3月に入りました。2022年03月02日 21時52分36秒

★愚かな恥すべき弱きものとして

 だからこそ神にすがる者として、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻に心より抗議していく。

 これは我が信仰告白として、神の前に宣言としたい。以後、拙ブログで書くことは裁判のように、神に誓ったこととして書き記したい。

またまた情けない近況報告2022年03月08日 20時26分02秒

★またケガして深夜に救急外来に

 春3月。ようやく陽射しも本格的な春のそれになり、朝夕は冷え込んでも春到来の喜びを感じていた。
 が、一方、世界では、歴史の転換点というべき、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が起こり、報道を見ては胸を痛めていた。
 いま、我々が彼らウクライナの市民のために、できること、すべきことは何かずっと自問していた。

 そうしたこと等を拙ブログでこれから腰据えて書こうと考えていた矢先、一昨日3月6日の夜、愚かで迂闊な我は、自宅で階段から足を滑り落ちて胸や腰をしたたか打ち付けて、救急外来にかかるはめに。
 幸いにして、骨折や入院という事態には至らなかったが、今も体中が痛く怠くて動くこともままならない。

 全く本当に情けなく恥ずかしい。本当にどうしてこんなことをまたもしでかすのか。この報告すら書くのをためらう気持ちがあるが、起こったことはあるがままできるだけ正直に書くべきだと省みて、いま自らへの自戒も込めて今回の件を記録として書き記しておく。
 まあ、場合によっては骨折や入院、そして頭打っていたら死という最悪の結果も有り得たわけで、全治1週間から10日程度で収まるのならばこれもまた大いに意味と意義ある警告だと受け容れ感謝するしかない。

自分は本当にバカで、どうしようもないが、ともかくまだ生きている。ならば・・・2022年03月09日 22時43分15秒

★また死にそこなって、今度こそ神に誓う

 我は、西村賢太のような、いつ死んでもいい無頼派ではないのである。
 本当に小心で欲深く執着心強くてあれこれ気にかかる卑小な人間なのに、何故か常にバカなことをしでかし一つ間違えれば死ぬような事態を引き起こす。
 今回の1件をきちんと記しておく。本当に、バカだから、バカだからこそ、と、自分が作った歌の歌詞の通りで、本当に情けない。が、まだ生きているから結果報告ができるわけで、死んでたらもうそれきりで、誰も何が起きたのか知ることもない。

 今年は、先にも書いてきたが、年明け早々、拙宅の三本脚の猫が、動けなくなり、正月休み明けから動物病院通いが続いたり、この1月、2月とずっと慌ただく、金の出費も続いていた。
 ようやく今月、春3月に入って、そうした猫たちの病院通いは終わり、やっと自分のことに向き合えると気持ち新たにこの春を迎える気持ちになっていた。
 ただ、まずは、我にとって暗剣殺と日破が重なる今月最大の厄日である、3月 6日を無事乗り切ってから、と思い、その日は、できるだけ心静かに家でじっとしてやり過ごすつもりでいたのだが、やはり災難は訪れた。

 父のことではない。我は、父に何か不測の事態が起きるかと、気持ちも備えていたのだが、事は我に起きた。

階段転落事故詳細報告・前2022年03月10日 10時52分24秒

★4日目が過ぎてようやく動けるようになってきました。

 世界はいま、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から、EUとアメリカも交えた第三次世界大戦、しかも核兵器使用の可能性が高い大戦前夜の様相を呈している。
 そんな最中、こんな我の卑小な事件を記すのは心苦しいが、ともかくまずこれを書き記し、ほんとうに今回こそ悔い改め新たな人生のスタートを切るためにもまず今回の一件を詳しく報告したい。

 今年は、母が逝ってから6年目の年で、仏式では、七回忌の年となる。
 我としては、母や先祖の墓を擁する町田のお寺で何かすることはこのコロナ禍続く状況もあって何も予定していない。また、そうした式の場を設けても親族は皆高齢化が進み誰も参加するものもない。
 が、気持ちとしては、今年を機に、父もいよいよ末期を迎えて、我が人生をきちんやりしたい、再構築しようと誓うところがあった。
 それもあって、昨年末で長く続けてきたコンサートの企画も終わりにしたし、繰り返し書いてきたゴミ屋敷と化した家の片付けに専念して、我が人生と家そのものを再生させたいと期していた。

