これからのこと④ ― 2024年02月21日 11時54分42秒
★残りの人生、もう一度文学と音楽に向き合っていく
昨年のことは、先にくどくどとあれこれ書き記したが、ともかくそんな多事多難のトラブル最中12月9日に、主催・企画したコンサートを無事為し終えたことだけは僥倖だったと今思える。
半年ぐらい前から企画立てて、旧知の気心知れた音楽仲間に声かけて、コンサート自体は、彼らの熱演・熱唱もあって盛況、成功したと思いたい。
が、我自身の出来というべきか、それはもうサンタンたるもので、今も深く悔いている。今の気持ちとしては、もう人前でギター弾いて唄うことは、終わりにすべきだとさえも。
むろん、腕が動かず練習もできず、足はケガしてろくに歩けず、頭は記憶が続かず、パソコンは不具合を起こそうとも、時間はあったわけだし、それこそもう何年もやってきたのだから、本番では何とかなるかと思って臨んだ。
しかし、コードは押さえられないどころか多々間違えるし、歌詞は出てこないし今更ながら我は何一つできやしないのだと思い知った。
まあ、収穫があるとしたらば、今現在の我の実力、状況を人前で曝け出せ自ら確認できたことだろうか。
今もまだその苦い味は残っている。
では、もう音楽のこと、ライブ企画やうたの活動などは終わりにするとして、今後一切、音楽とはかかわりを絶って終わりにするのではなく、逆にもっと音楽についてきちんと勉強したいと思っている。
と同時に、文学についても同様に、「本」に関わることだけでなく、書くこと、書き記していくことをさらに深めたいと考えている。もちろん読むことも。
つまり、ブンガクとオンガク、このブログのタイトルとも大いに関わることを、今更ながらもっと究めて我がものとしたいと願う。
今放送しているNHKの朝ドラは、笠置シヅ子と服部良一をモデルにしたもので、我も観られるときは常に見て、多々思うところもあるがそれはさておく。
嗤われるだろうが、我の中には、その偉大な服部良一の百分の一、いや、千分の一にも満たないが、ごく小さな服部良一がいる。
そいつは、あのドラマ中の羽鳥先生の如く、ジャズソングが大好きで、頭の中には常にそうしたリズムとメロディーが流れていて、機会あらばそれを世に披露したいと願っている。
羽鳥先生と違うのは、我はピアノも弾けず、譜面も書けず、その歌が出来たとしてもそれを巧みに唄ってくれるシンガーもいないということだ。
で、仕方なく拙いギター爪弾き、コードを探しては曲を完成させて、仕方なく自ら唄う羽目となる。
が、我自身のつくるうたは、難しすぎて自分でも弾きながらきちんと歌えたためしがない。情けないがそれは事実だ。※私淑した京都の詩人・有馬敲さんの詩に我が曲をつけたものも、結局、師の前で失敗せずにきちんと歌えないままに昨年逝去されてしまった。悔恨の思いしかない。
プロのシンガーからも、よくそんなにコードを使うね、と皮肉言われるし、自分でも未だかつて自らのつくったうたで思う通り満足できたライブは一度もないのではどうしようもない。
先のコンサートを経て、そうした我の現状をこのままにしてはならぬということだ。
と同時に、自分はこれまで長年コンサートを企画し催してきたわけだが、プロデュースする側として、自らは何一つできないのに、歌い手の方々にあれこれ注文つけたり、指示してきたことは、まさに僭越しごく、傲慢であったと今回気づかされた。
まず、隗より始めよ、ではないが、音楽として、これこれこうしてほしいと他者に望み求めるのならば、まずは、そういう自らが範を示すべきであろう。
それがきちんとできるようになってからこそのコンサートの企画である。
今の自分は、(音楽について)何もわからない、まだ何もできないという現実に向き合い、これから少しでもわかるよう、できるように努めていく。楽器も他にもできるようになりたい。うたもギターも練習あるのみだ。
そして音楽、うたをほんとうに自分のものにしたいと心より願う。
こんな我にも我の音楽=サウンドが確かにある。それをしっかりカタチにしていきたい。
【この稿続く・乞うご意見ご批判】
