまった方も多い。結果としてそれもまた「別れ」の一種なのであろう。

 今も続いている出会いは、ブラ彦の死を見越して、今年の一月だったか、山梨から「迷子犬」として保護されていた雌の甲斐犬系雑種を、施設から貰い受けたことだ。そのままだと殺処分されかねなかった。
 ただその犬はかなり問題ある犬で、もうあまり若くないのと、前の飼い主にずいぶん虐待されて捨てられたようで、ちっとも人間に慣れないばかりか、今も夜啼きしたり、「おトラさん」という名前をつけても我に馴染んではくれない。一昨日は、オヤツ与えていたら、我の手をカブッと噛み、しかも喰えたまま離さず親指からかなり血が出た。
 父に加えてこの新たな「老犬」もかなり手がかかる。我は自ら面倒かつ大変な事態にわざわざもっていっているのではないのかと自問するが、スーパーやまとで、その誰か飼い主を!という「貼り紙」を見たのも運命であり、それもまた縁あってこの家に来たのだと思うしかない。
 じっさいブラ彦が死んで、ウチに残るはベルコという雌犬一匹になってしまっていたらどんなに淋しいことであっただろうか。今はそんな手のかかる問題犬であろうとも居てくれて有難いと思っている。いつか彼女もきっと心開いて人間を慕ってくれると信じて。

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