 ところが、今年は年明けからやたらトラブルが続いて、いや、正確には昨年夏頃だが、パソコンが壊れクラッシュしただけでなく、子猫が外で脚を大ケガして入院と手術と病院通いで何十万もかかったり、年明けからまた別の猫がやはり歩けなくなったため毎日レーザー治療に通ったりとともかく慌ただしく「けんあん」のことは何一つ進められなかった。
 さらに我の左指が父の入れ歯の針金が刺さりパンパンに腫れて病院通いすることにも。
 
 ただ、ようやく今月、春弥生、三月に入り、猫たちの件も収まってきて、小さなトラブルはまだ多々続いているが、温かくなってきたこともあり、気持ちとしては前向きに、アグレッシブになって、苦難の時は過ぎ去りた、さあ頑張ろうとやる気も出たところだった。
 長く厳しかった冬は過ぎ春が来た!これから、ここからだと。

 手のかかる父もロングで介護施設に預けられたし、今の我の唯一の収入源である古本稼業ももう一度きちんと出品数を増やして、定収増を目指そうとAmazonマーケットプレイスの「誠実迅速ますだあーと書店」用に検索する本類を選択し二階に上げようとしていた。

 3月6日の夜、9時半頃のこと。我は、軽く晩酌がてら晩飯を食べて二階に上がって携帯とか持ってまた下に降りようとしていた。
 拙宅に来られた方は、ご存じだと思うが、ウチの二階への階段はかなり急で、しかも今は各段すべてに半分ほど雑誌や本が壁に沿って高く積み上がり場所を占めていて実際に歩けるのは、半分ほどの狭小なスペースになっている。
 バカな我は、その狭い通り道にも、二階へ上げる予定の束ねた本や雑誌の括りを置いてしまっていたのだ。
 
 今回、我は、二階から下の階へ降りようとして、そうして無造作に置いた雑誌などの平積みにしてある束に足を置き、下の段に降りようとしたとたん、その束が崩れ落ち、我はそのまま仰向きのまま転落した。
 階段から足を滑らせたのではない。踏み歩く狭いスペースに雑誌の束など置いて、そこに乗っかったため平積みの束が崩れたからである。

 そのまま一階の玄関、上がり框まで落ちたわけではなく、ウチはいま玄関も本や雑誌の山で埋まっているから、階段中ほど左側に立ってる角柱に我の身体は胸から一気にぶつかりそこで止まった。六段ほど落ちたかと思う。
 右の胸、肋骨側を激しく柱に強く打ち付けた。息が止まった。肺が潰れたかと思えた。

 足元の本の束がずるっと崩れ落ち、あっと思って体は滑り落ち、柱にぶつかるところまではっきり記憶があるが、それから後はおぼろげである。
 気がついたら一回の廊下で前屈みになって、つっぷして荒い息をしていた。痛みのあまり息もできなくてしばらくそこで動けなかった。
 少ししてぶつけた部位を触ってみて、骨折したような骨には激痛はないと判断してどうしたものかと考えた。ただ胸も肺も痛くて息もよくできない。どうしたものだろう。

 携帯で女友達に電話して事情を話して相談したらば、すぐさま救急車呼んで救急外来に行け、と諭された。
 自分としては、もう夜も遅いし朝まで様子見て、明日になってからと考えたが、彼女の説得でともかくまず救急外来で診察を受けることにした。

 まだかなり痛みは激く歩くのもやっとだったが、必死で車のところに行き、幸いエンジンはすぐかかったので、救急車を呼ぶことなく自ら一番近くの夜間の救急外来があるTS会病院へ向かった。
 10時頃には着いたと記憶する。夜間でもやはり何か急な体調変化が起きたのか子連れも含めて様々な世代の男女が数名来ていた。
 幸い救急車などでの緊急搬送の患者はなかった晩で、ただ人気のない待合室で皆静かに陰鬱な顔して診察を待っていた。

階段転落事故詳細報告・後2022年03月11日 11時18分47秒

★ようやくほぼフツーに歩けるようになりました。

 胸のケガは、まだ咳をすると痛みが走るが、当日よりも後から痛み出した腰から背中にかけてのぎっくり腰的な痛みは、だいぶ和らいだ。
 と言ってもまだ腰を屈んだり身体を曲げることなど痛くてとてもできないが、一時期の息をしても痛く苦しくて起きていられず横になるのにもその体勢をつくるのがまた痛くて苦労したことを思い出すとずいぶん回復してきた。
 本当にご心配おかけしました。

