すべて、それは何かのメッセージ2017年05月12日 12時55分14秒

★見えないものでもあるんだよ、と。

 運命論者ではないが、我は見えないもの、目には見えないが在るものを信じている。
 すべて起こる事には、原因があるように、それをもたらす何かのはからい、要因が示されていると思える。啓示と呼んでも良い。目には見えず言葉として聞こえはしない。が、人にはときに警告、メッセージとして誰しも与えられているのだ。

 先のことはわからない。だからこそ、人は先のこと、これから先に何が起こるか、待っているのか知りたいと願う。そのための方法として古来古今東西、様々な占いや呪術占術、気学易学のような思想が生み出された。
 古本屋として常に様々な本が入り様々な本と出会う。その年が過ぎれば売り物にはならないが人は毎年よく買うなあと呆れるのが、「木星人の運命」など細木和子による星人ごと記された毎年度の占術の本であり、今はブームも過ぎ去ったがドクターコパなる者の風水の本などもある。
 それに高島易断が出すものも加えれば、主に年寄りだと思うが、若い人も含めてかなりの人たちが、そうした非科学的運勢「占い」本に頼っているのだと思える。
 昔ながらの街頭での易者たちがやっている占いさえも、じっさいによく当たるとは思えないが、ある程度は信じているからこそ、それを頼りに、あるいは指針とすべく人はそうした本を求めて読むのであろう。

 我は星座占いにしろ血液型にしろ、そのカテゴリの幅が大きい占いはまったくアテにならないと考えている。人の数だけそれぞれ運勢は梅井は個別にある。気学で個人を個別に生まれた時刻などから細かく調べれば、ある程度の運勢は出るし当てはまるかもしれないが、獅子座は今日はツイてる、新しい出会いがあるという運勢占いを見ても一笑にふすしかない。
 我は易占など運勢について古来より人類が考えて生み出した先を読む法を一概に否定はしないが、手相、人相、家相も含めて街中の占い師、そのベストセラー作家女史やテレビに良く出る霊能力者、祈祷師の類もまったく信じていない。むろん霊的世界はあるとしてもだ。

 しかしそんな我でもこのところ心がけていること、ことにおいて気に掛けているモットーのようなものがある。日々の祈りや信仰など宗教とは関係ない。
 今日は金曜、我が会員となっている飯田橋の名画座ギンレイで、二週替わりのラインナップの最終日だった。明日からまた新たな映画に代わってしまう。
 今日までのは、チェット・ベイカーの生涯を、情けない男を演じたら当代随一のイーサン・ホークが演ずる伝記映画と、スペインの鬼才アルモドバル監督の最新作の二本立てだった。
 我は昨日、サイトを覗いて気がつき、そのどちらにも興味あるので今日はせめて1本でも観に行けたらと、出かける予定でいた。

 今日は幸い父は、デイケアに行く日であって、しかも早出なので、父を送り出したあと、我も駅へ向かえば、朝一の10時過ぎから回と昼からの次のもう1本も見終えても2時頃で、都心に出ても何とか父が帰ってくる頃にはウチに戻れると考えていた。
 そのつもりで、父を朝8時過ぎに送迎の車に乗せて、我も出かける支度し始めた。ところが、肝心のギンレイのシネカード、フリーパスポートが何故かみつからない。財布などあちこち探したけれどどうしても出てこない。そのカードがないと行っても実費で入場料を払うしかない。

 9時過ぎまであちこち探したが、みつからないので、心残りではあったが映画は諦めて出かけるのを取りやめにした。
 そして自室二階の片付け、自分の溜まった書類の整理などし始めたらすぐにカードはひょっこり出て来た。それからでも急いで出れば、昼からの1本は見ることはできたが、やはり今日は出かけるべきではないのだと思い直した。
 長く生きていると、いつしかこうした占いともつかない習慣がつく。モノゴトがすべきこと、確かに成すべきことであれば、意外なほどうまくモノゴトは進む。それが逆に、トラブル続きであれば、本当はそれはすべきではないのだと思えてきた。

 迷信だと嗤う人も多くいるだろう。このギンレイのシネパスポート一件、お前がだらしなくしているから当日の出かける間際になってみつからなくなるのだと。
 その通りではある。が、我はそこに何かの意思なり、メッセージのようなものを感じてしまう。むろん無理して行けば、何かトラブルに遭うとか、必ず問題が生ずるなんてことはないだろう。きっと映画を観たほうが刺激を受け良いことが生まれるに違いない。
 しかし、出かけるのに必要なものが急にみつからないのも何か意味があるのかもしれない。もし無理して出れば、映画の間に父の体調が急変して施設から連絡があったのかもしれない。
 我は家にいたから父は無事にコトもなく帰って来たのかもしれない。それは全てわからない。何も起きていないのだから。しかし、人はどんなことからでも何かを考えてそこに意味をみつけることができる。

