5月に入りました。2015年05月01日 22時22分12秒

★やっと借りてた倉庫の撤収終えた。              アクセスランキング: 150位

 今日から風薫る五月となった。が、昼間は暑い。まだウチではコタツも出していて、灯油ストーブもしまっていないのにこの汗ばむ陽気である。クーラーはともかく扇風機を出さねば。いや、その前に冬物一式片づけないと。

 慌ただしく日々過ぎていく。私ごとを報告がてら書く。

 近くに、もう何年来借りていた倉庫をようやく空にして契約解消した。これで数万円だが、毎月の出費が減る。去年のうちに終わらせると宣言したものの果たせず、ではこの年度内3月末に、と目指したがそれも間に合わず、このところ母の湯治も兼ねて足繁く山梨へ行きついでに運んでようやくほぼ空になってきて4月内に何とか終えたのだ。

 そもそもは、今住んでいる家を改築するにあたって、モノを片づけないことには工事が始まらず、市内に安いアパートを借りて、一切合切不要不急な物を運び入れたのだった。たぶんもう10年近く前のことだ。

 途中で、一回そのアパートが立ち退きとなったため、ごく近所に古い二軒長屋をみつけ四畳半と三畳、台所と小さい風呂のついている一世帯を丸々借りた。
 ウチの場合の工事は、以前も記したが、裏側と表側を時間差をおいて立て直したからともかく時間がかかった。
 まず裏側にあった古い物置部分を取っ払って、そこに新築で風呂、トイレも付いたワンルーム状の二階建てを作り、住人はそこに移動してから、旧い家の部分を広げて改築して先に建てた裏側の部分と繋げた。
 そんな建て方したから、その都度モノを移動させねばならず、その置き場として別の場所が必要だったのだ。
 最終的に家が全て完成したのは、2011年の今頃のことであった。その時点ですぐ、借りてた倉庫を撤収するべきであったが、ウチは、二階部分を広くとり、無頼庵としてオープンスペースとしてしまったこともあって、収納場所がほとんどなくなってしまった。そのうえ、自分の商売関連のもの、古本や古雑誌などがやたら溜まり、その都度処分していけば良かったのだが、母の病気と自分の音楽趣味、雑事に追われてともかく時間がなく、腰据えて家のことは何もできなかった。

 言うまでもなく、モノはその都度意識して処分しないことにはすぐに増殖していく。借りている倉庫があったから、ウチでは季節物も使わないものは溜まるとすぐ、ともかく倉庫へ運べと何でもかんでも吟味や判断せず、つまり捨てることなくそこに移動させてしまった。結果、そこは満杯となり、もう自宅にも持ってかえることすらできない量となってしまったのだ。自分の本だけの話ではない。この家じたいがモッタイナイ症候群で捨てられずゴミ屋敷と化していたのだ。
 借りてる倉庫を引き払うにせよ、そこにあるモノを置くスペースがウチニはどこにもなくなってしまった。

 そんなこんなで、さすがに身動きとれなくなり、新たな「倉庫」を探しそこに運ぶしかないと考えた。むろん一切の断捨離というのが正しいあり方、生き方なのだとわかる。しかし、古いもの好き、捨てられない症候群以前に、古本屋は商売であったし、クズ本はともかく、古雑誌はこれから動かしていく計画でいたから全部処分するわけにはいかなかった。
 幸いのこと人を介して、山梨県北杜市須玉に古民家が格安で手に入ることになった。金策も含めていろいろ面倒な手続きはあったが、2年前のちょうどこの季節に見に行き、環境も建物も含めて即決してしまった。
 そしてそこにじょじょに今借りてる倉庫内のものを移動させていき、ようやくそれが昨日、4月末をもって終わったという次第だ。といっても今日もゴミ出しや掃除など後片づけに追われて一日潰れたが。

 そんなこんなで、この数日は早朝5時半から親たちに朝食出すまで長屋内のガラクタを分別し車に積み込みウチに運び、下ろしてゴミと仕分けしその作業に専念していた。夕方まで埃まみれ汗まみれで作業し(倉庫は電気や水道の契約はしていなかった)、晩飯作って食べて即倒れるように眠る生活であった。

 これでようやく無駄な出費が減って我が家の家計財政再建となるはずだが、実はまだ長屋の裏側に物置がありそこも借りているので月々少しだが大家に支払いは続く。
 そこも一緒に返却する予定でいたが、あまりの量に、山梨の古民家のほうもかなりいっぱいになってしまい、向こうの整理も追いつかず、既に一階の二部屋が本で埋まってしまった。
 山梨のほうに運んだものを整理分別しないことには、向こうでの生活も圧迫されてしまう。そんなで、運びきれなかったものはその物置にもうしばらく置かせてもらうことにしたのだ。じっさいそこもほぼ満杯となった。

 作業していていてつくづく自分はバカなことをしている、そして今もまたし続けているとの思いに囚われた。しかし、バカとして開き直るわけではないがこういう「捨てない生き方」もまたあっても良いのではないか。捨てる生き方、捨てることが奨励されカッコいいと今時代はされている。が、果たして本当にそうなのか。モノに固執する生き方はみっともないか。

 むろんシンプルライフに憧れる。モノがなければどんなにスッキリするかと思う。しかし、捨てずにずっと抱え続けて生きてきたのだ。嗤われるだろうが、それができるうちはたぶん改めず続けていく。
 本当にハズカシイ。しかし、全部捨てて一から出直すにはオレは歳をとり過ぎた。膨大なマスダの古いモノコレクションをこれからご披露していくしかない。ちなみに敬愛する同好の先達、コレクター町田忍氏はマス坊の大学の先輩である。

 もう疲労困憊とかそういう次元ではないほど疲れているが、懸案のことのうち、一つはやり終えたのでほっとしている。ただ今、庭は長屋から運んできたセトモノ類、鍋釜ら食器や植木鉢、棚や金具などガラクタ類でまさにゴミ屋敷と化してしまった。その後片付けにまた追われる日々が続く。どこか近くに物置のようなの借りるしかないと認知症の父は言っているが、そうもいかないのである。もう余分な出費は極力減らしたい。

 溜めることが悪いのではない。溜めても使わないこと、活かせないことが悪いのである。ならばどのような形でも活かしていくしかない。