 まだ局所的な痛みはかなり強く残るものの、ようやくほぼ日常生活は元に戻ってきました。事故後、ずっと続いていた風邪をひいたときのような全身が怠く重い倦怠感はやっと軽くなってきた。
 繰り返しになるけれど、骨折や入院に至らず幸甚だったとつくづく有難さを嚙みしめている。
 敬愛した中島らも氏のように、階段からの転落事故で命を落とす人もいるのだから、この程度で収まるのならばまさに僥倖、神のご加護が待たしてもあったということに尽きよう。

 思えば、10年ぐらい前、両国のフォークロアセンターの企画で、神社でのコンサートの時も、ソウブラの五十嵐君たちの眼前で、座っていた神社の廊下の欄干から2m近くしたの地面に頭から落ちたときも一時的に記憶は失いはしたが奇跡的に無事だったし、先年、砂川の原っぱ祭りの後で、酔っぱらってギター背負って自転車で転んだ時も肘のケガ程度ですんだ。
 もうこんなことは本当に最後にしたいと今心から願い誓う。もう次は無事ではすまないだろう。今回の一件も担当の整形外科医は、肺や肋骨より脊髄の損傷を心配していたが、そこをやられていたら車椅子生活となるところだったのだ。
 ♪バカだから、バカだからこそ~、という自らが書いたうたの歌詞が太田三造さんの歌声でずっと頭の中で流れている。

 さておき、その報告の続きである。

 一番近くの24時間緊急外来を受けつけているTS会病院に、階段から転落後、自らの運転で身体を引きずるようにして駆けつけた。
 10時過ぎには着いたかと思う。すぐに受け付けはすんだが、担当宿直医は一人だけらしく当然ながらかなり待たされた。
 まず男性看護士が問診して事情を伝えて、それから一時間、やっと医師の診察を受けた。
 寝台に横になり、胸の打ちつけたところを見せたが、その部位を押さえられて痛かったことよりも自らまた身体を起こして立ち上がるのが一人だったので本当に苦しく苦労した。
 そして医師が、ぼつんと呟いた「折れているかもしれないな」という一言がずっと耳に残り我を不安にさせた。
 そしてまたしばらく待たされ、先の患者たちが終わってからやっとまずレントゲンとCTを撮って、その後に看護師が採血して、またさらに待つことに。
 待合室で、医師から結果の診断を待つ間、その患部に手を当ててともかくひたすら神に祈った。骨折していたら入院しないとしてもひと月は治療を要するだろう。そうなれば父の介護にも支障出るし猫たちの世話すらも苦労することになろう。
 どうか骨折などなく大事に至らず、大したことのない診断結果となりますように。

 日付も変わり午前一時近くになってやっと名前を呼ばれて先ほどの当直医に検査の結果を伝えられた。
 レントゲンの画像だけでなく多方面から撮られたCTの画像も詳しく見せてもらえたが、幸いにして骨折などはしてなく、単なる打撲、打ち身として湿布薬だけ出してもらい、明日また専門医に受診するようにということで診察は終わった。
 痛みは続いていたので足取り軽くとはいかなかったが、午前一時過ぎ、病院から外に出て天を仰ぎただ神に感謝の祈りを捧げた。
 ウチに戻ったのは、午前一時半頃だったか。それから痛みに唸りながら、猫や犬たちにやっと遅い晩飯を与えるのだけで一時間要して、倒れこむように二階の自室のベッドに入ったのは、午前3時だった。
 ただ、それからもすぐに眠れたわけではなく、胸だけでなく腰や肘までほぼ全身が痛くて、眠りたくても眠る体勢をつくこともできずに、体をねじって左側に俯せのようになってほんの少しうとうとできて朝を迎えた。

 翌日7日、予約は入れていないが、骨折していないとしてもまずはともかく専門医にきちんと診てもらわねばならない。
 ほとんど眠れた気がしなかったが、8時前に起きて、何も食べずに支度して自転車でTS会病院へ向かった。コロナの発熱外来もあるのでものすごい人出で、駐車場は予想したとおりいっぱいだった。院内もすごく混んでいる。
 そして10時頃から整形の待合室でひたすら待っていたが、名前は全然呼ばれず、待っている間に痛みと疲労と睡眠不足から気分が悪くなってきて、11時半過ぎ、受付でまだどのぐらい待たされるのかを聞いたところ、前の患者が6人~いるのでお昼は確実に過ぎると知らされいったん家に戻ることにした。