 一切そんなことは考えず我意に基づき無理を通すという生き方もある。じっさいそうして大成した人も多いだろう。が、最近の我は、いかに見えないものから、与えられるメッセージを感じ取り、そこに意味を見出すということに心がけている。
 それは簡単なことではない。ただ、この世に起こることはごく小さなことでさえも必ず何かしらの意味がある。全く無関係の、ヒトゴト、関心外ではすまされない。
 特に今日のように出かける間際に起きるトラブルはやはり今日は出かけるべきではないという「はからい」なのではないだろうか。答えはないが。
 が、人は見えない声に耳を傾けるべきだし、そのときが来たと我は考えている。

 東日本大震災によるフクシマの原発事故は日本人にとっての一つの重要な警告であった。そうしたメッセージを無視した人、そうした人たちばかりの国家はやがてさらに大きなダメージを被るときが来るのではないか。我はそれを案ずる。現代の治安維持法、共謀罪しかり。

母のいない母の日に2017年05月14日 22時39分42秒

2016年5月15日撮影 旧谷中村岩波正作屋敷跡にて母と針谷婦人
★もっとゆっくりと、きちんと死なせてやりたかった。

 14日は、母の日であった。街中のスーパー、コンビニなどでは、母の日に向けて商戦が高まっていた。バレンタインやクリスマスなどと同じくこれもまたプレゼントやモノを売る記念日のイベントの一つとしていつの間にか定着していたのだ。
 が、母が生きていたとき、去年まではまったくそんな日のことは意識しなかった。その日が来ても誰も気づかず話題にすることもなくたた日々が繰り返し過ぎていくだけだった。

 今年は違う。母が去年の9月に死に、母不在で迎えた今年の母の日は、街に出、その商戦の宣伝を目にすれば嫌でも母のことをまた考えてしまう。
 母の日にプレゼントなどあげたことなどない。感謝の言葉も口にしたことなどなかった。今改めて失ってみて今さらどうすることもできないが、もっともっとやさしく、してやりたいことがたくさんあったと悔やむ。半年以上月日が過ぎても母の死は今でもまだ信じられない気がしている。
 そう、今も痛恨悔恨の思いに苛まれる。人は必ず死ぬのだから死ぬのは仕方ない。その覚悟も予想もしてないこともなかった。が、あまりに慌ただしく、あまりにも早く突然、今思えば、あっという間に母は死んでしまった。

 去年の今頃、五月の半ばには、母は入退院を繰り返してはいたが、まだかなり元気で、自由に自ら動きまわっていれたし、父祖の地、栃木県藤岡町にある、旧谷中村の史跡や親戚縁者のところにも一泊二日で遊びに行っている。
 向うの人たちは訪れた母が予想外に元気だったので皆一様に驚き喜び、安心していた。その頃は、父は肺炎起こして入院、立川の院内で骨折し、長期入院中で、母と二人だけの暮らしが続いていた。初夏には、母と二人で山梨県増冨の温泉にも行っている。今思えばそれが母と最期に出かけた思い出になった。

 しかし、父も退院してきた7月の後半、母は、家にいた夕刻に突然39度の高熱を出し救急車で搬送、入院、約一週間で退院できたが、その後は自宅に介護ベッドを入れての寝たきりとなってしまった。
 けっきょくそれから僅か二か月病臥し、在宅診療を受けつつも台風が次々来襲した昨年の秋、9月8日の未明、容体が急変して心肺停止、また救急車で立川の病院に搬送されたがもう意識は戻らず医師から死亡告知されたのだった。往診に来てくれた医師の見立てでは9月20日頃までは持つだろうと言われていたので、我としてはまさか!の「想定外」であった。

 そして一日おいて、慌ただしく告別式、火葬、そして昨年のうちに遺骨は埋葬、様々な死後の煩雑な相続手続きも終えて年も改まり今年も春を迎え初夏になろうとしている。
 今も深く悔やむのは、母が生きている間に、もっといろいろ訊いておきたいことがあったのにあまりに早く逝ってしまったということだ。最後は衰弱してきたので話すことも辛そうになってしまっていた。
 死に臨んでいることはわかっていた。が、まだもう少し時間があると思っていたこと、その予想、設定が何より過ちだった。
 そして今になって気づくは、癌を治そうとか、そもそももっと生かそう、少しでも元気にさせようと考えていたこと自体が、間違いではなかったのか、ということだ。
 死なせたくないが故、ずいぶん無理して食べさせようと毎食ごと我は調理に苦労したし母にも無理に強いた。そのときはそうすることしか頭になかったのだから仕方ないのだけれど、今は落ち着いていろんなことが見えてくる。

 どうせ死ぬのであれば、もっとゆっくり死ぬためのときを持つべきではなかったのか。もっと少しでも長く生かそうと考えるのではなく、もっとしっかり死なすことを考えるべきであったと。
 死ぬも生きるも天の配剤、神の計らいなのである。それを我が母をもっと生かそうと願い考えること自体が僭越であった。大きな過ち、失敗だった。それより皆で死を受け入れ、その後のことについても語らい、ゆっくりと落ち着いたときを過ごすべきであった。
 むろんそんなことはそのときはできっこなかった。ただ日々母の介護に追われ何を食べさすか、何なら食べてくれるかだけ頭いっぱいで、日々慌ただしく寝る時間すらほとんどなく、もう何も考えられなかった。
 そしてあっけなく、あっという間に母は死んでしまったのだ。昼夜一人で看護する側からすればずいぶん長く思えたが、寝たきりとなって僅か二か月たらずであった。

