友達の友達のまたトモダチは友達にすべきではない。 ― 2018年02月11日 00時01分20秒
★と、心した話。
これは我がブログの場だからこそ書く。他言無用。
ひょんなことから自発的意思ではなく、まるで徴兵され戦地に赴く二等兵の如くフェイスブックなるものに加わり始めた我マス坊だが、気がつけば「友達」もいつの間にか二ケタ台になっている。
我としては、「友達申請」あらば、フェイスブック、始めたからには基本誰でも「トモダチ」になってもいいか、という気持ちでいたし、元より以前から知っている友人知人からの申請がくれば拒む理由は何もない。
問題は、友達のまた友達からの「友達申請」で、会ったことのない、知らない人と友達になって良いものか、おそらく誰でも迷うのではないか。
昨日のこと、我がいちばん最初に友達に加えたM嬢の「友達」として、とある業界関係の男性から「申請」が届いた。その人は我も直に面識はなかったが昔から名前だけは知っていた方だったし、すぐさま承認してもかまわなかったが、いちおう念のためにまずMさんに、その人についてどのような方なのか確認をとった。
そしたら真面目に護憲活動もされている人とのことで、ならばとすぐさま承認した。こんな我と「友達」になってもらえるのならば光栄ではないか。
そしたらば、ほぼ時間を置かず、その新たに承認した彼の「友達」として表示が出、関西在住の女性からまた新規の「申請」が届いた。さすがにどうすべきか考え迷った。
そもそもその女性を繋いだ彼とも我は直の友達ではないのである。その友達の友達のまた友達とも「トモダチ」になるべきなのだろうか。この申請を許可すべきか。
まずは、我の親しいM嬢の友達である、その新たに友達として承認したばかりの彼に、今またその申請してきた女性とはどんな方なのか確認をとろうかと考えた。が、それをやっていると、永遠に友達の連鎖は続くだろうし、その都度ごと会った事のない友達にまたその友達について尋ねなければならなくなる。それではきりがない。まさにエンドレスだ。
で、その、また新たに申請して来た「友達の友達の、また友達」の女性のフェイスブックを覗き、どんな人なのかまずは確認してみることにした。
そしたらば、これはちょっと・・・、というか、我には怪しげに思えるネットビジネスのセミナーに出てたらしく、その修了式の写真やら、その先生との満面の笑みの記念写真やら、安倍首相夫妻からの花束が届いていて驚き感激した写真などもあって、これは、まったく我々の側の人ではないと勝手ながら判断させてもらった。
我に申請して頂いたその方には申し訳ないが、その人間関係と行動を画像で見る限りまずそんな方とは友達にはなれないし、そもそも我らの仲間ではなく、最初から「友達」ではないと思えた。まったく共通の話題も関心もないどころか、我マスダのこともまだ何も知らないはずなのにいきなり友達になろうと申請して来る心性がよくわからない。
我を、フェイスブックに導いてもらった先人M嬢にそのことを相談したら、申請してくるにあたって何のコメントも記してないのは、まずは疑ってかかれ、とのことで、その女性は実際よく知らない友達のまた友達なわけで、こりゃ迂闊にそんな人を「友達」として気軽に申請許可してはならないのだとようやくわかってきた。
うっかり、友達の輪に我から加えたりすると、きっとその学んだネットビジネスを我が友達間でも始めるのかもしれない。そういう危険性もあった。だからフェイスブックは恐ろしいと我は危惧していたのだ。
よく民法上で遺産相続など、何親等までとかよく問題になる。我も今回の件で、友達承認は、友達の友達までにしておかねばと誓った。基本、申請は誰でも受け付ける。が、まず誰からの紹介であるのか、その取り持つ方に確認をとって、どんな人かはっきりわからない限り、承認は絶対しないことに決めた。
つまり基本、友達の友達までしかフェイスブックの友達の輪は広げない。それもまずその我が知る真の友達に、どんな人か、新たな友達に相応しいか確認とってからの話だ。でないとこんな風にしてヘンな人間が「友達」として加わろうと手ぐすねひいている。
その女性がヘンとか怪しいかどうかはじっさいは何もわからない。失礼なことを書いている。が、友達は選ぶことはできるのが、フェイスブックのシステムなのであろう。我は自ら申請はしないし、たとえ申請し拒まれてもちっともかまわない。ならば、まったく知らない人とは、請われても友達なんか絶対になりたくない。
そもそもバーチャルな「友達」なんかネット世界では新たに欲しいとも思っていない。そんな人の動向なんか知ったことか。忙しくてパソコンに向かう時間すらないのだから。
