まるでルンペンの如くに・続き2013年02月02日 15時37分22秒

★ルンペンも乞食もいない時代に

 光のどけき春の日である。今日は暖かかった。昨日までの冬の格好で外でいると汗ばむほどで、暖かいとそれだけで気分も体調も良い。今日は特別だと思うが、このまま早く暖かくなってほしいと心底思う。

 さて、書き出したことなので続きを。

 ルンペンとはドイツ語で、ボロ布、ボロきれとかの意味だそうで、マルクスの言う「ルンペンプロレタリアート」とは、要するに着のみ着のまま、ボロ服だけの何も財産を持たない無産者を指す。そこから転じて、家のない者=乞食、浮浪者を指したのだと思える。
 戦前の言葉だと思うし、昔はなぜかドイツ語から入ってきたスラングも多かった。古い小説などを読むと、学生言葉で、「俺、今ゲルピンなんだ」とかよく出てくる。
 意味は、ゲルト+ピンチ、あるいは「貧」の略で、要するにすっからかんの文無しだと言っている。ただし自分が学生の頃にそんな言葉は聞いた事もないし先輩でも使っている人などいなかった。戦前の旧制高校などではドイツ語は必修だったからそこから巷にもドイツ語系のカタカナ語が流行ったのであろう。
 それはともかく、乞食にせよ、ルンペンにせよもう街中では見かけなくなってしまった。
 乞食はもともと、「こつじき」、修行僧が家々を回る托鉢のことをさしていたが、同様の行為をする浮浪者を「コジキ」と呼び称したことは言うまでもない。自分が子供の頃にはウチにも玄関にそうした人が来て、母は握り飯をつくって与えたような記憶があるが、果たしてそれは現実か。あまりに本とか読んだので読んだ記憶が現実と混濁もしている。

 ただ、昔はそうして家々を回り、頭を下げて食べ物などを恵んでもらっている人たちは確かにいた。神社の境内で寝ているのを見たこともある。彼らを「おもらいさん」「モノモライ」と呼んで子供たちは蔑んだ気がするし、大人たちは「しっかり勉強しないとあんな風になるぞ」と脅したと記憶する。

 ルンペンにせよ、コジキにせよ、見かけなくなったのは戦後、新憲法によりとりあえず人権が保障され、生活保護などが受けられるようになったこともあろう。ただ、そのためには一定の住まい、住所が無くては受給されない。ゆえに、多摩川の川原では今もかなりの数のテント生活者が暮らしている。彼らは当然のこと生活保護は受けられない。
 ならば本来は昔風に家々を周り衣食を頼るしかないはずだが、今のご時世、世知辛いからそんな人が訪れたら「警察を呼ぶぞ」と怒鳴られるのがオチだから、皆アルミ缶を拾い集めたりして必死で働いている。幸い今は、デフレで食べ物でも何でも安いからそんなでもかろうじて生きていけるのである。

 安倍政権は、さっそく生活保護の支給額も一般給与水準が下がっている現状にあわせ下げると発表した。巷では生活保護者バッシングが盛りだからそれを歓迎する人たちも多いかもしれない。しかし、給与や年金支給額は上げず、この10年来下がり続ける一方なのに、物価上昇率を上げてインフレにしてどうして景気が回復するのであろうか。
 入る金は減り続けるのに物価がどんどん上がれば庶民はますます金を使わなくなる。いや使いたくても手持ちに金がない、ゲルピンなのである。生活保護需給も厳しく制限していけば、やがて街には昔のようにルンペンが溢れる。
 うたの文句では、ルンペンのんきだね~などと陽気だが、とてものんきでいられない。俺も何とかしないとこのままでは見かけも実体も本物のルンペン氏であろう。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://masdart.asablo.jp/blog/2013/02/02/6709904/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。