 ウチのごく近所にHさんという母の友達がいる。Hさんは母と同い年、昭和4年の生まれで、栃木の佐野市の出で、母と同じ女学校の同級生だった。
 母は東京北区の生まれだが、戦時中栃木県佐野市に疎開し、母の最終学歴は佐野高女卒業ということになっている。今住んでいるこの地に越してきて、近所に住むHさんと出会い話したら、まったく偶然、彼女も同じ佐野高女出だと知った。まったく奇縁というしかない。
 その当時から顔見知りだったというわけではないが、その縁で、母とHさんとはごく親しく深い関係を続けて来ていた。ただ、Hさんは、心臓が悪く若い時から何度も手術し、歩くのもやっとという状態で、同郷のよしみ、元気だった母は友を常に気遣い、身体の具合を心配してあれこれ世話焼いていた。かつては同じデイサービスにも一緒に通っていたこともある。

 しかし我が母は癌が悪化してあっけなく昨秋死に、Hさんは、このところ体調がやや良くなったのか、ヘルパーに手を引かれ、近所まで買い物に出歩いている姿もみかけるようになった。
 ひと頃、親しくしていた我が母の死に落ち込んでいると訊いたが、元気になってきたようで喜ばしく思うが、母がずっと心配していた人がヨタヨタでも今も健在なのに、母のほうが先に死んでしまったことにやはり複雑な気持ち、憤るような深い哀しみを覚える。
 母も癌にさえ侵されなければ、昭和4年生まれの同い年、Hさんと同様に今も生きていたはずなのである。

 しかしそんなことを思っても仕方ない。これが現実なのだ。どれほど辛く受け入れがたくとも受け入るしかない。失敗や失ったものを嘆き悔やむよりも、思い出とそれから学び得たことを大事にしていくしかない。
 母が遺してくれたもの、今在るものを大切にして、しっかりやっていくしかない。
 けっきょくこれが人生ということなのだ。情けなく哀しくどうしようもないが、ともかく生きていかねばならない。そう、悔やむ気持ちはなくならないがどうしようもなかったのだ。

 母のいない母の日に、これを書きながらまた涙がとまらない。
 実は昨日からまた山梨に行き、一泊して今晩帰って来た。向うの直売所で、アヤメだか菖蒲の入った切り花を売っていたので買い求めてきた。
 母が生きていた頃、母の日であろうがなかろうが花束など買ってきたことは一度もなかった。花が好きだった母のために、その花束を母の遺影にそなえようと思う。遅くなったが今日は母の日なのだ。

「うた」のアーカイブとネットワークを作っていく。2017年05月15日 13時33分47秒

★我が役割を果たしていく。
 
 13、14日とこの土日は天気が悪かったが、父をデイサービスに預けて犬連れて山梨へ行ってきた。
 この週末は、土日月と二泊三日で、父はその施設にお泊りで、我もそれに合わせて父のことは考えず、自由に時間がとれる。が、やはり家を泊りで空けられるのは、せいぜい一泊であり、二泊以上の留守は不安でできない。
 また、隔週月曜には往診が来るので、土日の一泊二日しか預けられないときもあるので、その週は止まりで山梨に行くことはできない。
 それで土日月と父を介護施設に頼めても土~日か日~月の一泊の予定でいつも山梨へ行く。

 このところは、ずっと日曜の午前にこっちを出て、月曜の夕方早く、父がデイサービスから戻る頃には家に戻れるように帰って来ていた。
 しかし、それだと二日目は、昼頃には向うを出ないとならず、腰据えて作業ができない。
 で、今週は、土曜に、父を送り出してすぐ我も車出して、雨だったが山梨へ行ってきた。向うに一泊して昨日、日曜の夜に帰って来た。
 だが、行きは渋滞はなかったものの、帰りの日曜夜の東京方面はかなりの渋滞していてまいった。毎度のことだが、大月インターから小仏トンネルまでの間、20キロの渋滞と表示されていて、やはり日曜夜に高速道で戻るのは渋滞に巻き込まれるだけだと思い知った。※仕方なく一般道、国道20号線を、山の中、相模湖インターまで走って行き、そこから渋滞の中央道に合流した。
 ならばやはり日~月で行くか、二泊三日でも土曜日は夕方に出て、月曜早く、朝のうちに向うを出るような変則で行くしかないと考えさせられた。

 そもそも中央道の上りで、日曜祭日の夕方から必ず小仏トンネルと、ときに笹子トンネルの入り口でひどい渋滞するのは、構造的問題なのである。
 上り車線は三車線ある区間も多いのに、トンネルの中は昔ながら二車線しかなく、利用車の台数が多い休日の帰宅時間は当然のこと、狭まるその地点ではクルマが溜まってしまう。
 トンネルも新しく作ったところはどこも三車線になっているが、小仏と笹子という二大長いトンネルだけは開通当初のまま、旧態依然とした薄暗く狭い二車線しかない。ここを新たに三車線のに作り直さない限り、今後もこの区間、トンネル入り口前では渋滞する。
 休日の夜になると必ず帰京する車で中央道はここで渋滞するのがわかっているのだから、日曜の夜は利用しないに限るではないか。何もこちらは、月曜の朝出社の勤め人ではないのだから。

