青春と白秋と、近づく玄冬と2018年11月13日 13時47分02秒

★すべてに終わりの時が近づいている

 他の地域はどうか知らないが、東京多摩地方、今年の秋は雨や曇りの日が多く、なかなか秋らしくカラッと晴れ渡る日が少ない。
 今日も昨日に続いて曇りがちで朝方は雨が降った。今もどんよりとした曇り空、陽射しがない分寒く感じる。
 そう、もう11月も半ばなのだから秋も深まり本格的冬はすぐそこまで来ている。寒いのも当たり前で、早く冬支度をしないとならないのだが、庭の落葉掃きやまず喫緊の問題が最優先で、なかなか冬物衣類を出したり屋内の準備が進まない。
 父が施設に行って不在の間に、といつも思うのだが、留守なら留守でまたやるべきことも多々あって、コタツ布団もまだ出せる状態ではない。それに今年は掘り炬燵はどうするか迷うところだ。今の状況では火事になる可能性が高すぎる。

 さておき、今は晩秋である。今の季節、その秋のことを、「白秋」と呼ぶことはご存知の方もいるかと思う。
 では、春は、というと、「青春」であり、夏は、「朱夏」、そして冬は「玄冬」である。季節順に並べると、青春、朱夏、白秋、玄冬となる。玄冬の「玄」とは黒のことだそうで、それぞれの季節に青、赤、白、黒と色の名前が付いている。
 白秋というとあの詩人・作詞家の北原白秋がすぐ思い浮かぶが、彼のペンネームはここから来ているのだろう。
 と、なると「青竜、朱雀、白虎、玄武」という言葉、動物に色を冠した言葉にもお気づきの方もいよう。これは方角を指していて、それぞれ東、南、西、北となる。その名前が付いた門などが京都など古都にはあったかと記憶する。
 そして言うまでもなくその方位と季節もまた密接にシンクロしている。春は東であり、冬は北というのは太陽の動きともマッチして実感がわく。
 これは、中国の古代の考え方、五行から来ていて、いわゆる季節としての春のシーズン、英spring、仏語ではプランタンを、「青春」と呼んだのが、いつしか人間の若い時期、十代から二十代を指すようになり我が国では「青春時代」という言葉として定着したのだと推察する。
 ならば今、我は、その「白秋」時代の終わりにあり、ちょうど今の時期と同じく、間もなく「玄冬」のときを迎えるわけだ。

 このところ山梨から来た老犬トラさんが老い呆けて手がかかることを書いた。今朝がたも前夜しっかり歩かせ寝る前に排便も済ませたのに、午前2時頃にまた騒ぎ出し、その時点でもう室内のマットの上に失禁していて、軽くこの町内を散歩させてこちらも寝直した。
 が、すぐにまた騒ぎ出し、もう我も眠くて起きられず吠えるに任せて放擲しててしまった。そのまま朝方まで騒ぎ続けたらしく、早朝、夜が明け始めた6時頃、下に降りたらまたも失禁、糞尿まみれになっていて、一度外に出しまた軽く歩かせたが、もう疲労困憊となったのか、道端でしゃがみ込み失神するように眠ってしまった。

 この数日来、夜啼きや徘徊しないよう新たな犬用サプリメントをネットで調べて、取り寄せて飲ませているのだが、あまり効果はないようで、ますます室内での失禁、排便までが日常化して来たようで、頭を痛めている。
 眠っているときは静かで手もかからないが、起きると目覚めている間中ハアハア荒い息を吐き興奮してうろうろ落ち着かず、しだいに鳴き出し最後は遠吠えまでして外に出たがる。外に出せば、ろくに散歩もできないのにまた小屋に繋げば吠え続けてご近所から苦情が出る。家に入れれば吠えてまた外に出たがり騒ぎ続ける。
 いったいこんな状況がいつまで続くのだろうかと暗澹たる気持ちになっていた。まだ食欲もあるのでこの先何年もこのまま生きるのではないのか、と。さすれば我の身体がもたない。老父も抱えて。

 が、今朝がた、外で倒れ込むように眠ったトラさんを見て、思ったより衰弱は進んでいて、さほど長くは生きないのではないか、と「啓示」を受けた。この冬はたぶん越すだろうが、このまま眠り続ける時間が増してやがてもっと歩けなくなり食べられなくなり最後のときを迎える日も近いような気がしてきた。
 そして我が父もまた。
 先に、市の実施している秋の健康診断で血液から尿、心電図といちおうの検査を受けた。その際、肺のレントゲンで、一部影が映っていて、年内に再検査という指示が出ている。肺炎か、肺癌の可能性もある。
 実はいま、さすがに我も父の世話に倦み疲れて、恒久的に介護老人施設に入れてしまう方向でケアマネらと話が進んでいるのだが、その検査の結果が出ないことにはどうなるか、どうすべきか決められない。
 父も来年の正月が来れば、昔では、数えで95歳の超高齢であり、たぶん平成が続いている間は無事であろうが、その次の新元号の年度はどのぐらい生きるか何とも言えない気がしてきている。そう、父もまた「終わり」が見えて来た。

 考えてみれば、大正、昭和、平成と三つの元号を生き永らえ、さらに今四つ目を迎えようとしているわけで、明治大正昭和の三代を生きた人は多くいたが、四代は知る限り今はまだどこにも生きていない。
 今年、2018年も終わりが見えた今、平成の終わりも近づき、安倍政権も米国トランプ政権もその終わりの時が近づいている。
 この我すらも玄冬期を前にして、その余命に自信が持てない今、ともかくまずは今年、年内の予定を無事にこなし、まずはこの冬を犬も父も皆何とか無事に乗り切る事だと思えてきた。

 先のことをあれこれ考え気に病んでも仕方ない。慌てず焦らず、だが何事も後回しにはせずに、現実に向き合いながらともかく一つ一つできることを少しでもやっていこう。
 そう全てに終わりがくる。そのときは近いのだから。一日一日、今があるだけだ。