商売考・補足2018年06月27日 13時44分15秒

★世知辛い人生がさらに世知辛くに

 南からの生ぬるい強風が吹き荒れる午後である。まだ梅雨開けしていないはずだが、このところ雨は降らず晴れたり曇ったりの蒸し暑い日が続く。

 拙ブログ、このところ毎日先月末の分をちまちま書き足しているのだが、そうした「過去」分は誰もわざわざ読み返すことなどないようだ。その日毎の新規更新が無いがためか、毎日順位は下がり続けて間もなく百番圏外となろうとしている。
 まあそれも仕方ないし、別にこれで飯食ってるわけではなく自らのためにまず書いているのだからランキングなど気はしない。ただ、つまるところ誰も読んでないという証なわけで、やはり張り合いがないというかこの行為にそもそも意味があるのかと自問もしている。
 まっ、これ以上下がるとやはり哀しいので「新規」で書き進めていく。※我がブログに関心ある方は先月分のも覗いてみてください。

 さておき、また商売の話について少しだけ書いておきたい。

 人には誰しも転機のとき、大きく変わらざる得ない時があるのだと今つくづく思う。そしてそれは様々なことが関連しまとまってやってくる。

 今我は還暦となり、いわば世間的には会社勤めなどの一つの人生を終えて、老後なり余生とかいう新たな人生の門口に立っている。
 我とは関係ない話だが、フツーの人ならば、これからは仕事などに追われることなく退職後の悠々自適の年金生活が待っているのかもしれない。子育ても終わりローンの支払いも済み、後は夫婦で海外旅行など若い時にはできなかった余暇や楽しみに没頭する計画を立てている頃かもしれない。

 が、あろうことか我はその歳で、父とのこともだが、実人生が完全に行き詰ってしまい、今人生再建中だということは書いて来た。それもこれも若い時からの無計画とだらしなさの果てであり、人生を甘く見てきたツケ、まさに自業自得だから愚痴こぼすわけにはいかない。
 ならばこそ、父が生きていようといまいと、我はすぐさま後おって死ぬわけにもいかないわけで、もし父の歳まで生きられるとしたら何とまだ30年も人生は続くのである。嬉しくもありうんざりもし、そうならばではどうやってその生活費を捻出するかという現実問題にも突き当たる。
 我は無年金者で、父が死ぬば、どこからも公的に入って来る金は一円もない。この家に僅かな預貯金もなくはないが、それだって数年で使い果たすことは間違いなくその先の収入のアテはない。
 先のことをふと深夜ベッドの中であれこれ考えたりすると不安で眠れなくなりアルコールに溺れたり突発的に自殺したりするかもしれないので基本深く悩みもしないし考えないようにしている。
 
 今現在、Amazonを通して小遣い稼ぎ的にそのマーケットプレイスで、古本古雑誌、古書を販売している。だが、どうもそれもそろそろ潮時というべきか再考すべき状況になって来た。というのは、売れてもちっとも儲からないのである。※特に先だって手数料が上げられてからは。

 例えば、マーケットプレイス上で、ウチが売値として一冊商品代金¥365 の本に注文があり売れて発送したとする。
 Amazonから通知があり、まずAmazon手数料として-¥294が引かれて、そこに配送料として¥257プラスされ、結果としてウチには、計¥326が入って来る。
 どう思われるだろうか。Amazonから支払われる¥326の中に、今は郵便局のゆうパケットという特割の配送料¥167を引くと、実質手取りは¥159なのである。
 つまり365円の本が売れてもあまりに膨大な手数料がとられてしまい、大目に支払われる(購入者が請求される)一律配送料が加算されても儲けはわずかで売値の半値にも満たない。
 このところはそんな状態が続いていて梱包や発送の手間暇考えると何かバカバカしくてやる気が失せてしまった。
 むろんこの手数料は高額な売値の本の場合、もっと低くなっていく。手数料を引かれてもかなり旨味も出る。が、低価格の本こそ、売れても手数料自体がその売値と同様までに引かれるので、まったく儲けは出ないのである。こんなんでAmazonで商売続けていく意味があるだろうか。