 さておき、毎度前置きが長くなったが、今回の山梨行きは、このところいろいろ頭が混乱してしまい、一人で落ち着いて今後について考えてこようと思ったからだ。
 テレビもネットもない、ラジオでも地方のコミュニティFM局しか入らない、人は誰もいない、飛行機も飛ばない、聞こえるのは鳥の囀りと滝の音しかないない隔絶された古民家で、一人で本に埋もれて考えた。
 
 ちょうど土曜日、13日は、「犬の日」で、翌14日は、「母の日」だとラジオのパーソナリティは話していて、亡き母のことも今さらながら思い出された。先に放送で呼びかけていたのであろう、リスナーからそれぞれ犬と母についての投稿が届き、紹介されていた。
 最愛の母と愛犬を続いて失った我にとって、犬の日と母の日に、ゆっくりとこれからのことを考える機会を得たのも何かのはからいであろうか。

 土曜日は、夕方、増冨のラジウム泉に行って、昨日は、帰り道、夕方まで甲斐市の名取温泉にのんびり入って来た。
 どちらの風呂も入浴しながら居眠りができる。あれこれ今後のことについて、我は何がしたいか、まず何をすべきか、どうありたいのか、今さらながら今後の我が人生について焦点を合わせようとぼんやり考えた。無念無想ではないが居眠りしながら。温い湯に浸かりゆっくりそのことに向き合ってきた。

 ようやく答えが出た。それは、うたについてのアーカイブスとネットワークを築いていくことだとはっきりわかった。
 詳しくは稿を改め次回記していこう。

共謀罪廃案を求めて2017年05月16日 23時43分54秒

★久々に日比谷野音での集会に行ってきた。
 
 今日は、夕方から久々に都心に出て、日比谷野音での集会「共謀罪廃案・安倍政権の改憲暴走を止めよう!5.16大集会※集会終了後、銀座デモ」に参加してきた。
 予定変えてその報告と考えたことなどをいたしたい。

 が、今はもう夜も深けて、疲労で頭痛がひどいので、いったん寝て、この続きを書き足したい。すみません。

監視で国民萎縮の「共謀罪」を憂う・12017年05月17日 10時34分11秒

★無関心と思考停止の国、今のニッポン

 テレビが、この国のお茶の間に入ってきた頃、ときの警世家として知られた評論家大宅壮一は、いみじくも「一億総白痴化」と危惧しその風潮を批判した。
 我はテレビだけがもたらしたとは考えないが、この発言、一億総白痴はまさに現実化したとつくづく思う。予め断っておくが、我もまた同様に、白痴化した者として認めたうえでこれを書いている。

 昨日の夜、久しぶりに日比谷野音での集会に一人で参加してきた。
 平日の夕刻にしては、まあまあ参加者も多く、会場外にも入れない人たちがいたときくが、かつて戦争法成立前夜の頃を振り返れば、立錐の余地がないというほどの超満杯には至らなかった。
 しかし会場の熱気は高く、登壇者も参加者も皆全員、改めてこの超危険な法案を廃案にすべく、さらに声を上げて行かねばとの思いを強く共有できたと思う。
 母が死んで以来、こうした集会には一度も行けないでいた我だったが、久々に一人でも参加出来て非常に鼓舞され改めて考えさせられ、学ぶところが大であった。

 法案の衆院成立、通過も迫っている。喫緊の情勢もあるので、先に記した拙ブログの予定を変更して、何回かこの法案について書いておきたい。
 拙ブログを読まれている方なら、ご存知であろうし内容についても危惧されているはずの、テロ等準備罪~こう呼ぶのは、政権の御用メディア化したNHKぐらいかと思うが、要するに「共謀罪」、犯罪を起こす前、相談や準備した段階でも逮捕できるというトンデモナイ法律が今国会で今審議され、今日の委員会で強行採決されようとしている。
 我が憂うのは、この法律ができたらまず逮捕されるのは、我と我らの仲間だということだ。テロ防止の名目で、政府与党は、この法案を新設し何が何でも今国会で成立させようとしている。

 が、何がテロ活動か、犯罪なのかというと、それは取り締まる側、警察や公安の一存に過ぎず、今沖縄で繰り広げられている新基地反対闘争でさえも、彼らから見れば明らかな反政府活動、テロ行為とされて、工事車両を通さないため座り込みを呼び掛けたり連絡取り合ったりしただけで、関係者は全員逮捕も可能となる。
 で、我が沖縄の反基地闘争支援のコンサートを企画したとして、カンパを募った段階でもテロ行為を「支援」したとして逮捕の口実になる。いわゆる反原発運動、戦争法反対、安倍自公政権打倒の集会・コンサートなど「反政府活動」を催し、こうしてブログやツイッターで拡散、宣伝、告知などを呼びかけも逮捕容疑になってしまうのである。
 そんなことはありえない、一般人、民間人は除外されると普通は誰でも思うだろう。それは一部の「活動家」たちだけだと。

