新しい月、新たな季節が始まった ― 2020年09月01日 08時27分30秒
★苦難の八月を終えて
9月に入った。今朝は朝から小雨まじりの曇り空で北西からの風が吹き涼しい。久々にクーラーなどいれずに窓開けて眠れた。
それにしてもこの夏は、といっても八月の一か月間だけのことだが、ともかく暑かった。新聞によると東日本では戦後最高の暑さだったとのことで、雨もほとんど降らず、まさに灼熱の八月となった。
その前の七月は、ずっと雨ばかり降り続き、うすら寒く日照時間もほとんどなかったのに、八月に入ったとたん一転して連日晴れて記録的な猛暑が続いたのだ。
何もかもが記録的というか記録破りで、極端から極端へと全く予測もつかない耐え難い今年2020年の夏だったわけだが、何とか我も父も無事に家内安泰でやり過ごせたのだから今ほっと胸を撫で下ろしている。
冷房は、ある部屋は全部終日付けっぱなしで、何とか家中の温度を下げてこの猛暑を乗り切ったわけだが、電気代はものすごいがそれも命あってのことだから了とするしかない。
我は極端な汗かきだから冷房を強くしても室内ではほぼ裸で過ごさないと暑くてたまらない体質だ。
それだからこそか何度か出先で、猛暑に当たって体調を崩し軽い熱射病になったのか、汗とメマイと頭痛に襲われ危険な状態にもなった。
しかもそこに父の不穏・妄動や、我の持病の腰痛と足定筋膜炎も再発し、部屋の中は冷え切っているのに、外は記録的猛暑の高音だとその寒暖差でアレルギーも出て、鼻水と咳も止まらず体調的にもかなりしんどく辛い一か月だった。よくまあ乗り切れたと今しみじみ思わざる、である。
が、ともかくようやく猛暑も収まり新たな月の始まりにまさに気持ち新たに今パソコンに向かっている。
さあ、今年もあと残り四カ月である。季節は秋から冬へと、この先どうなるかまったく予想も予測もつかないが、今気持ちは高揚している。
八月は耐え難い猛暑から、パソコンを起動させるのも怖く作業自体も停滞してブログすら遅延し続けてしまったが、先日の「共謀コンサート」を終えて、我の「コロナ鬱」も回復した気がしている。まさに、長いトンネルから抜け出たような思いだ。そう、長かった最悪最凶の安倍政治もともかく終わる。
闇の中から抜け出て、その新たな風景の先に何があるのか。今は不安よりも期待の気持ちが強い。むろん政治的には、商家で言うところの主人が倒れて番頭が店を任されたようなもので、菅新首相となったとしても何一つ変わり映えはしないだろうが。そこに何も期待はできないし、何か変わる、良くなる要素は一つもない。
しかし、季節もだが、一つの時期、時代が終わり、新たな段階、新たなステージに入ることはそれ自体が良いことだから、その「とき」を活かしてこれまでできなかったことをやっていくしかない。
繰り返しになるが、自分に言い聞かせているのは、どんなときでもできるときに、できることを、できるだけやっていく、ということであり、何であれ後回しや放擲せずに、やらねばならないことは先へ先へと少しでも進めていくことだ。こんな我でもまだできることがきっとあるしすべきことがある。
我が全責を負う「月刊・共謀コンサート」も残すはあと四回。このコロナ状況下、元通りのフリーな誰でも自由参加の姿に戻ることはまだまだ難しく先は見えないが、それでも現段階で、何をどうやっていくかの「道筋」は見えてきた。
思い通りにならないとしても、「その中」で、できることやすべきことはまだまだいっぱいある。支援者からのカンパもあって運営資金の目途も立ってきたし、もう何も怖れも不安もないし頭悩ますことは今は消えた。何より、誰かの期待に応えたいと今強く思う。同時に責任もひしひしと感じている。
まだまだできる、がんばりたいと思う。拙を守る、という言葉があるが、我は我の非力さとダメさにおいて、だからこそもっともっと頑張らねばならない。
神に祈る。が、どうか皆さん、もう少しお力を貸してください。
道はまだ続くし、とても一人では辛くて進めない。荷はそれぞれが負うからこそ、共に同行者のいることが心強く有難い。