 しかも不思議なのは、これは我の能力なのか誰もがそうなのかわからないが、こちらがやる気があるときは注文が増え、その気がないときは注文は格段に減ってしまうのである。
 むろん新規出品の度合いも大きい。新たに何十冊も出品すれば、それに注文が入ることと連動してずっと売れずに眠っていた本までも売れ出すようにもなる。また、我がコンサートやイベントの準備で忙しく、注文の方ははなから頭にない時などはそもそも注文自体が途絶える。
 昔から不思議に思っていたが、思い、願えばかなうの喩え通り、本を売りたい、注文を増やしたいと自ら始終考えていると、なぜかそう動いていくのである。

 が、今はそんなでそもそも売値の安い本ばかりでたまに注文が入っても儲けは出ない。こちとらもうやる気が失せているからますます注文は届かない。以前は毎日多い日は数冊も一冊千円以上の売値の本に注文が入って、トータルにすれば週に最低でも七冊以上常に売れていたのに、この数週間は一日一冊も注文が無い日が続いている。※ヤフオクの入札、落札のほうに気をとられていたこともある。

 しかもそこに示し合わせるかのように、いや、追い打ちをかけるが如くに、郵便局から先日封書で通知が届き、これまで二年間利用していた特割配送サービス、ゆうパケットの解約を、打ち切りを言い渡されてしまった。
 これは先年、ヤマトがそれまでやっていた格安の配送サービスを打ち切ってしまったがため、我としては困惑して郵便局とかけあい年間500冊(便)発送利用するという契約で、「ゆうパケット」という料金後納格安配送サービスが受けられたのだった。
 このゆうパケットだと、2㎝までの厚さならば¥167、3㎝までならば¥232で、重さ一キロ未満であれば全国どこでも送れたのである。通常の書籍便、ゆうメールよりはるかに格安で、これで何とかAmazon側から支払われる配送料の中でやりくりできたのである。

 書面には、解約の理由として、契約時の500通に満たないためとあって、初年度は430いくつか、去年度は460いくつかだったと記してあった。我としても500はいっていないかもと不安もあったし、特に初年度は母の死などもあって商売に専念できなかったことも大きかったと悔やまれる。しかしどちらもあと数十冊の不足ではないのか。来年度こそがんばるから大目にみてはくれないものか。
 局に出向いて交渉しようかとも考えたが、そもそも契約が500ということならば、一冊でも足りないとダメなのであろうし、そのためにAmazonで安値の本売るのに必死になってさらに囚われるのもバカらしい。
 世知辛いなあとつくづく思う。どうしたものか。

 ただそれでもうダメだと落ち込んではいない。トラブルとダメは我の影法師であり、死ぬまでとことんついてくる。また、こうも思う。試練や苦難の時があるからこそ人は悩み考え、活路が切り開かれるのだと。
 寒い季節があったから人は衣服や住まいに工夫を凝らしそこに文明・文化が生まれた。年中温かい土人たちには衣服も不要で家さえも雨露凌ぐ程度のものしか発達しなかったではないか。
 ならば、この苦難もまた良しとすべきなのである。幸い、ヤフオクを始めてヤフーと既に関わりができていたため、郵便局の格安配送サービスでクリックポストというヤフーが窓口になっているサービスにすぐ移行することができた。これなら2cmまでのものならば全国一律¥164で送れるのだ。ゆうパケットよりもほんの少し安い!問題はそれを越す厚さのものはどうするかだが、それもまた模索していくしかない。

 Amazonでの本の販売も完全に終わりにすべきか今考えてはいるが、まだ続けるならばまずは高額本が売れるよう乞い願い祈ることから始めるしかない。
 ヤフオクでも本や雑誌を売り始める計画は変わらないが、開始すればそのために他の案件はさておき常にフリーハンドにしておかねばならない。何であれ新たに何かを始めるためには準備のためにもまだもう少し時間がかかる。

 繰り返すがどうやって生きたって良いのである。この人生は自分だけのものだ。もう何も望まない。何も考えない。我が関われる、今抱えていることだけきちんとさせて関わっていきたい。
 トラブルとダメと孤独は三点セット。だが、そのどれもが我に相応しく愛おしい。
 ダメはダメなりにもがきあがきながら何とか生きていく。

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