拾ったギターに弦を張ることから2011年02月15日 23時20分53秒

★鬱々としてなんかいられない。

 前回はあんなことを書いたが、状況がちょっと変わった。先のことはわからないし、悪い方向に考えても仕方ない。神のみぞ知ることであり、どのような結果であろうとそれもまた神の意思、計らいなのだと受け入れていく。

 このところずっと一切音楽も聴いていなかった。特に自分が関わったこと、友人たちの音楽は気持ちが騒ぐので苦しくて聴けなかった。
 自らもギターを手にすることもなく、ただひたすら家にこもり、病院通いの他は、パソコンに向かって本を検索にかけて処分することに専念していた。

 今日15日、旧い女友達から電話があり、いろいろ近況を語り合っただけなのだが、それでも気分が癒され気持ちも戻ってきた。実は告白すると、このところ人と関わることは結果、常に苦い後味をもたらし、特に自分には荷の重すぎた大きなイベントが終わった以降、ずっと自らを責め続けてきていた。過ぎたこと、どうしようもないことなのに答えの出ない問いを自らに問いかけ続けてきていた。

 そこに母の病気や家のことも追い討ちをかけ、もう他者と何かをやっていくことは金輪際すまいとさえ決意していた。まずは家のこと、家族のこと、自分のことなのだと誓った。

 しかし、今またこうした想定していなかった不慮のときを迎えて、おかしな話だが、人と関わりたい、人のために何かしたいという気がまた起こってきた。今はとてもそんな時間も余裕もない。だけれどもだからこそ他者のために少しでも何かしたいと心から思う。

 苦しいとき、大変なときにこそ、同じく大変な人のために何かしたい。せめて語らいあって一時でもその荷の重さを忘れさせられたら。人は人のために生きてこそ人なのだと信ずる自分がまだいる。

 気持ちを切り替え、正月に拾って弦を抜いたままほったらかしにしていたギターに弦を張ろうと思う。