一日一日が慌しく過ぎていく2011年02月22日 23時57分25秒

★手術の日まであと9日

 おかげさまでこの数日、母の調子は持ち直している。首の静脈から体内に点滴を入れるチューブとその排泄物を鼻の穴から体内から出すチューブにがんじがらめにされながらも気丈に生きている。我が母ながら実に立派だと感心する。自分にこれだけの勇気と気力が果たしてあるだろうか。

 今日22日も立川の病院へ昼頃と夕方二回父を乗せて車で通った。昨日の医師からの説明の時点で、開腹手術を受けることはほぼ家族、当人の総意で決まっていたが、改めて病院側に伝えた。たぶん予定通りなら最短で3月3日木曜日となる。

 このところ母の妹や弟たちの見舞いが相次ぎ、母としては嬉しく喜んだが、片鼻閉ざされたこの状態で話すことは呼吸が制限されかなりの負担となる。疲れはしないかと案じていたが、幸いお見舞い効果なのか、鼻チューブ生活にも慣れてきたのか明るく前向きでほっとしている。この調子なら体力もつくはずと信ずる。

 自分もこの先週末から不測の事態に備えて、古本商売のほうは一時休止措置をとっていたが、昨晩からまた再開した。気持ちとしてはその手術の前の日まではアマゾンでの出品は続けていこうと考えた。

 先にうっかり今の状況を裁判に喩えて、執行猶予はつかないと書いたが、正しくはまだ判決は下っていない。判決の日は、手術の日であり、患者は母であるが、実際のところ被告は自分だと思っている。もちろんその日で直ちに極刑が下されるということはないと信ずるが、果たしてどういう判決が示されるのか、おそらく日ごと次第に不安が高まっていくことだろう。

 今はただ祈ることしかできないし、冷静沈着にこのカウントダウンの日々を過ごしていくしかない。泣いても笑っても一日は同じく過ぎていく。母とできるだけ多くの時間を過ごしたいと思っている。すべては神の意思であり受け入れていかねばならない。そう、危険を伴う手術であろうが、まだできることがあることはただ有難い。ならば感謝せねばならない。生涯自分はこの母との日々を忘れないであろう。