これは我がブログの場だからこそ書く。他言無用。
ひょんなことから自発的意思ではなく、まるで徴兵され戦地に赴く二等兵の如くフェイスブックなるものに加わり始めた我マス坊だが、気がつけば「友達」もいつの間にか二ケタ台になっている。
我としては、「友達申請」あらば、フェイスブック、始めたからには基本誰でも「トモダチ」になってもいいか、という気持ちでいたし、元より以前から知っている友人知人からの申請がくれば拒む理由は何もない。
問題は、友達のまた友達からの「友達申請」で、会ったことのない、知らない人と友達になって良いものか、おそらく誰でも迷うのではないか。
昨日のこと、我がいちばん最初に友達に加えたM嬢の「友達」として、とある業界関係の男性から「申請」が届いた。その人は我も直に面識はなかったが昔から名前だけは知っていた方だったし、すぐさま承認してもかまわなかったが、いちおう念のためにまずMさんに、その人についてどのような方なのか確認をとった。
そしたら真面目に護憲活動もされている人とのことで、ならばとすぐさま承認した。こんな我と「友達」になってもらえるのならば光栄ではないか。
そしたらば、ほぼ時間を置かず、その新たに承認した彼の「友達」として表示が出、関西在住の女性からまた新規の「申請」が届いた。さすがにどうすべきか考え迷った。
そもそもその女性を繋いだ彼とも我は直の友達ではないのである。その友達の友達のまた友達とも「トモダチ」になるべきなのだろうか。この申請を許可すべきか。
まずは、我の親しいM嬢の友達である、その新たに友達として承認したばかりの彼に、今またその申請してきた女性とはどんな方なのか確認をとろうかと考えた。が、それをやっていると、永遠に友達の連鎖は続くだろうし、その都度ごと会った事のない友達にまたその友達について尋ねなければならなくなる。それではきりがない。まさにエンドレスだ。
で、その、また新たに申請して来た「友達の友達の、また友達」の女性のフェイスブックを覗き、どんな人なのかまずは確認してみることにした。
そしたらば、これはちょっと・・・、というか、我には怪しげに思えるネットビジネスのセミナーに出てたらしく、その修了式の写真やら、その先生との満面の笑みの記念写真やら、安倍首相夫妻からの花束が届いていて驚き感激した写真などもあって、これは、まったく我々の側の人ではないと勝手ながら判断させてもらった。
我に申請して頂いたその方には申し訳ないが、その人間関係と行動を画像で見る限りまずそんな方とは友達にはなれないし、そもそも我らの仲間ではなく、最初から「友達」ではないと思えた。まったく共通の話題も関心もないどころか、我マスダのこともまだ何も知らないはずなのにいきなり友達になろうと申請して来る心性がよくわからない。
我を、フェイスブックに導いてもらった先人M嬢にそのことを相談したら、申請してくるにあたって何のコメントも記してないのは、まずは疑ってかかれ、とのことで、その女性は実際よく知らない友達のまた友達なわけで、こりゃ迂闊にそんな人を「友達」として気軽に申請許可してはならないのだとようやくわかってきた。
うっかり、友達の輪に我から加えたりすると、きっとその学んだネットビジネスを我が友達間でも始めるのかもしれない。そういう危険性もあった。だからフェイスブックは恐ろしいと我は危惧していたのだ。
よく民法上で遺産相続など、何親等までとかよく問題になる。我も今回の件で、友達承認は、友達の友達までにしておかねばと誓った。基本、申請は誰でも受け付ける。が、まず誰からの紹介であるのか、その取り持つ方に確認をとって、どんな人かはっきりわからない限り、承認は絶対しないことに決めた。
つまり基本、友達の友達までしかフェイスブックの友達の輪は広げない。それもまずその我が知る真の友達に、どんな人か、新たな友達に相応しいか確認とってからの話だ。でないとこんな風にしてヘンな人間が「友達」として加わろうと手ぐすねひいている。
その女性がヘンとか怪しいかどうかはじっさいは何もわからない。失礼なことを書いている。が、友達は選ぶことはできるのが、フェイスブックのシステムなのであろう。我は自ら申請はしないし、たとえ申請し拒まれてもちっともかまわない。ならば、まったく知らない人とは、請われても友達なんか絶対になりたくない。
そもそもバーチャルな「友達」なんかネット世界では新たに欲しいとも思っていない。そんな人の動向なんか知ったことか。忙しくてパソコンに向かう時間すらないのだから。
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