ブログ書き手と読み手の間2011年11月20日 02時01分30秒

★今さらですがご心配おかけして申し訳なくも。

 日付は変わってしまったけれど、本日19日、人と会う用事があり、それは小田急線登戸辺りでのことと予定していたら、どうしたことか新百合ヶ丘まで足を伸ばすことになって、行ったらなぜか友人たちと多く出くわすこととなったのである。と、書いても漠然として何が何だかわからないはずだ。

 簡単に説明すると、今はもう映画を撮ることができなくなった某人気映画監督の回顧上映会が本日新百合ヶ丘であって、それに今日会う約束の人も含め増坊の友人知人たちが行き、偶然集っていたので、監督や女優原田美枝子を囲んでの映画上映のあとの懇親会に、近くにくるなら来いと自分も招かれたのである。
 そしてその打ち上げの場に遅れて顔出したら、自分を知る友人たち皆が口々に大丈夫かと訊ねてくる。こちらは何のことかわからずきょとんとしていたらこのブログ休止のことを心配し皆で案じて心痛めていたとのこと、本当に驚きかつ申し訳なく思った。そんなにご心配おかけしていたとは当人はまったく全然思っていなかったのである。

 というのは、拙ブログ、書き手としてはそもそもほとんど誰も読んでいないという「前提」で書いている。むろん、長くアップしていれば、時間がたって多くに読まれることもあるかと考えるが、基本的にその日毎、いつも読んでくれる人はたぶん数人程度であろうと想定していた。
 というのもここのブログサービス会社では一応、その日ごとの順位は表示されるのだが、それも大概100番台を上下行ったり来たりで、いったいそれが実数としてどれほどなのかわからないことと、またその順位さえも真に正しいものなのか疑わしく、目安や励みにならないわけではないが、そこに信頼はまったく置いていなかった。

 それよりも期待はしていないが、確かなことは、直截の反応が返るコメントであって、ご存知のように、拙ブログでは基本的にコメント数ゼロが通常であり、こちらが書いたことに対して異論も反論もなければ共感、同意もない。そこから判断すれば、読んでくれてはいるだろうが読者の数はたかが知れていると判断していた。今回、「休止」のお知らせに対しても、それは残念とか反応があったのは公私ともにお二人だけで、まぁ、そんなものなのだと少し淋しく思ったぐらいだった。

 他の方の呆れるぐらい無内容なブログでも、けっこう日毎に何件もコメントが毎日届いている。むろん、それはきちんと書き手がレスを返しているからなのだと思うが、自分としては返答を要するコメントには直に連絡しているし、こちらが書いた呟きのようなものを読んで届いた読み手の呟きのようなものに対してはいちいちフォローもする必要はないと考えていた。まあ、それについては随分前に、知人から、届いたコメントにきちんと返事をしないのは非常識だとお叱りを受けたこともあるが、見解の相違だと思う。こちらは思ったことを書いている。読み手も思ったことを書けば良い、ただそれだけのことだ。それがないのはほとんど誰も読んでいないのだと考えるしかない。そう、入り口に「関心のない方は立ち入らずほっといてください」とことわってあるのだから当然の結果でもあった。

 と、書くと、コメントを期待したり、求めているととられると困る。むろん届けば嬉しいし、どんな内容であれ読まれたことだと励みになるが、あろうがなかろうが自分はブログ書き続ける。ほとんど関係ない。それは書くことは寝食と同じ日常生活であるし、書く苦痛より書かない苦痛のほうが辛いから。誰が読もうと読まなかろうがいくらでも書ける。先だってのように自制し頭冷やさないと一日中ブログばかり書いてしまう。おかしな話だが自分でも呆れた。これは異常だと思った。

 しかし、ふとときどき、読み手はなくとも書きたいから書く、書くことが楽しいからいくらでも書くということは実はマスターベーションなのではないかと自ら問う声がする。つまり、猿にオナニーを教えれば、死ぬまで続けるという伝説が真実であるならば、これは、俺のやっていることはそれとどう違うのかと考えてしまう。
 読み手がいるならば、書く理由、発信する意義もあろう。しかしそれがないとして、なくても続けるというならばそれは自己の満足、快楽のためのマスターベーションに過ぎない。まあ、自らの備忘録という意味合いもなくはないが。

 そうしてこのところ自分でも果たしてブログ書くことにそれほど意義あるのか、度を過ぎているのではないかと疑問に思っていた。そもそもブログとは考えるに、目的ではなく、結果であるはずだった。つまり、何かをする告知の手段でまずあり、そしてその結果の報告の場であるはずだった。ところがそれがいつしかブログ自体が書く目的となってしまった。むろんそれもまた物書きの発表の場としてなら許せるかもしれないが。

 ただ、告白すると、このブログ、マスダが書いているのだが、その当人ですら本当に自分が書いているのか訝しくも思っていた。うまく説明するのが難しいが、こうしたブログを書くとき、むろん最初に~についてこう書こうという腹案はある。しかし書き出して一気にあっと言う間に書き終えたものは自分が考えていたそれとは全く違う。考えはしなくともただ指が動いて文が出来ていく。書き終えて読み返してみて、ふーむ、こんなことを書いたのかといつも驚き呆れたり感心する。つまり別の誰かが憑依して自動書記的に書いているようにも思える。このところそうした回が増えてきた。不思議だが本当の話だ。だから自分でも読者として面白くなくもないし、楽しみでもあった。なかなか良く書けていると他人事のように思う。

 ただ、いくらスラスラいくらでも書ける、誰かが書いてくれているとしても当然のこと時間はとられてしまう。こんな内容でも毎回1時間程度はかかってしまうし、書き上げればそれなりに達成感もあり、疲れも感じてその日はそれで良し、事足りとしてしまう。その日はブログしか書いていないのにだ。

 そんなこんな、自らも拙ブログにやや不信感がわいてきたところに、もうにっちもさっちも身動きとれなくなって、もはやブログどころではなくなってしまった。人はブログのみに生きるにあらずである。まず実生活上のことをきちんと済ませてからすべきことであった。まあ、今回はそんな深刻な悩みやトラブルではなく、単にもう時間的にまずやるべきことが目白押しでせっぱ詰まったからで、勝手に突然休止宣言してしまったわけだ。ほんに身勝手でご心配おかけして申し訳ない。

 まあ、過去にもブログ「断筆宣言」はちょくちょくやってきたので、どうせあいつのことであるからまたすぐに撤回して数日の内に再開するだろうと呆れつつ予想していた方々がいたら正鵠を射たというところか。

 何はともあれ、もう少しよく考えきちんと説明してその上で何事もすべきであった。またもやご迷惑ご心配おかけした。呆れたヤツです。情けなくごめんなさい。
 と、また長いブログを一気に書いた。読み返して早くも反省気味である。この件はこれで終わりとしたい。こんなことは書き手も読み手も時間がもったいない。

コメント

_ 野良ぶた ― 2011/11/20 10時03分00秒

昨晩は失礼しました。ブログの再開、よかったですね。のんびり、ダラダラ、マイペースで。

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