続・続・死に行く者と新しい命と2018年06月17日 13時28分16秒

★そして・・・子猫がまた今年もやってきた。

 黒ちんが今年もお腹が大きくなってきたことは気づいていた。また今年も春子である。
 去年の子どもたちが生まれたのが5月27日のことで、それは二階の広間にソファの上においた箱の中で産んだ。
 そしてその子たちはやんちゃ盛りで突如忽然として二匹一緒に「失踪」したことも記して来た。

 今年は、昨年のその「災難」から学んだのか、母黒猫は、大きいお腹かかえたままいつしか姿を見せなくなり、しばらくして現れた時はお腹はぺったんこで、どこかで隠れて子を産んだことが想像された。
 この猫は野良上がりで元々身体も小さくかつて流産したこともあり、果たして無事どこかで子どもを産んで育てているのかなかなかはっきり確信がもてないでいた。
 ただ食欲はすごくあり、食べ終わるとすぐに姿を消す。そしてあるとき二階の今は納戸、物置と化している小部屋の中へ、積み上げた本類やガラクタの中へ入っていくのを確認した。そしてそこから出てくることも。

 拙宅に来られた方ならご存知かと思うが、我家は玄関を入ると二階へ上がる階段があり、二階はほぼ二十畳ほどの広間になっている。踊り場のスペースの左手にトイレなど水回りがあり、その右奥に細長い我の作業場、今これを記しているパソコン机が置いてある。
 間仕切りやドアはなにもなく、ほぼ全部吹き抜けの通り抜けられる廊下兼板の間になっている。しかしどこも本が平積みになりレコードの箱が点在してまさに足の踏み場がない有様となっている。
 が、唯一三畳ほどのガラス戸で仕切られた小部屋もあり、今現在はそこも物置として今現在すぐ用いない機材や本、雑誌などを「とりあえず」投げ込んでいた。
 しかもその手前には、昨年亡くなったのみ亭やっちゃんのとこから運んできた古雑誌などが箱詰めにしたまま我の背の高さ上まで積み上げてある。早くきちんと整理して棚に入れて、「のみ亭文庫」として公開しようと考えてはいるが、あれから一年近く経つのに何も手つかずのままだ。我が家無頼庵は今はもう惨憺たる有様なのである。

 母黒猫はそうした箱や本の山をうまくかいくぐり、そのまた奥の三畳ほどの物置部屋に入っていく。果たして中に子猫はいるのだろうか。
 耳を澄ませて子猫の鳴き声がしないかと注意しても物音は何もしない。死産したのにまだそこに通い詰めているのではないか。
 いたずらに小部屋に押し入り子どもがいるかガサゴソ探したりすれば母猫はまたパニック起こして子供がいたとしてもさらに隠してもう帰ってこなくなるかもしれない。ともかく様子を見るしかなかった。
 そうして半信半疑というか、子猫を産んだことは間違いないはずだが、その存在を確認できないまま早や夏の声を聴く季節となった。

 と、先だって、6月11日月曜の早朝のこと。父が発熱してショートステイを何日化休んでいた最中、我も父のことか゛きにかかり浅い眠りの中にいたら、午前3時頃、そののみ亭の箱が積み上げてある踊り場が何か騒がしい。
 ごそごそドカドカ何かが動き回っている。またネズミでも出て騒いでいるのかと起きて覗きに行ったらば、黒い毛長のものがちょろちょろ走り回っている。黒ちん母さんと思ったがやや小さい。それは慌てて広間へと逃げていく。
 広間のほうを見たら黒母さんは横になってそこに寝ている。ということは子猫だ!と気づいた。しかし何匹いるのかわからない。
 ただはっきりしたのは、やはり子猫はその小部屋で生まれ育ち、ついに大きくなってきて母の後を追って自ら出てきたことは間違いない。母乳だけで立派に育ち一人でじゃれ回るほどの大きさになっていたのである。
 そして朝になりはつきり確認したらば、子猫は二匹いて、しかももうかなりデカくなっていた。どちらも真っ黒で、一匹はチンチラのように毛が長くモフモフしている。もう一匹は母猫と目の色が違うだけで瓜二つである。
 ただ人間を見るのは初めてだから、怖れをなしてこちらが現れるとすぐに逃げてソファの下や物陰に隠れてしまう。とても捕まえることはできやしない。まあ、彼らにすれば「進撃の巨人」の巨人ほどに我は大きいのだから大いに恐怖するのも仕方ない。
 母黒猫がウチに来た時も当初は何ヵ月もまったく慣れず、父母の寝室に閉じ込めて餌与えて少しづつ慣らしてやっと我家の猫となったのだ。親が人間を怖れないのを見れば子どもたちもやがてはニンゲンは怖くないと学ぶことだろう。


 そしてそれから約二週間が過ぎた。今ようやく我が近づいても慌てて逃げ去ることは少なくなってきて、母猫にくっついてオッパイ吸っているときなど持ち上げて性別を確認したらどうやら二匹とも雌らしい。
 毛長のモフモフのほうが気が良く、のんびりしているが、もう一匹は慎重派というか神経質でなかなか今も簡単には捕まえられない。
 
 当たり前のことだが、子猫は可愛い。が、子猫軍団・母親付きは、ともかくやんちゃで騒がしく、いつどこに現れるかわからない。野生の猿の群れの如く、我の寝室のベッドの上を寝場所にすることもあって、シーツの上でオシッコしたりベッドの下で糞したのか臭くてたまらない。しかも先日は死んだトカゲの死骸まで散乱していて仰天した。
 積み上げた本の山は崩すし、我がいるきは姿消しているのに眠ったとたん現れて我の足にじゃれて噛みついたり、マッハのスピードで我の上を走って追いかけっこをしたりと、もうやりたい放題で、我の睡眠不足は慢性化している。
 そこに加えて老犬おトラさんも早朝起こして抱きかかえて外に出して排尿させないと家の中でしてしまうし、老いた父と犬と子猫たちの世話に追われて彼らに振り回されて気が休まるときもない。
 父が施設に行って不在でも犬と子猫たちだけで手いっぱいという状況が続いている。

 しかしこうした状態もいつまで続くかそれは誰にもわからない。いつまた子猫は忽然と姿を消すかもしれないし、犬も父もその命が終えるときが突然来るかもしれない。
 ならばもう今はあれこれもう何も考えないし何も悩まない。何が起ころうとかまわない。今はもうすべてがどうでもいいという気分でいる。
 どうでもいいというのは、ネグレクトし放擲してのことではない。
 Dylan的に言えば、Don't Think Twice, It's All Rightであり、ビートルズならば、レット・イット・ビーである。

 この世は死に行く者とまた新たな命がクロスして行き交っている。彼らは我の前を通り過ぎ行くだけだ。我はただ彼らのために日々できることをただしていくだけだ。そう、もうどうでもいい。何か起ころうとかまわない。そう、あるがままに だ。

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