 しかし、金田法相の迷答弁にあるように、
(犯罪か犯罪でないかの外見的事情を問われて)
 金田大臣:たとえば花見ならビールや弁当もってるが(犯罪の)下見なら地図や双眼鏡メモ帳という外形的な事情が…
 藤野議員:双眼鏡持っててもバードウオッチの人もいる。そんなことで判断されたら大変だ!※4/28 衆議院 法務委員会
★ご参考までに、「読む国会」↓
http://www.yomu-kokkai.com/entry/kaneda-kyobozai
 と、一般人の誰でも捜査の対象となってしまうのである。ならば、犯罪を計画する者は、しっかり缶ビールや弁当を持って、お花見を装い現場を下見すれば良いではないか。ならば容疑者扱いはされない、犯罪は成功すると言うのか金田氏は!?

 こんな噴飯ものの珍答弁、昔ながらすぐさま委員会は紛糾していた。が、今ではそれが答弁に苦笑は起きてもそのまま看過されてしまう。法案を出すならば本来きちんとした説明責任を果たすべきであろう。こうした無内容な珍答弁挙句の迷走「議論」ばかりで、質問時間は30時間になろうとしているので、そろそろ採決を(公明党代表曰く)となるのである。
 これが国民の代表が集う国会だとしたら、実に何とも呆れ果てるほど情けなく恥ずかしい。限りなく愚劣であろう。
 知的レベルが低いだけでなく、これで法案を成立させようと目論むならば人としての常識、モラルのかけらもない。
 
 そして、こうした「異常」がまかり通るのも、国民の多くが政治に無関心であり、マスメディアもまたきちんと報道しないからだ。これほど人権を抑圧する危険な悪法なのに。おかしなことがおかしいと問題にされないし誰もそのことに気づかない。誰もが無関心と思考停止状態に陥っているのが今の日本と日本人なのだと我は思える。
 現に様々な世論調査でも、国民の半数以上がこの新法についてよくわからない、よく知らないと答えている。さらに、よくわからないこともある故か今国会での早急な成立も望んでいない者のほうが多い。
 ところが、彼ら自公政権は、大急ぎでやみくもに何がなんでもこの「共謀罪」成立に向けて突っ走る。その理由とこの先にあるものについて次回は書いていきたい。

 ※明後日金曜19日夜の、国会前緊急集会に、我マスダは何としても参加するつもりでいます。ご都合良ければご参加同行される方、お知らせください。まあ、それも父の体調まずありきなのだけれど。。。

監視で国民萎縮の「共謀罪」を憂う・22017年05月18日 22時14分23秒

安倍晋三家系図
★「国民主権」がこれ以上奪われぬためにも

 華麗なる一族、という小説があった。アメリカでは、セレブリティ、日本では略してセレブと呼ぶ有名人、つまるところ人気芸能人、有名スポーツ選手や富裕層たちを指し彼らの動向やゴシップがマスコミの好事のネタとなって常に一般大衆の関心をひいている。
 日本でも女性週刊誌がとりあげるスター、人気芸能人、皇族なども「セレブ」にあたるのだろうが、真のセレブは、マスコミには登場しないしマスコミもあえてとり上げない。だから大衆はその存在を知らない。
 
 閨閥(けいばつ)、という言葉がある。ご存知か。米国でいう「エスタブリッシュメント」に近いが、日本の場合はもっと強固で深く根深い。一言でいえば、血縁や婚姻で繋がり結びついた一族、その層を指している。
 彼ら「華麗なる一族」は深く結び付き、この国を、表と裏から支配し続けている。
 表の顔は政治家、省庁のトップ官僚であり、裏の顔は大企業のトップである。俗に政財官と言う言葉通り、彼らは一体化し、閨閥という血脈縁故で結びつき、彼らの権益と地位、つまるところ権力を未来永劫維持すべく日夜腐心しているのである。
 
 政治家は国家国民のために働いていると思うだろうが、その前に彼らも人の子、まずは身内親族、そしておトモダチのことを優先して考える。そしてその恵まれた立場がこれからも維持され続くようあらゆる手をうっていく。
 テロ防止に名を借りた「共謀罪」とはそのためにまずある。彼ら支配者層の今在る地位と権益をさらに不動とするべく、足元を揺らす要因はすべて根こそぎ国民から奪っておきたいと願う。権力維持のためには、反体制活動は、「安倍政権を許さない!」と意思表示さえも許さないのである。
 政府の政策に反して「原発反対」という声を上げたり、どこそこに同志たち皆で集まることすらはばかれるような時代にすれば、彼らも不安なく枕高くして惰眠を貪ることができよう。そのためには取り締まる法律を新たにつくって、それがあることにより体制に不満を持ったとしても、逮捕されるかも、と国民を萎縮させていけば良い。

 『閨閥』というタイトルの本も、そうした人脈について記した本もたくさん出ている。我も古本屋として探せばどこかにあるかと思うのだが、今すぐにはみつからない。
 今回載せた血縁図はネットのあるサイトから勝手にコピーしたものたが、そのサイトの意思内容に全面的に同意する者ではないが、日本は、こうした人たちによって明治の新政府以来、管理支配、運営されていることに気づかされる。
 http://www.kyudan.com/index.htm