昨年のことは、先にくどくどとあれこれ書き記したが、ともかくそんな多事多難のトラブル最中12月9日に、主催・企画したコンサートを無事為し終えたことだけは僥倖だったと今思える。
半年ぐらい前から企画立てて、旧知の気心知れた音楽仲間に声かけて、コンサート自体は、彼らの熱演・熱唱もあって盛況、成功したと思いたい。
が、我自身の出来というべきか、それはもうサンタンたるもので、今も深く悔いている。今の気持ちとしては、もう人前でギター弾いて唄うことは、終わりにすべきだとさえも。
むろん、腕が動かず練習もできず、足はケガしてろくに歩けず、頭は記憶が続かず、パソコンは不具合を起こそうとも、時間はあったわけだし、それこそもう何年もやってきたのだから、本番では何とかなるかと思って臨んだ。
しかし、コードは押さえられないどころか多々間違えるし、歌詞は出てこないし今更ながら我は何一つできやしないのだと思い知った。
まあ、収穫があるとしたらば、今現在の我の実力、状況を人前で曝け出せ自ら確認できたことだろうか。
今もまだその苦い味は残っている。
では、もう音楽のこと、ライブ企画やうたの活動などは終わりにするとして、今後一切、音楽とはかかわりを絶って終わりにするのではなく、逆にもっと音楽についてきちんと勉強したいと思っている。
と同時に、文学についても同様に、「本」に関わることだけでなく、書くこと、書き記していくことをさらに深めたいと考えている。もちろん読むことも。
つまり、ブンガクとオンガク、このブログのタイトルとも大いに関わることを、今更ながらもっと究めて我がものとしたいと願う。
今放送しているNHKの朝ドラは、笠置シヅ子と服部良一をモデルにしたもので、我も観られるときは常に見て、多々思うところもあるがそれはさておく。
嗤われるだろうが、我の中には、その偉大な服部良一の百分の一、いや、千分の一にも満たないが、ごく小さな服部良一がいる。
そいつは、あのドラマ中の羽鳥先生の如く、ジャズソングが大好きで、頭の中には常にそうしたリズムとメロディーが流れていて、機会あらばそれを世に披露したいと願っている。
羽鳥先生と違うのは、我はピアノも弾けず、譜面も書けず、その歌が出来たとしてもそれを巧みに唄ってくれるシンガーもいないということだ。
で、仕方なく拙いギター爪弾き、コードを探しては曲を完成させて、仕方なく自ら唄う羽目となる。
が、我自身のつくるうたは、難しすぎて自分でも弾きながらきちんと歌えたためしがない。情けないがそれは事実だ。※私淑した京都の詩人・有馬敲さんの詩に我が曲をつけたものも、結局、師の前で失敗せずにきちんと歌えないままに昨年逝去されてしまった。悔恨の思いしかない。
プロのシンガーからも、よくそんなにコードを使うね、と皮肉言われるし、自分でも未だかつて自らのつくったうたで思う通り満足できたライブは一度もないのではどうしようもない。
先のコンサートを経て、そうした我の現状をこのままにしてはならぬということだ。
と同時に、自分はこれまで長年コンサートを企画し催してきたわけだが、プロデュースする側として、自らは何一つできないのに、歌い手の方々にあれこれ注文つけたり、指示してきたことは、まさに僭越しごく、傲慢であったと今回気づかされた。
まず、隗より始めよ、ではないが、音楽として、これこれこうしてほしいと他者に望み求めるのならば、まずは、そういう自らが範を示すべきであろう。
それがきちんとできるようになってからこそのコンサートの企画である。
今の自分は、(音楽について)何もわからない、まだ何もできないという現実に向き合い、これから少しでもわかるよう、できるように努めていく。楽器も他にもできるようになりたい。うたもギターも練習あるのみだ。
そして音楽、うたをほんとうに自分のものにしたいと心より願う。
こんな我にも我の音楽=サウンドが確かにある。それをしっかりカタチにしていきたい。
【この稿続く・乞うご意見ご批判】
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