危機脱出2015年05月06日 23時56分39秒

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 晴天に恵まれたゴールデンウィークであった。皆さまどうお過ごしのことか。個人的には最悪の寝たきり状態から何とか脱した。

 私ごとを書けば、体調崩して気持ちも落ち込み最悪かつ、もうどん底に陥り、家に火をつけ一家もろともオサラバすることすら考えていた。が、何とか立ち直った。自殺ではなく、どうせ終わるものなら早く全てを終わらせようと考えた。※父の呆けに手を焼きついに堪忍袋の緒が切れ殴る蹴るしてしまったこともある。親を殺すのなら自らも含め全てを消滅させるしかないであろう。

 疲労は極限まで達して、足腰立たないだけでなく、前から悪かった右目も痛み激しく目も見えなくなってベッドの中で悶々忸怩たる日々を過ごしていた。
 言ってもせんないことだが、自分は基本どこにも所属してなく、フリーランスとは社会的位置づけだろうが、それ以前にこんな人間だから人間関係でまったく属するところないゆえ、ただ孤独にひたすら寝込むしかなかった。
 ベッドの中でモバイルで確認しても届くメールは、しょうもないバイアグラ関連のチンコの固さを説くスパムだけで、つくづく狭い世界で生きていることを思い味わうばかりであった。
 恋しい連絡欲しい人からは連絡なく、あれこれ考えてしまい自らを苛むだけであった。

 が、ようやく連休最終日になって、神が哀れに思い手を差し伸べてくれたものか、旧き友から待ち焦がれた連絡があり、そんな最中でもウチにイベントのポスターなど持ってわざわざ訪れる方もあり、そうした人たちの「連絡」によって何とか自分の「存在」が確認ができた。
 つくづく有難いことだと思う。必要かどうかは別として、こんな我をも忘れずに相手してくれる人たちがいたのだ。

 必要とされているかはわからない。が、どこにも所属していない、そもそもいてもいなくても良いような、いや、常に他者から全面否定されることの多い人間としては、向こうから関わりを持って頂けるだけで有難いことであろう。

 孤独は辛いとは思わない。逆に世事に煩わされず楽だとも思う。が、体調悪く寝込んだりとすると、いったいこの先、生きていて何の得があるのか、皆に迷惑をかけるだけではないかと自責し生きていく自信、目的を失っていく。
 バカだからとことん能天気でありたい、バカボンのパパのように生きたいと願う。ふだんはどう人から蔑まれ罵声を浴びさせられてもニヤニヤしていられる。何故なら自分自身自らを最低だと自認、否定しているからどう扱われようと平気の平左だ。

 が、体力弱ると、その「肯定力」も弱り、ひしひしと孤独に苛まれ、抱えている現実に押しつぶされ、老いた親たちも殺して一切を終わらせることすら夢想するようになる。それはそれで一つの決着でないかという思いは今だってある。何故ならその先がこの「家」にはないからだ。希望なく、老いと死しか先にないなら生きていく意味など誰にだってないだろうが。
 それぐらい余裕ない、ぎりぎりカツカツな毎日を送っている。それこそが無頼であろう。

 しかし、そうして自暴自棄になりかけていたところに三人の友から電話とメールがあり、今日は、今、大阪・春一番の会場にいると記した友からハガキが届き、それを手にしてつくづく有難いことだと思った。

 立ち直れた。ここからまたやっていく。腰や背中はまだ痛いが歩けないほどではない。全てを受け入れていく、いや、それだけでなく、これからは多くを与えていこうと思った。見返りを求めてのことではない。
 
 正直、我の人生なんてどうだっていいのだ。ただ、もう少し生きてやろう、まだ死ねないと思い直した。親がいるからではない。我が内にある、「神」に倣って、自分のためではなく、人様のために、可能な限りできること、成すべきことをやっていかねばならない。

 ともかく危機は乗り越えられた。心身衰弱して悪魔のささやきに耳を傾けて危うく全てを投げ出すところだった。もう大丈夫。もう何も求めない。期待しない。そのうえでやるべきことをやっていく。まだできる。やるべきことがある。神も友も見捨てないでいてくれた。愚かでどうしようもないがこの人生を続けなくてはならない。体が弱ると心も弱くなる。どうせ俺はダメなのだ。わかりきったことだった。なにを今さらだ。くそったれ!

 それだけを今記す。