 帰り道、ラーメン屋で軽くお昼を食べて、家で猫たちに餌やって、午後の診察開始の2時まで、一時間足らずだが横になった。少しだけでもようやく眠れた気がして2時過ぎ再訪したら、ほぼ待たずにすぐに診察受けられた。
 昨夜の画像を整形の専門医は眺めて、この一週間ともかく湿布張って安静にして様子見て、もし何か痛みが増すとか異変があればすぐにまた来い、なければ受診の必要はない、ということで診断はすぐに終わった。
 医師が気にしていたのは、脊髄の損傷と肝臓の出血であり、知らなかったが、肝臓は、その肺の裏側のほうにあり、血液検査をしたのもそうした場合を考えてのことであったのだ。
 だが、検査の結果はどれも正常値で異常なしとのことで、強い痛みは続いていても、骨折など面倒な事態でなくて心から安堵し神に感謝した。

そして今思うこと2022年03月12日 23時39分56秒

★もう、次はない。

 歳をとって良いことは一つもない、と誰もがよく言うが、我にとっては、一つだけ確かな良いことはある。
 それは、若い時にはわからなかったことが、わかる、見えてくるということで、愚かさや迂闊さ、だらしなさなど相変わらず若いころからバカのままでも、今は、その上で、ワカル、気づくことがある。
 今回の自らがしでかした転落事故の一件からも。

 すべて、この世に起こることには意味があるとようやくわかってきた。意義はともかく、意味である。善いことも悪いことも、戦争ですら、だ。
 意味というのは、理由や原因であり、その起こった状況や時点も含めて、分析、解析して、良いことであろうともそこから学ばなくてはならない。
 ましてそれが悪しきこと、事故や災難、不祥事などならなおさら繰り返さぬよう、また、天災など避けられぬことならば「その時」に備えなければならない。
 人類の進歩と文明の発展は、その繰り返しの上に、今がある。
 きちんと検証しなかった文明は結果として滅び、遺跡や史書の中にその往時の面影を残すだけだ。

 さらに、「意味」というのは、メッセージ、つまり警告でもあり、なぜ、そのとき、それがそこで起こったのか、を深く考えねばならないのである。
 そのまま、そうした「考察」や対処法を怠るとまた同様の事態が必ず起こる。
 ガードレールのない狭い通学路で、登校する小学生が車にはねられたならば、何らかの処置をしない限り、またさらにそうした事故は必ず起こる。
 我は、今さらながら今回の階段からの転落事故で、心から反省した。
以前から、階段や通路にさえ本やモノを置いて、不便だともちろん感じていた。
 が、何とかしないとなあ、と思い、近いうちきちんと片づけようと思い、そうして結果としてずっと「そのまま」にしてきていた。
 自分の人生の失敗、行き詰まりは、ようやくわかったのは、要するに「とりあえず」としたことが、多忙や怠惰を理由として、「そのまま」にしてしまい、結果として「常態化」してしまったことであった。

 もし、今回、転落時に頭でも打って脳挫傷などから死んでしまったら、すべてはその「とりあえず」のままで終わってしまい、我は、「とりあえず」生きた人として地獄の閻魔帳に記されることだろう。
 つまり、それはまだしっかり、きちんと本当に生きていないということに他ならない。
 常に、いつか、今度、そのうちに、と思い、片付けも含めて何も進められず、「とりあえず」状態にして、そのまま人生のタイムリミットが来てしまえば、ほんとうに「とりあえず」でしか生きていないではないか!

 やりかけのこと、まだやりたいこと、そしてやるべきこと、まだまだいっぱい我にはある。
 これまでは常に何であれ、先送りにして、いろんなモノゴトを後回しや、そのままほったらかしや、出しっぱなし、放置・放擲してきた。
 そしてもう人生そのものの持ち時間も残り少なくなってきて、結果として痛い目に自ら陥り、本当に今度こそやっと気がついた。
 ともかくまずは、床に、通り道に、まして階段にはモノを置かない。そして何事もそのままにせず、その都度できるだけ早く処理・対応していくこと。
 世間の人は実は皆さんそうしたことを当たり前にしてやっていたのだ。親の教育であろうか。ウチでは、親もまた片付けができない人だった。
 我の場合、かなり病的な部分によるもののようにも思えるが、「ビョーキ」だとしても、それで良しすることはできないだろう。だってそれは医者や薬で解決することではないのだから。
 とにもかくにも今回のメッセージ、警告をきちんと受け取り、いっぺん、一気にはできないとしても、少しでも少しづつでも何であれ、きちんとしていくことだ。
 キリストの看板ではないが、天の国は近づいた 悔い改めよ である。

