今は、ただ哀しみの中で2016年09月09日 13時07分19秒

★本当に有難うございました。

 こうして我と母と、そして父との親子三人での、物ごころついてから半世紀以上、約60年にも及ぶ物語は、昨日明け方、母の死によって突然終わりを告げた。
 改めて今、当ブログの読み手の方々、及び友人知人の皆さんに、まずこの場を借りて心から御礼申したい。今は、ただ哀しみの中で、明日の告別式を静かに待っている我が家である。

 どんなことにも終わりは来るし、いつまでも続くものはないとわかってはいたが、あまりにも毎年同じように、正月が来て春が来て、夏が、そして秋が、そしてクリスマスを迎えて一年が過ぎるのが当たり前だと思っていた。
 そしてそんなルーティンがいつまで続くのかと危ぶむ気持ちはあったが、これまではずっとそれを淡々と繰り返して来れた。そして今年も何とかそれは続くことを期待していた。
 しかしモノゴトにはいつかは終わりが来る。母は癌を病み、それが進行し続けてついに余命いくばくもないと医師から宣告受けた。それでも我は、何とか我が手で母を生き永らえさせられると信じていた。
 母もまた我が家で最後を送ることを望みつつ、毎日癌を克服することを願いけんめいに生きて来た。
 が、そうした願いはかなわずついに昨日明け方に、我にとってはある意味突然、まったく想定していない形で終わりが来てしまった。
 繰り返しになるけれど、どうしてもっと優しく丁寧に、慎重に瀕死の病人だったのだから手厚く看護しなかったのかと今その最後のときを思い返してはただ悔やんでいる。

 むろんいつかは間違いなく死んでいく人であった。しかし、意識も最期の数分前まであったし、そんな頭がクリアーな人はまだまだ死なないものと信じ切っていた。だからけっこうぞんざいに、元気な頃と同じようにオムツ交換の時などは扱っていた。母もあんな体でしっかりと足を踏ん張り、腰を浮かせて我が作業しやすいよう協力してくれたのだった。
 今そのことを思うと、本当に最後の最後まで有難いことであったと思う。どこにそんな気力があったのか。

 結局、最後の日は、そうした一日で昼夜を問わず10数回にも及ぶ紙オムツの交換で疲弊して、体力気力共に尽きて飲んだ水にむせて呼吸困難となって死んでしまったのだ。
 また我もほとんど眠っていなく、健康な者でも疲労困憊しふらふらでつい愚痴も出てしまった。母としても我の身体を思い旅立ちを決意したのかもしれない。

 でもいくら悔やんでも嘆いても逝った人は帰らない。まだ母はいつもと変わらず玄関わきの部屋で、介護ベッドに眠っている。でももう明日朝には棺に移し替えられて告別式会場に運ばれて、式が終われば立川の火葬場で焼かれて骨となってしまう。
 今でも母がもう生きていないこと、この世にいないことが信じられない。しかし、これからは母のいないまま父と二人だけの新しい人生を送らねばならない。果たしてそれは可能なのか。

 どうか天国の母よ、我の行く末をいつものように微笑みをもって見守っていてください。そして、我もまた善行を積んで天国に行けたらばもう一度皆で旅行や温泉、山梨に行ったりクリスマスパーティをやろう。

 どうか見守っていてください。この弱い息子を助けてください。母はいつでも我の中にいる。我と共にずっとこれからも生きている。だけどもう一度声を聞きたいし、好きな音楽を一緒に唄いたい。あれこれあっことを話したい。何度でもオムツ交換をやさしくやってあげる。入れ歯も洗うしあの痩せて手足だけむくんだ体をさすってもう一度抱きしめたい。

 多くの方々から励ましのコメントやメール頂きました。ほんとうに有難うございました。天国の母と共に心から感謝いたします。
 どうか明日の告別式が滞りなく終わりますように。我が冷静に持ちこたえられますように。

コメント

_ モジロー ― 2016/09/11 22時50分08秒

☆マスダさん、ほんとうにお気の毒なことでした。しかし母上は自宅で永眠されてしあわせです。わが母は施設に入り、そこから出るときは亡くなったときです。母上を最期まで看取られたことは善いことです。家族の看取りこそたいせつなことです。どうかご自分を責めないように。

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