 政財官、さらには皇室までどこかで見たお名前がずらっと登場する。まさに華麗なる一族であろう。議員の地位は世襲され代々子孫に手渡せられる。この国は彼らによって支配されているのである。

監視で国民萎縮の「共謀罪」を憂う・32017年05月19日 16時04分17秒

★「共謀罪」衆院委で採決を強行 自公維が賛成、可決

 これから国会前に行ってきます。戻ったら書き足します。

  と、書いて、5時ごろ家を出て久々に国会前に行ってきた。ギターを抱えて。
 で、家に帰って今感じていることをあえて書く。

★運動は、もっと広く大きく緩やかに、誰でも「連帯」と「共感」の意思をもたねばと。

 行けたことは良かったし、行ったことで得たことも少なくなったが、正直、今日は失望した。これではダメだなあ、共謀罪が通っても仕方ないとさえ思った。
 参加者も主催者発表9千人とのことだったが、かつて戦争法成立間際の熱気を知る者には、もの淋しい人出であったし、何よりも全体的熱気があまり感じられなかった。

 しかし、それはこうした集会や抗議活動に参加する人たちも連日の行動で疲れてきていることもあろうし、そもそも総体としての活動に参加する人たちの数が一頃より減ってきているので沈滞化も仕方ないと思う。
 ただスピーチに臨んだ野党の国会議員たちの熱い訴えに比べて、大衆のほうが醒めているというか、反応がやや鈍い気がして、度重なる敗北に諦めムードが漂っている感じがした。
 先日の日比谷野音のほうが、箱ものでの集会ということもあったせいか、一体感は強く登壇者も多様で、その人たちの顔もよく見れたこともあり、参加者全員、連帯感、闘う意思は共有できたと我は思えた。
 が、今日は・・・
 国会前の野外、それも車道沿いの並木道でという、スピーカーの声だけしか聞こえず、車道を挟んで細長い歩道に分断された集会は、いかに参加者の一体感を保てるかにつきるわけだが、今回は意外な事態に我は戸惑った。

 あえて書く。どういう団体なのか確認していないが、主催団体がプログラムに沿って今日の集会を開始し進行させている最中も、一切それを無視して、国会正面に向かって右側の中ほどで、ある一群の人たちが、鳴り物入りで、自分たちのマイクの音量をかなり大きくして、独自に「抗議集会」を催していた。
 ドラムを打ち鳴らすは、トランペットなど楽器なども吹いて、ともかく騒がしい。そのメンツを見る限り、先の戦争法成立阻止運動のときにも参加していたリズム隊を中心にした若い世代だとわかる。シールズ風のシュプレヒコールもやっている。
 しかし、それが主催者の進めるプログラムの最中なのである。とうぜん、彼らのやってる音声が流れてくるので、スピーカーからの主催者側の登壇者たちの発言がよく聞こえなくなる。
 かつての何十万人も集まって、あの広い車道を占拠した頃なら、そうした独自にその仲間内での「活動」もかまわないし奨励されよう。何しろ、あまりに人が多すぎて騒がしく、集会を束ねる大元のスピーカーからの音声は何も聞こえなかったのだからあの頃は。
 しかし、今日は違う。その数十分の一程度しか参加者はなく、皆、スピーカーから流れる発言に耳をすませている、のにだ。それに与せず自分たちだけ独自の「集会」をその一角でずっと続けているのである。
 ウルサイから、やめろ、主催者側のプログラムが終わってからやれ、と行って彼らに抗議しようかとも考えたが、共謀罪反対とか沖縄連帯という同じ思いをもって参加している人たちなのだ。ここから出ていけとは言えない。
 しかし、これは明らかな分断行為であろう。その集会に参加しているのなら、鳴り物で騒ぐのも主催者側の進行に沿って共にすべきだと我は思う。それを一切無視して独自に集会をやるのならば、同じ国会正門前の車道で同時にやるべきではないと考える。
 最初は右翼団体か何かの嫌がらせかと思った。しかし、聞こえてくる彼らの発言や呼びかけは当然のことを言っているようで、ならば何故、この集会主催側の進行を一切無視して彼らだけの集会をやっているのか理解に苦しむ。我の周囲の人たちも皆、顔をしかめたり首をひねっていた。
 
 このところ我は昨年春頃から、家庭の事情で忙しくて時間なく身動き取れず、ここ国会前での19日行動にはずっと参加していなかった。来たくても来れなかった。彼らがいつからこうして独自の集会をやっているのかそれは知らない。もしかしたら戦争法成立以後も毎月ずっと19日にはあの熱いスタンスで「集会」を続けていたのかもしれない。それは素晴らしいことだ。
 しかし、今日の19日は、衆院法務委員会で、自公に加えて維新も同調して強行採決した日の集会であり、多くの人たちが抗議に集まった。主催者側とはまったく別個の集会を同時にやり続けるのは理解に苦しむ。
 多くの参加者は彼らの音声がうるさくて主催者側が招いた人たちの呼びかけや発言が聞き取れなかったばかりでなく気が削がれ、集中できなかったはずだ。
 かといって、彼らを追い出したり締め出せば良いとは我は言わないしそうは考えない。どんな運動でも多様な価値観とセンスを持つ万人に開かれたものでないと大きなうねりとなっていかない。シールズがなくなった今、若い世代のロック感覚ある、センスある抗議活動は貴重だと思う。
 しかし、結果として集会自体を分断し、その意思を共有、共感しないのであらば、逆に、共謀罪への抗議活動、廃止を求める運動に水をさすことになるのではないか。