 本当にもう次回はない。愚かさは仕方ないが、その愚かさのため自ら命を縮めてしまうのは、真に愚か者であろう。

緊急開催!! ★戦争反対!!「ウクライナの市民と連帯・支援チャリティコンサート」2022年03月13日 20時57分36秒

★「ウクライナに平和を、戦争反対!!チャリティコンサート」(仮)のお知らせとこのイベントへの参加者、出演者、支援者、そして共謀者を募ります。
★日時:2022年4月3日 午後3時~8時(予定)
★会場:谷保かけこみ亭
★出演予定者:生田まんじ 太田三造 館野公一 三留まゆみ 槙  篤 他多数          企画立案・責任者 マスダ昭哲
★参加費:支援カンパ ※ウクライナの市民への人道支援目的として寄せられた額は全額お届けします。今回の出演者には交通費も出ませんのでご理解のうえご参加お願いします。
★問い合わせ及び参加希望される方は、マスダまで。090-8175-8479


 ご存じのように、大国ロシアは小国ウクライナに軍事進攻を開始し今も多くの民間人が砲火にさらされて兵士のみならず一般市民、妊婦や子供たちまで日々犠牲者が報じられています。
 その現実を前に、何か我々ができることは、と考えてきましたが、やはりまずコンサートの場でウクライナの市民への連帯とロシアに対する抗議の意思を示し、その収益はすべて
軍事支援ではなく、国外への避難民も含めてウクライナの市民、食料や医薬品などの人道支援として届けるということぐらいしか思いつきません。
 この現実の戦争を前にして、我々は、対岸の火事としてよく知らない、無関心で良いのかと私は自問しました。

 核兵器の使用をちらつかせる近隣の超大国ロシアに対して日本も核保有を!と核共有論から非核三原則の見直し論も高まって来ることが予想されます。
 その流れとして日本の安全保障は自国で、さらなる軍備増強を、という気運が高まり憲法9条もやすやすと改変され核兵器保有、国防軍の日本となっていく。
 そうさせないためにも唯一の戦争被爆国の一市民としていま、現実に起きていて今も続いている戦争の一日も早い終結を祈り、「戦争反対!」の意思と抗議の声を上げるべきではないでしょうか。
 私は、そのために私ができることは、同様の近しい思いを抱く人たちに呼びかけてコンサートの場でそれぞれの反戦と平和への思いを表明してもらおうと考えたしだいです。

 ともかくこれ以上の死者、被災者が増えないためにも、一日でも早い停戦を祈り願って、日本から「戦争反対!ウクライナに平和を!!」とアクションの声を世界に発したいと思います。

戦争の素顔はいつも同じ2022年03月14日 12時10分29秒

★一日も早い停戦とウクライナに平和を!

 体調はまだ戻ってなく、咳をすると胸の痛みに響いて苦しいが、ともかくいま、ウクライナで起きていることに対して、コロナ禍で不自由を強いられようと、平和かつ安全な日本から少しでも何かアクションを起こすことができそうなので気持ちはやっと少し上向いている。

 が、それにしても不思議なに少し思えるのは、この戦争に対して日本人は、存外冷ややかに、あえてコメントや反応を控えてじっと様子見を決め込んでる人が多いように思えることだ。
 我の周りのサヨク系の人、仲間だと思っている人たちからもコンサートの呼びかけに対して反応はなぜか少ない。
 確かに報道は、アメリカやEU、西側の視点で偏ったものだという指摘は外れてはない。ロシアが絶対悪、ウクライナは正義、善であり、正気を失った独裁者に率いられた大国が小国を支配、併合するために起こした言語道断の暴挙だという論調である。
  一方、それはフェイクニュースではないとしても、ロシアだけが一方的に悪いわけではなく、ウクライナ側にも非があり、ロシアはやむにやまれぬ状況から攻撃を始めたという擁護論もオールド左翼の人たちには根強いようだ。
 そうしたこともあって、今回の戦争に対して、サヨクの側こそ冷ややかな対応、だんまりを決め込んでいる人たちが多いのであろうか。
 
