権力というものは・・・2012年11月10日 22時01分21秒

★11.11大集会に都の公園を使用させろ

 私ごとだが、このところ故あって睡眠不足気味で風邪気味である。今も軽い頭痛がしているのはその兆しかと思える。
 明日の「反原発百万人大占拠」に参加するためにもここで寝込んではいられない。なので早く寝ることにしたいのだが、その前に一ブログだけ記しておく。

 明日のその集会、残念ながら参加者がまず集合する場所が決まっていない。当初毎度使われる日比谷公園が予定され申請したのだそうだが、何故か今回は都が使用許可しなかったのである。その不許可に東京地裁が申立てを却下、東京高裁が即時抗告を棄却したという経緯がある。
 今までも使ってきて何ら不手際や事件事故などいっさい起きていなかったし、過去にも様々な集会の集合場所、デモ行進の出発地として使われてきた日比谷公園が何故今回は、いや今回からは使えないのであろうか。その納得できる理由はどこにもない。よって全く不可思議を通り越して強い怒りと憤りを覚える。

 おそらく慎太郎前知事が退任に当って都の職員に「遺言」として今後、反原発なんてことで騒いでいるやつらには公園を絶対貸すなと言い残したからではないか。思わずそう推測してしまう。いや、それよりも都だけの方針ではなく、国=国家権力側の意向だと考えるしかない。お隣のどこそこの国ではないが、これ以上国民、大衆の怒りが高まると「革命」が起き自分達の権力維持が困難になるとの判断から阻止するためにはまず集会の場を与えないとごく単純に考えたのであろう。

 今や警察どころか裁判所など司法さえも国家権力の走狗であるから、内閣、民主党など政府、権力側の意向をとりいれ、そうした反原発、反政府的活動には今後は都、国などの公共施設は使わせないという方針に順じ、裁判所もそれを追認したのだと思える。
 権力というものは自らの保身のためにはどのようなことでもするものである。しかし、戦後民主主義が生まれて半世紀以上も過ぎた今日、今またこうした反原発=反体制、反権力運動に対する露骨な弾圧をしてくるとはまさに驚きである。つくづく呆れ果てる。ある意味彼らはそこまで追い詰められているのであろう。

 ならばこそ、明日の大集会、より多くの一人として声を挙げ、原発再稼動のみならずこうした公権力の横暴に対しても強く抗議していかねばならない。こうした公権力を乱用する政権は必ず国民大衆によって倒されるということも歴史が証明しているのである。
  そう、今こそこの国にも3.11を受けて脱原発・原発ゼロの政権を誕生させるべく国民は「革命」を起こすときなのだ。

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