さあ、新しい季節、新しい世界に向かって歩を進めていこう。
9月に入った。今朝は朝から小雨まじりの曇り空で北西からの風が吹き涼しい。久々にクーラーなどいれずに窓開けて眠れた。
それにしてもこの夏は、といっても八月の一か月間だけのことだが、ともかく暑かった。新聞によると東日本では戦後最高の暑さだったとのことで、雨もほとんど降らず、まさに灼熱の八月となった。
その前の七月は、ずっと雨ばかり降り続き、うすら寒く日照時間もほとんどなかったのに、八月に入ったとたん一転して連日晴れて記録的な猛暑が続いたのだ。
何もかもが記録的というか記録破りで、極端から極端へと全く予測もつかない耐え難い今年2020年の夏だったわけだが、何とか我も父も無事に家内安泰でやり過ごせたのだから今ほっと胸を撫で下ろしている。
冷房は、ある部屋は全部終日付けっぱなしで、何とか家中の温度を下げてこの猛暑を乗り切ったわけだが、電気代はものすごいがそれも命あってのことだから了とするしかない。
我は極端な汗かきだから冷房を強くしても室内ではほぼ裸で過ごさないと暑くてたまらない体質だ。
それだからこそか何度か出先で、猛暑に当たって体調を崩し軽い熱射病になったのか、汗とメマイと頭痛に襲われ危険な状態にもなった。
しかもそこに父の不穏・妄動や、我の持病の腰痛と足定筋膜炎も再発し、部屋の中は冷え切っているのに、外は記録的猛暑の高音だとその寒暖差でアレルギーも出て、鼻水と咳も止まらず体調的にもかなりしんどく辛い一か月だった。よくまあ乗り切れたと今しみじみ思わざる、である。
が、ともかくようやく猛暑も収まり新たな月の始まりにまさに気持ち新たに今パソコンに向かっている。
さあ、今年もあと残り四カ月である。季節は秋から冬へと、この先どうなるかまったく予想も予測もつかないが、今気持ちは高揚している。
八月は耐え難い猛暑から、パソコンを起動させるのも怖く作業自体も停滞してブログすら遅延し続けてしまったが、先日の「共謀コンサート」を終えて、我の「コロナ鬱」も回復した気がしている。まさに、長いトンネルから抜け出たような思いだ。そう、長かった最悪最凶の安倍政治もともかく終わる。
闇の中から抜け出て、その新たな風景の先に何があるのか。今は不安よりも期待の気持ちが強い。むろん政治的には、商家で言うところの主人が倒れて番頭が店を任されたようなもので、菅新首相となったとしても何一つ変わり映えはしないだろうが。そこに何も期待はできないし、何か変わる、良くなる要素は一つもない。
しかし、季節もだが、一つの時期、時代が終わり、新たな段階、新たなステージに入ることはそれ自体が良いことだから、その「とき」を活かしてこれまでできなかったことをやっていくしかない。
繰り返しになるが、自分に言い聞かせているのは、どんなときでもできるときに、できることを、できるだけやっていく、ということであり、何であれ後回しや放擲せずに、やらねばならないことは先へ先へと少しでも進めていくことだ。こんな我でもまだできることがきっとあるしすべきことがある。
我が全責を負う「月刊・共謀コンサート」も残すはあと四回。このコロナ状況下、元通りのフリーな誰でも自由参加の姿に戻ることはまだまだ難しく先は見えないが、それでも現段階で、何をどうやっていくかの「道筋」は見えてきた。
思い通りにならないとしても、「その中」で、できることやすべきことはまだまだいっぱいある。支援者からのカンパもあって運営資金の目途も立ってきたし、もう何も怖れも不安もないし頭悩ますことは今は消えた。何より、誰かの期待に応えたいと今強く思う。同時に責任もひしひしと感じている。
まだまだできる、がんばりたいと思う。拙を守る、という言葉があるが、我は我の非力さとダメさにおいて、だからこそもっともっと頑張らねばならない。
神に祈る。が、どうか皆さん、もう少しお力を貸してください。
道はまだ続くし、とても一人では辛くて進めない。荷はそれぞれが負うからこそ、共に同行者のいることが心強く有難い。
さあ、新しい季節、新しい世界に向かって歩を進めていこう。
最近のコメント