 今日、我は、久々に国会前に行けて良かった。改めてまたいろんなことを考えさせられた。しかし、これではダメだと今日ほど強く感じたことはなかった。
 つまるところ「運動」とは参加者の数なのである。そこに来て、同じ思いを持つ者たちと出会い確認して、刺激を受けて思いを新たに、新たな決意と気概を持つことができないのならば集まる意味がない。
 自公ではないが、まさに数は力なのだ。こちら側の数を増やさねばならない。

 共謀罪も参院に審議が移りいよいよ正念場である。今も多くの国民はこの稀代の悪法のほんとうの恐ろしさを知らない。金田法相の言うように、法律が成立してから、細かい所は詰めていけば良いという次元のしろものではない。
 国家権力、警察、公安にこれ以上の力を与えてしまえば、戦前のオイコラ警察のように、庶民は警官の顔色をうかがって、すぐに逮捕されないようびくびく怯えて暮らさねばならない。
 いきおいこうした反政府集会も参加できなくなる。犯罪容疑者として、まず監視されときに盗聴までされるからだ。
 そんな時代が近く来る。ならばこそ、我々は連帯し思いを共有し、手を結び合い助け合って権力の横暴に抵抗するしかないではないか。
 
 運動は、もっと広く大きく緩やかに、誰でも参加しやすいよう「連帯」と「共感」の意思をもたねばと、帰り道考えさせられた5月19日であった。

監視で国民萎縮の「共謀罪」を憂う・42017年05月20日 07時08分43秒

★カエルを、気づかれずにうまく茹で上げて殺すには

 昨晩は、いろいろあってあれこれ考えてよく眠れなかった。
 我が身の「これからのこと」も当然心配するが、それ以上に、我を取り巻くこの社会、世界全体がこれからどうなるのか不安でならない。その「漠然とした」ぼんやりとした不安に押し潰されそうになる。

 また「大逆事件」のような権力が反体制活動家と目した人々を弾圧し冤罪で多数抹殺した最恐最凶最悪の事件が起きるかもしれない。
 ナチスドイツもだが、権力者は、常に彼らにとって邪魔者、それも政権を揺るがしかねない「内なる敵」を弾圧し抹消することに余念がない。それはいつの時代も内外変わりない。安倍政権の閣僚がいみじくもかつて口にしたように「ナチスの手口を見習って」、まずそのための法整備からはじめ、本来必要のない、彼らにとって都合のよい、国民にとって悪法を国会でほとんど議論させず次々と強行採決のあげく、成立施行していく。その先に来るのは、国家権力による国民総監視社会である。
 ときの政権に都合の悪い大事件が起きても報じられないし、マスコミも政権の顔色を伺い報じない。つまらぬタレントの浮気や離婚のゴシップは繰り返し報じても国家国民に関わってくることこそ国民には知らされない。
 だから沖縄で何が今起きているか、MXテレビのような悪意に満ちた、偏向報道はされても、真に沖縄県民の気持ちに寄り添った正確な報道は内地に届かない。
 同様に、マスコミも皇族女子の「海の王子」とのご結婚に盛り上がり、もっともっと肝心大切なこと、国家と国民の未来に直截大きく関わって来る新たな法律「共謀罪」新設についてその是非をほとんどとりあげない。ゆえに国民の多くは何も知らないし、いったいその法律がどんな内容なのか、わからないしできたらこの先どうなるのか想像すらできない。

 シュールな喩えだが、カエルの上手な茹で上げ方という例え話がある。
 カエルを茹でるのには、いきなり熱く煮立った鍋に入れてはダメだ。カエルはその熱さに驚き、ぴょんと跳ねて鍋から飛び出し逃げてしまう。
 だから、まず水からカエルを鍋に入れて、少しづつ火を強め熱くしていけば良い。そうすればカエルたちは逃げ出すことなく、いつしか煮られてしまい上手に茹であげることができる。さすがにこのところ鍋の湯の温度が急激に上がってきて中のカエルたちも少しだけ、おや、ちょっとおかしいぞと感じてきてはいるが、このまま茹で上げられるのは変わりない。
 このカエルが何を指しているか、説明不要であろう。我は最近、そこに、その鍋が載せてあるカマドにくべる薪をせっせと運んでいるカエルたちがいることに気がついた。そのカエルたちは、次は自分たちもその鍋に入れられることがわかっていない。鍋の中身に気づいていないから、薪を運ぶのに加担しているのである。哀れではないか。

 昨日、強行採決に際して「「ピント外れの質疑ばっかり繰り返し、足を引っ張ることが目的の質疑はこれ以上必要ない。直ちに採決に入って頂きたい」と促した日本維新の会の議員は、野党でありながら権力側の意向に従い国民を売り渡したユダとして後世に記憶されことだろう。