 確かに、戦争とは、当事者国のどちらかが絶対正義で、どちらかが悪だと断定することはとてつもなく危険なことだと我も考える。
 そう短絡的に決めつけて、我も当初は、ウクライナという国家に全世界的な支援を、不幸な目に遭っているウクライナに栄光あれ、と考えもした。
 チャリティなどで寄せられた資金は、ウクライナ大使館に持参しようと考えていた。
 だが、ウクライナ大使館側のロシア憎しからのロシアの都市と姉妹都市にある日本国内都市への「断絶」「断交」の呼びかけや、ロシア文化やロシア語教育機関を持つ施設、大学等へのロシア語科排斥要請の「干渉」を知るにつけ、これはどちらか一方の国の肩を持つことは、戦争の本質を見失うことだと気がついた。※全世界のハッカーに向けてロシアへのサイバー攻撃の要請も同様であろう。
 
 今さら言うまでもないことだが、国家と国民はまた違う。日本はいま、自公政権の国家だが、国民は皆全員が、今の内閣も含めて自公を支持しているわけではない。
 政権を強く批判し抗う国民も少なからずいるわけで、例えば、日韓関係、慰安婦の問題など一つをとっても、政府の見解、立場とは相容れない人たち、――我もだが、一定数存在するのである。
 ロシアという国家が憎いから、ロシア人もロシア文化さえも同様に憎い、憎み排斥すべきだという思考、行動は、第二次大戦中の在米日本人、日系人を強制的に収容所に送り込んだ思想と完全に重なると言えよう。
 ロシアにも反戦を願い、戦争を厭い心痛める人たち、経済封鎖で苦しむ市民が多数存在していることを想像すべきではないか。
 また、我はかつてのベトナム戦争をよく知る者として記すが、私の家など左翼系の人たちは、誰もがベトナム人民支援のカンパに精出した経緯を持つ。

 確かにあの戦争はアメリカ帝国主義の東南アジアへの侵略戦争であり、義は確かにベトナムの側にあった。
 しかし、今思うとベトナム人民支援ということは、とりもなおさず結果として北ベトナムという国家に対しての軍事支援でもあったわけで、反戦、反米というスローガンと同様に、我々は、アメリカ人、参戦した韓国人兵士たちを殺す武器のためにも金を出していたのだと今さらだが思い至る。
 むろんそうした世界各国の反戦と平和を強く望む民主的思想を持つ一般市民たちからの多くの支援カンパや反戦行動によりアメリカはベトナムの地から撤退し戦争は終結したのだから、その時点では間違いなく良いことであった。

 しかし、今だからこそ、このロシアとウクライナの戦争において、我々は一方の国家を軍事的に支援すべきであろうか。
 むろん大国による力による現状変更、小国の民族自決権が失われる異常な事態においては、その戦争に正義はある。国家が抗うには理由がある。しかしそこに他国がまた参戦してしまえば、戦火と戦地はさらに拡大していく。
 ならば、ロシアのさらなる暴挙を絶対阻止するためにも、ウクライナに武器を供与して頑張って抗戦してもらいたいという思惑も理解できなくはない。

 世界情勢というのは複雑で、おいそれと答えは出てこない。ただ、核兵器による脅しがあったから、日本も核兵器を日本国内に共有保有すべきだという論は、あまりにも短絡的であり浅はかだと言うしかない。
 ならばすべての国家が核兵器を保有すればこの地球から戦争や紛争がなくなるのか、ということだ。
 なくなるどころか、不慮不足の偶発的な事故や核のボタンを握った狂信的独裁者の暴走により、世界中が全面的に核戦争となって、人類のみならず地球上すべての生命が死に絶えることは間違いない。

 そして改めて気づくことは、戦争の素顔は、何百年たとうと同じだということ。
 戦争は常に、正義と平和のため、というリクツの仮面をかぶって始まる。しかし、正義はどちらの国にもあるし、平和と安定のためという名目で軍事施設のみならず病院や避難施設させ攻撃し、兵士のみならず一般の市民さえも殺戮するのである。
 当事者国は対世界的には、正義はこちら側にあると胸を張り、相手国を誹り、攻撃を与えるためには情報操作、サイバー攻撃も含めて手段を択ばない。
 そして国内的には、反戦の声は押しつぶし自由な言論は統制され、常に正義はこちらにあり勝利の日は近いと、悲惨な真実は隠された「大本営」発表に励むのである。
 大東亜戦争を体験した母が生きていたら何と言ったか想像に難くない。まったく、今も昔も戦争はどこの国でもおんなじだね、と。

