これからのこと⑦2024年02月24日 13時23分54秒

★どのように、どんな音楽に向き合っていくか

 これから、残りの人生はオンガクとブンガクにきちんと向き合うと書いてきた。
 むろんそれは何事もすべて同じで、我はすべてに不真面目で、だらしなくテキトーだったと今更にして思う。友人関係においてもだ。本来きちんと成すべきいろんなモノゴトを放擲、つまりほったらかし投げ出してきた。

 さておき、では、向き合うとはどういうことか。つまるところもっと関わりを深めて、少しでも究めて「自分のもの」にしていくことだ。
 音楽はなんでも好きだとしても、ジャズやクラシックは、あまりに敷居が高く難解で、その素養もない人間が、おいそれと究められるはずもない。あくまでも鑑賞にとどめて愛聴する1リスナーでありたいと考える。

 我がもっと究めたいと願うのは、ボーカルを主体としたポピュラーソング、それもスタンダード曲についてで、フォークソングや歌謡曲であれ、そうした楽曲は、いくつも存在している。
 一言でそれらを括れば、時代をこえて残る、残すべき、多くの人に愛好される「うた」ということに尽きる。それは売れたか、ヒットしたかという次元の観点ではない。良い「うた」ゆえに、誰もに愛聴、愛唱される価値がある楽曲であるかだ。
 我は、そういううた、スタンダード曲をもっと深く勉強して、願わくば、自らも表現できるようになれたらと夢想する。
 一例をあげれば、服部良一なら、「蘇州夜曲」や「胸の振り子」であり、中村八大でいえば、「上を向いて歩こう」「黄昏のビギン」、いずみたくなら「見上げてごらん夜の星を」等々、説明せずとも誰もに知られて後世にこれからも永遠にのこる名曲である。
 畏友「さこ大介」さんの創るうたの数々も、フォークソングとかブルースの枠に収まらない、まさにスタンダードとなり得る楽曲で、我も死ぬまでに1曲でいいからそうした「うた」を作り遺せたらと願う。

 洋楽で、ザット・ラッキー・オールド・サン (That Lucky Old Sun)」という曲がある。
 日本では、さほど知られていないと感じるが、この曲は、ビーズリー・スミス (Beasley Smith) 作曲、ヘイヴン・ガレスピー (Haven Gillespie) 作詞による、1949年のポピュラーソングの楽曲だそうで、我も拙いながら、聴き覚えた日本語詞で唄っていた。
 ♪朝っぱらから仕事に出かけ 悪魔のように金儲け なのに1日中ゴロンゴロンとお空にゃおてんとさん ~という出だしのうただ。

 レイチャールズやF・シナトラ、ルイ・アームストロング他、多くのシンガーに唄われているスタンダード曲だが、我は、このうたを10年以上前、春一番コンサートなどで大阪に行ったとき、向こうのライブハウスで地元ミュージシャンが唄ってるのを聴いてまず知ったと記憶する。
 また、その後、東京に来た関西系シンガーが唄っているのを聴いて、いい曲だなあと思い、覚えてコピーし我も持ち歌にした経緯がある。
 日本では大西ユカリのバージョンが特に知られているかと思う。

 ボブ・ディランも近年のアルバムの中で、同曲を唄っているのだが、まったく違うメロディーに我は聞こえて戸惑い、同名だが、別の曲だと思っていた。※まあ、近年のディランさんは、自分のうたでも、とことん崩して唄っていて、ファンでもすぐに何の曲かわからないそうだから、無理もなかったわけだが。
 それが、先日テレビで、NHKの番組『街角ピアノ』で、米国・ニューオリンズの回のとき、道端の芝生に置かれたピアノでこの曲を弾くミュージシャンが現れ、テロップで曲名とカンタンな解説が流れた。
 メロディーは、我が知り唄っているものとはだいぶ違ってはいたが、それでやはりこの曲は、同じものだと思い至り、気になってあれこれネットで調べてみた。
 そして以下のことがわかった。

 先の日本語での歌詞は、京都の老舗の蔵造りのライブハウス、拾得のオーナーのテリーさんがつくったもので、久保田誠と夕焼け楽団のアルバムにこの歌詞でまず収録されたという。※そのアルバム、我は未聴だった。たぶんウチにはそのLPはあると思うけれど。
 向こうでのオリジナル曲というか、最も早く録音したのは、フランキーレインらしく、そのバージョンを聴くと女性コーラスが大きく取り入れられていて今のそれとはだいぶ違うアレンジである。※彼は、大昔のテレビ西部劇『ローハイド』の主題歌で有名な歌手で、♪ローレン、ローレン、ローレン~で、始まるその歌は、我らの世代なら誰もがご存じであろう。
 他にもいろいろな向こうの歌手が唄っているバージョンをYouTubeで聴いて、ようやく基本的なメロディーがはっきりわかった。
 個人的にもっとも参考になり、良いと思えたのは、k.d.ラングのそれであった。

 ともあれ、今の我が唄っているメロディーは、元々の原曲とはだいぶ違うことがわかってきた。それはつまるところ、日本でも様々な歌い手が唄い次ぎ、それぞれが耳で覚えて唄っていたため、伝言ゲームのようにいつしか微妙に変わっていったのだと思える。
 むろんうたは、そうしたもので、長い間に多くの人に歌われているうちに、本来のオリジナル曲からメロディーも歌詞も変わってしまうことはよくある。それはけして悪いことではない。
 ただ、我としては、やはり当初のメロディーにできるだけ近づけて、いや、忠実に唄いたいと思う。崩すことはカンタンだが、まずは原曲を知ることからだろう。
 また、何故に関西系のシンガーたちに多く唄われたかというと、そこに拾得のテリーさんが訳したということも大きいはずで、そうか、そうだったのか!!と長年自分でも唄ってきたこの歌のルーツというか、背景がやっと判明した。

 それにしても呆れるほど驚くのは、こうしたことは全てネット上ですぐさまわかることだ。原曲、及び訳詞の歌詞もコードも内外問わず様々な歌手が唄ってる画像さえも無料で視て調べ得ることができる。
 つまりケイタイ1台あれば、昔なら図書館に行ったりあちこちに確認すべきことが、たちどころに判明するのである。まさにこれが21世紀だとその安逸さ、利便さにただただ驚かされた。

 これからは、テリー氏の訳したバージョンだけでなく、原詩をもう少し取り入れて、我なりに日本語詞で基本のメロディーに則った「ザット・ラッキー・オールド・サン」をぜひ完成させて唄いたいと願う。
 我が言う、音楽に向き合い、自らのものにしていくというのは、一例だがこうした行為であり、世の多くの人にはまったく無関係な、興味のないことだと思えるが、こうした掘り下げと再確認は個人的には為すべき大事なことだと考えている。
★フランキー・レインのバージョン↓
https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?&q=%e3%82%b6%e3%83%83%e3%83%88%e3%83%a9%e3%83%83%e3%82%ad%e3%83%bc%e3%82%aa%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%83%89%e3%82%b5%e3%83%b3%e3%80%80%e3%83%95%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%ad%e3%83%bc%e3%83%ac%e3%82%a4%e3%83%b3&&mid=CF671CAC3E145B4ACC5DCF671CAC3E145B4ACC5D&&FORM=VRDGAR
★k.d.ラング ※CMが最初にあるかも
https://www.youtube.com/watch?v=pXJBih_QqLQ

★おまけ、忌野清志郎 https://youtu.be/gj8EO9N9sQ0

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