人が死んで、いなくなること・前2016年09月11日 02時32分28秒

★母の遺骨を抱いて家に帰る。

 おかげさまで昨日の告別式は無事に終わった。某新聞の死亡欄に載せたので、予想をこえたはるかに多くの母の友人知人が次々と来られた。定員40名迄で貸し出す市の施設なのにその倍は来たか。職員などにご迷惑をおかけしたかもしれない。
 多くの方々に見送られた。嬉しく有難いことであった。にぎやかなことが好きな母もきっと喜ばれたに違いない。見えないがそこに魂がいてくれたならば。

 いったい何度泣いたことか。いくら泣いても涙が枯れ果てることはない。この間の経緯も含めて我が母への思い、母当人の思いも来られた方々にできるだけきちんと伝えたいと考えていたが、時間的制約もあってそれはうまくできなかったし思うようにしゃべれなかった。ともかくたくさんの方が次々と来られた。
 本来、葬儀は葬儀として身内やごく親しい者たちだけで済ませてから、後に新たにはかって「お別れ会」、「偲ぶ会」のような集いをすべきであったかと今思うが、葬儀に来られた方はやはり故人に直接会い、その死を確認して個人的に別れを告げたいはずであり、やはり公に、誰でも来れる葬式にしたことは良かったかと思う。母もそれを望んでいた。

 記憶の中の母は今も我が内に在る。遺骸は焼かれてカラカラの骨となり、箱に収められて家に還ってきたもののそれはもう母ではない。
 魂が去り、焼かれて肉体は骨と化したわけだが、そのことは別に辛いとも悲しいとも思わなかった。もうそれは母の一部ではあったが、脱ぎ捨てた衣類のようなもので、母そのものではなかった。
 8日の明け方、まだ暗いうちに我が家で死んで昨日の朝までずっと家に置いたわけだが、救急隊に立川の病院に運ばれたときはまだ温もりもあり、それは先ほどまで我に抱きかかえられていた母その人であった。
 が、じょじょに時間とともにただの遺骸、魂の抜け殻に代わり、病院から再び戻り介護ベッドに寝かされてときは、まさにやすらかに深く、少し笑って楽しい夢見てまどろんでいるように見えたが、昨日の式場でのそれは、別人ではないが顔色も違って我が繰り返し抱きかかえ紙オムツを替えてあげた母ではなかった。蝉が羽化して脱ぎ捨てる殻のように思えた。だから焼かれて骨と化そうがちっとも辛くも悲しいとも思えなかった。

 では、母はどこに行ったのか。すぐそこ、今もこの家にいると感じなくもないが、やはり天国かどこか違う場所に旅立ったように思える。ちょっと所用で出かけて今家にいない、不在の感じがしている。
 辛いのはその不在からもう二度と帰らないことだ。骨となった肉体の一部は今この家には置いてある。しかし、それは母の使っていた眼鏡のようなものであり、我が愛し尽くした母ではない。その箱に母はいない。

 あの母という人とはもう二度と話せないし、この世ではもう会うことはない。既に死んでしまった多くの人たち、友人知人や祖父母たちと同じく、我が記憶の中、思い出には在るけれど、もう二度と直接会えないし声も訊けない。そのことが辛い。哀しい。
 じょじょに寝たきりになって、起きているのか眠っているのかわからない状態になってしまっていたけれど、声かければすぐに返事も反応も返って来た。何よりもそこ、玄関わきの部屋の介護ベッドに毛布にくるまって「存在」していた。
 シーツも剥がされ、エアマットだけの空になった介護ベッドを見ると、このベッドを運び入れたとき、そして二度目の高熱が出て立川の病院に入院していたときのことを思い出す。そのときは10日間の不在でまた我が家のその場所に母は戻って来た。
 しかしもう母は帰ってこない。死という世界に旅立ってしまった。いや、それは暗い黄泉の国ではなく、晴れた日の青い空の向う、見上げた先のもっと上にある天国、神の国だと思いたい。
 そこで先に逝った人たち、母と親しかった仲間たちと今歓待され語らいわいわい楽しくパーティでもやっていると思いたい。そう考えれば少しは気持ちも落ち着く。

 レンタルしていた介護ベッドは来週明けにすぐ返す。もう母の居場所はない。そしてまだ居残ってくれている我が妹も火曜日には九州に帰る。我が家は、我と父だけ二人になる。いくら待っていても母はもう帰ってこない。
 そしてその父もそう遠くない先、近く旅立ち母の待つところに行ってしまう。我はたった一人で、この広い家に残される。外から帰って来ても誰もいないし呼びかけても返事もない。
 そうした現実を我は受け入れられるのだろうか。まずは父と二人だけの母のいない生活に慣れねばならぬ。
 もうこれからは、母の介護という「制約」はないのだから、父がデイケアに行っているとき、あるいはお泊りさせられるデイサービスに預けてしまえば、夜通しだって外で遊び歩くこともできる。
 しかし、今はそんなことにちっとも魅力を感じない。人の集まる場には行きたいと思えない。今願うのは、ただ静かに母とのこと、これまでの経緯を振り返り、思い出をきちんと整理したい。

 母と我とのこの数か月続いた濃密な楽しいときは9月8日の早朝、突然終わってしまった。もっともっと聞きたかったことも話したかったこともたくさんあった。そしてこれから徐々にそれをやっていこうと考えていた矢先であった。まずそのことが悔やまれる。あれこれ考えると涙が止まらない。
 これが天命、神の意思だと思いたいが、今はまだこのこと、死という別れが「良かったこと」だとは絶対に思えない。しかし時間は戻せない。悔やんでも我を責めてもどうにもならない。

 家族三人での常に大騒ぎしていた日々はついに終わった。これからは次に逝く父不在のときを想定して、今さらながら我が人生を再構築していかねばならない。これから何をどうやって生きていけば良いのだろう。我の旅立ちはまだ先だと思いたい。
 とことん泣いて涙を絞り出してから、また新たな生活を始めていかねばならない。母を探しに後を追ってはならない。我が人生を続けて行かねばならない。
 このブログという我の物語はまだ続く。新しい章が始まる。しかし、今はまだしばらく泣かせてください。我の中の母と向き合わせてください。

 外は静かに雨が降っている。今午前四時過ぎ、夜明けまでは時間がある。ちょうど母が旅立った時刻かと思う。
 
 母の魂よ、安かれ。ぞんざいに扱ってしまった我をゆるしたまえ。天の国にみ栄えあれ、地には平和を、そして人には愛を。
 今も泣きながらこれを記している。

 いろいろ激励のメールやコメント、有難うございました。今は、このブログという我が思いを記す場があること、誰かが読んでくれていると思えることだけが救いです。

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