うたに思いを込めて、託して2015年05月22日 22時51分29秒

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 このところ疲れが抜けず、夜になると頭痛、歯痛、腰痛など体のあちこちが不調をきたして起きていられない。そんなでなかなか腰据えてブログも書けない。
 つくづく体力なしの我が身を呪うが、このまま寝たきりになるのにはまだ早い。大変なご時世に寝床の中からでも異議申し立て、抗議行動はせねばと思う。

 戦後70年の節目の年に、皮肉にも戦後民主主義最大の危機が訪れている。このまま安倍内閣の目論む、戦争による平和主義=世界のどこでも戦争に参加していく体制づくりの「戦争法案」を成立させ、戦争国家へと日本が舵を切るのかその瀬戸際に今立っている。


 じっさいのはなし、我に子も孫もなし、身近な後の世代のことなどどうなろうと後顧に憂いない。しかし、日本を愛する日本人として、この国が再び戦争に関わり、他国を攻撃し他国に攻撃され、日本人が殺し殺されるのだけは見たくないし、我の死後のことであろうとその道筋に手を貸したくはない。
 モノゴトには、積極的に関わらなくても、そのことについて見て見ぬふりをすれば未必の故意的共犯容疑が問われることだってある。今、戦争によって平和をつくる、という詭弁を弄する者を首相に抱き、信任しないとしても批判もせずにほったらかしにしてしまえば、承認したことと同様であろう。日本を再び戦争国家に戻そうとする彼の目論見は糾弾すべきであり、そのために今でききることをし、声を上げなければ、この時代に生きた者として「死後裁きにあう」と我は思っている。

 むろん法治国家とは程遠い無法国家はいつの時代も存在し、イスラム国のような無法テロ組織も世界中を跋扈している。世界がそうした危機に覆われているとしても、家の守りや戸締りは必要だが、わざわざ外に出向いて悪いやつらを退治に行くべきだとは考えない。
 むろん積極的に平和構築のためには、ただ守りに徹していたのでは奴らの思うつぼ、何を仕掛けてくるかわからない。やられてからでは遅すぎる、やられる前にやれ、という考えもあろう。平和のために戦争を仕掛ける、積極的平和主義なる詭弁は絶対に認めないしありえない。

 ただ、そうした意見もあり検討に値するとしても現時点で、国民的議論の高まりも要請もないのに、突然勝手にも集団的自衛権解釈変更し、安保法制を大きく危険極まりなく変える法案成立は絶対に許さない。はい、どうぞご自由にと認めてはならない。

 そのために、仲間に呼びかけ集会を催し、チラシを配りデモやシュプレヒコールを上げるという行動もある。職場の仲間や友人知人に訴えていく人もいよう。できることは人それぞれだが、ともかく何かのアクションを起こそう。

 自分ができることを考えれば、ギターやうたという平和的武器があるのだからそれを用いねばもったいないではないか。
 元祖プロテストシンガー中川五郎氏を招いて彼のうたを聴く催しをやることも考えた。が、今はそれよりも一人でも多くの唄い手が、彼に倣い街のあちこちで、どこでもうたを通して反戦のメッセージを訴えていく。自らのうたに思いを込めてうたっていく。
 うたうたいにはうたうたいの手段、詩人には詩人の手段、絵描きには絵描きの手段、物書きには物書きの手段が、それぞれ各業種、ジャンるごとに普段通りのこととしてすべきことがあるはずだ。
 何も難しいことではない。いつも通りのことの延長として、当たり前に考える大事なことを表現していく。

 近日中に、日程、出演者は発表したい。7月後半、場所は谷保のかけこみ亭。マス坊も懲りずに唄いたい。