ともかく声を上げよう、アクションを起こそう2015年05月14日 21時42分25秒

★あらためて「平和のための戦争」なんてありえない。       アクセスランキング: 193位

 新しい法律に「平和安全法」とか「国際平和支援法」とか、どれほど平和と安全の名称を括りつけても、要するに誰でもわかるように、日本が攻撃されていなくても「存立の危機」の可能性さえあれば、戦闘行為、つまり戦争がいつでも世界のどこででもできるようになるわけだ。

 我らが安倍首相はこれで日本はいっそう他国から攻撃されることはなくなると胸を張り、一国だけで平和を守れないご時世だから、アメリカとより緊密な関係を築いて世界の平和と安定に貢献していくことになるのだそうだ。
 しかし一方、アメリカの仕掛ける戦争に巻き込まれることは絶対にない、とも繰り返し言っている。アメリカに守ってもらっていて、アメリカが戦争始めたとき、後方支援も戦闘参加もしないのなら、この法律はそもそもいらないし、集団的自衛権を行使しないことになってしまう。軍事同盟国パートナーアメリカに対して失礼ではないか。

 これこそ毎度の詭弁の極まりで、国民の理解もまったく得られていないどころかこれから国会での審議を前にして、高まる不安払拭のため単に空証文を口にしているだけであろう。この男はいつもこのやり口で口約束を高らかに繰り返す。

 安倍氏の信条である「積極的平和主義」とは、世界の安定と平和のためには、それを脅かす存在は、事前に、コトが起きる前に、積極的に=戦闘行為によって=攻撃して排除していこうという方針であり、果たしてそれで国際平和が成るかまったくもって怪しいものだ。
 この発想は、米国が自認する世界の保安官と同様であり、その片腕として、日本は長年期待されてきて今回ついに応え名乗りを上げたという次第でしかない。

 今までは、憲法九条の制約があり、そうした積極的戦闘行為は、行使容認できないのが国是とされてきた。が、この自公政権はまず憲法解釈を勝手に変更し、先の衆院選で再び国民の審判も受けたと驕り、ついに一線を越えたのだ。
 腹立たしいのは国会にはかる前に、アメリカに出向き、首相自ら夏までに法制を整えるとオバマ氏らに公約してきたことだ。国民と国会軽視も甚だしい。

 我が国をとりまく東アジア諸国の緊張関係を思うとき、こうしたいつどこでもすぐに戦闘行為が、戦争ができるように法整備していくことは良いことだし、必要なことだと考える人もいるかもしれない。
 しかし戦争によって、つまり殺し合いをやって得た平和と安全は本物なのかという疑問がわく。むろん専守防衛は理解できる。誰だって無抵抗で殺されたくはない。まったくの無抵抗主義は新約聖書の中の世界だけだ。

 しかし、日本が攻撃を受けていなくとも「我が国の存立の危機」という認識だけで、世界中のどこででも戦争ができるようにしてよいものだろうか。「存立の危機」に際し、そう判断するのは司法でも国民でもない。時の政権が恣意的に決められるのである。

 先のイラク戦争=2003年イラク侵攻は、かの国が大量破壊兵器を隠し持っている、という疑いによって起きたものだ。ときの政権が米国とは不倶戴天の敵だったこともあって、米国を支援する有志連合はフセイン政権転覆も目論見戦争を仕掛けた。

 が、じっさいのところ、大量破壊兵器などはなかったわけで、政権転覆させたことは米国などの国益にかなったが、代償として街々を破壊し、民間人も含めて多数の犠牲者と大量の難民を生み出す結果となった。さらに以後イラクの治安は悪化し、終結は遅れ2011年の末まで戦闘は続いた。この戦争の正当性は今も問われている。そして中東に真に平和が戻ったかは誰に問いても否であろう。
 現今のイスラム国を名乗る過激派組織も元々はそのイラク侵攻によって生じた「結果」だとされているのだ。ある意味、世界のテロ組織は、アメリカが産んだ鬼っ子だと言えよう。

 このときに、安倍政権が目論むこの法制が成っていたらば、日本も国際平和支援を名目に、イラク侵攻に参加して戦闘行為により自衛隊員の死者も出ていたことだろう。幸いにして専守防衛という良識をときの政権は保っていたから難を逃れた。
 そうした行為が責任ある国際社会の一員としての責務だという意見もあろう。
 が、かつてナチスドイツやイタリア、ファシズムと手を組み、悪の枢軸国と目され他国を侵略し戦争を仕掛けた我が国が再び軍事力で、世界平和を名目、口実としても他国に侵攻し、他国の軍民を殺しては絶対にならないのではないか。
 そうした「戦争」で国際平和が成るというのはまさに幻想かつ権力者側の詭弁で、ひとたび戦争が起これば多くの人が殺され、大地は疲弊するだけだ。そしてそれは長く尾を引いていく。多くの人々が傷つき怨恨が残る。戦争を喜び幸せを得るのは軍需産業だけだろう。

 戦後70年、日本の平和が続き繁栄をほこったのは、戦争は許されない平和憲法があったからに他ならない。その憲法を変えようと、変えなくてもときの政権が勝手に解釈を変更して、恒久的に世界のどこでもいつでもすぐに戦争ができるようにしようとしている。

 戦争によって平和は成し得ない。戦争はできるだけしないように、いや、絶対にしないように、が人類誰でもの願いのはずだ。が、今、安倍氏らが目論むのは、世界平和を口実に、アメリカの先兵として、積極的に戦争を仕掛けていく方向なのだ。アメリカはテロ組織の指導者と目した危険人物は無人機で暗殺すらやる国家なのである。そんな国の仕掛ける戦争に集団的自衛権行使として参加していく。それはあり得ない。絶対に許してはならない。

 ともかく声を上げていこう。一人一人が何らかのアクションを起こそう。でないと、後世の人たちに、何でそんな暴挙を戦後70年のとき、日本人は唯々諾々と承認したのかと問われるであろう。
 あの戦争で学び誓い、憲法に記したことは、国際間の紛争に際し、再び武力で解決をはからないということだ。つまり戦争は二度としない。日本人はもう誰も殺さない。よって誰も殺されない。
 今、その根幹が自公政権の謀略により揺らいでいる。こんな暴挙絶対に許してはならない。