 何回かに分けて、「共謀罪」について思うところを書いて来た。が、当ブログの読者ランキングも下がり気味になっているし、このブログをお読みの方すらも関心外のことのようで、書き記しておきたいことは山ほどあるが、いったん筆をおくことにする。
 まだこの稀代の悪法、成立はしていない。これからも我は声を上げていく。行ける時は集会へ、国会前にも出向く。たった一人でも。
 声が上げられるうちに。我も監視尾行され逮捕されないうちに。

護憲と反戦・平和のための「共謀」コンサート、参加者、協力者募集!2017年05月21日 10時47分51秒

★また新たにコンサートを企画していきます。

 つまるところ、数は力なのである。公安や警察がどれほど取り締まりを強めようと、そしてカンタンに逮捕できる権限が与えられようと、取り締まられる側の数が多くなれば、まさに手に余り彼らはどうすることもできなくなる。
 憲法改正を求め望む人も当然いよう。しかし、現時点ではそれを希む人より、望まない人、望んでいるとしても早急に大慌てで「改正」を求めぬ人が国民の大部分なのである。
 ならばどのような妄動、弾圧があろうとも一人でも多くの同じ思いを持つ仲間たちが結集して、声を上げていけば良いだけの話だ。
 国会前や日比谷野音などでの集会に出向くことも大事だと思う。が、それよりもまず身近な場所で、自らの意思を他者に、それもまだ関心なく、状況を把握していない人たちに呼びかけていくしかない。
 むろん、無関心層はいつでもどこにでもいるし、反応は帰ってこないどころか、冷笑や批判、辛辣な皮肉さえ投げつけられるだろう。それも当然のことだ。
 だけれども人には思想信条があり、内心の自由は保障されなくてはならない。それを口に出し、書き記し、外に向けて表現する自由も憲法に保障されている。
 自民党の憲法草案には、積極的に世界のどこへでも出て戦争ができる国にすることの他に、有事の事態においては、そうした国民の自由、基本的人権すらも束縛されることが記されている。
 最終的に、国民合意で、憲法が改定され、そういう事態ににれば我もそれに従いその新憲法を尊重するが、現時点では現行憲法擁護のために、我が人生の残りを尽くす気持ちでいる。

 我には我が子も子孫もない。だからこそ、我が身のためではなく、次世代のため、これから生まれ育つ人たちのためにも平和と不戦の誓いを伝え残していく。
 で、何ができるかこのところ考え続けた。こうした集会に参加することも大事だと思う。しかし、そこを出て、プラカードを丸めてバックにしまうのでは運動も闘いも広がっていかない。
 その思い、意思があるならば、それは閉ざされた空間の中で、同じ思いの者たちだけで共有するのではなく、もっと外へ、アウェーのところでも、その思いや考えを示し呼びかけ広げていかねばならない。
 我がそのためにできることは、やはり歌、コンサートの企画だと思えた。ならば、またそれを企画して一人でも多くの人たちに、うたを通して呼びかけていく。

 ご関心ある方、ご協力、出演ご参加される方、ぜひとも連絡ください。
 この夏までにはまず第一回やれたらと思う。たとえ参加者が少なくとも一つ一つ成果を出していく。いまならまだできることがたくさんある。

鈴木翁二原画展と6/2日、突然ライブのお知らせ2017年05月22日 23時34分36秒

★師匠である翁二さんからまたまた急な連絡があったので宣伝告知します。↓

 鈴木翁二の新刊「かたわれワルツ」而立書房の原画展が開かれます。お寄りいただけましたら、また、方面のお友達にお勧めいただけましたら幸いです。

・5月25日から6月7日 荻窪の書店「本屋title」にて
6月1日夜にはイベントで鼎談あり
http//www.title-books.com
著者は6月2日にも会場にいる予定です。

・「かたわれワルツ」評
 東京新聞・どの作品も、浮き草のような人生と人間たちの寂しく壊れやすい関わりが描かれる。その中で、匂いたつようなリリシズムと懐かしさが響き合い、そこはかとないユーモアや幻想の味つけも施される。時を忘れてよみふけった。
北海道新聞・それぞれの物語には何のつながりもなく、作品によって画風も変えている。収録順も、発表順に従ってはいない。それでもこの1冊を読み通すと、何か途方もなく長い物語を読み終えたような感慨を覚える。
 
 また毎日新聞でも取り上げられる予定です。

 ↑上記は、マスダに届いたメールを転載したものだが、拡散希望だそうで、どーぞご自由に勝手に、転送転載かまいません、とのことです。

 なお、これに合わせて、西荻の「のみ亭」でも突発的に、彼のうたとギターでのライブが開かれることが決定した。というよりマスダが決めさせた。マス坊も手伝わねばならない。んで、2日の金曜夜に開催予定だが、会場も狭く予約したほうが入場確実です。彼のうたの世界も、彼の描く絵の世界同様に、素晴らしく深く心に染み入ります。

 開始時間など詳細は、また拙ブログで告知しますが、予約は、マスダ、もしくはのみ亭まで連絡ください。