 だからこそ、だからこそ、ともかくこれ以上、ウクライナの地で砲火の音に怯え逃げ惑う市民たち、老人や妊婦、病人たち、そして子供たちが一人でも殺されないために、何かできること、声をあげたいと願う。
 「戦争反対!」ウクライナに平和を!!
一日でも早い停戦を願い祈って人道支援と連帯のアクションを起こしたい。

ともかくまず「思い」を言葉にして、「うた」にして「外」に2022年03月15日 14時05分32秒

訳:プロパガンダを信じないでください。あなたはだまされている。戦争反対!!
★今こそ、歌い手やクリエーターたち、創造者の想像力と行動力が試されている。

 権力者は安全な宮殿の中で、万全の守りの中にあってただ命令を下し、良い思い通りの情報が入ってくることを心待ちにしている。
 そして戦争当時者国の国民、一般市民は、攻撃をしかけた側も受けた側も同様に、様々な苦難と混乱と不安のただ中にある。そう、苦しむのはいつも一般市民たちなのだ。

 その紛争地から遠く離れた国となると、メディアから流れてくる被災国の悲惨な映像や情報を眺め心痛めつつも、あくまでも対岸の火事として、ガソリンがこれ以上高くなると困るなあ、とか、ウニやいくら、サーモンは気軽に食べられなくなるのでは、とか身近なことを心配している。
 国連事務総長は、核戦争も起こり得る最大の危機として「警告」を発しているけれど、そんな恐れはどこ吹く風、我々はのんびりと春の陽射しの中、遠く離れた地域での戦争に対して、ヒトゴト、他人事として、関心は持ちつつも傍観者でいられる。

 思うのだが、今こそ、これまで様々な思いや怒り、悲しみ、愛や失恋、別れの悲しみも含めて、人生の折々を言葉にして「うた」としてうたったり、詩や小説、あるいは絵画のようなものにして現わしてきた創造者、クリエーターたちは、今だからこそ、この地球規模の戦争という「人類の危機」に対して、もっと言葉を発するべきではないのか。

 どのような理由や理屈があろうとも大国、強国が一方的に力により、核兵器の使用もちらつかせて他国に侵攻、その政権転覆を謀ることは、言語道断であり許すことも受容れることも絶対にできない。
 一たび、そんな非道を看過してしまえば、この日本も同様の事態に陥るかはともかく、戦争による民間人も含めた大量殺人は、合法ということを人類は認めたこととなってしまう。
 武力を持つ者が、その武力で他者、他国を従わせ支配下に置くことは、人類が何度となく悲惨な戦争を体験して否定してきたはずのことだ。なのに大国は何故に何度でも過ちを繰り返すのか。

 「人道」という言葉がある。人の道は確かにあって、その道を踏み外してしまうのは、鬼畜だとされる。
 いや、動物たちでさえ食料や縄張り確保等、自らの命を守る以外、他の動物を見境もなく殺しはしない。
 戦争というのは、人間だからこそ起こす、欲望が引き起こす人間同士の殺し合いであり、何より卑劣だと思うのは、支配者は自らは安全な立場で、兵士たちに殺し合いを命じていることだ。
 たくさんの兵器を持つ者、持つ国家が安全で安心というならば、永久に軍拡競争は続くだろう。
 力には力、核兵器には核兵器で対抗を、という発想を続けている限り、戦争は永久になくなりはしないし、地球は破滅にまっしぐらに突き進む。
 いまこそ古臭いと笑われようとも、日本国憲法の理念、武器を放棄し不戦を誓う九条の理念こそが意味と価値を持つ。

 そんなこと言ったって理想論に過ぎず、じっさいに他国が攻めてきたらどうするんだ、という声は常にある。そう、銃には銃をとって立ち上がれ、とことん抵抗せよ、と。安全保障のため武器をしっかり備え蓄えておけ、核兵器も持つべきだ、と。
 じっさいに我も敵対する相手に襲われたらば抵抗し、殺されまいと相手を逆に殺すかもしれない。
 とてもアウシュビッツの聖人コルベ神父のように、自ら申し出て死を受容することなどできやしない。

 しかし・・・
 ナザレのイエスは、弟子のユダの密告により、捕縛されゴルゴダの丘で十字架にかけられた。
 その逮捕される際に、弟子のひとり、後に教会の礎となるペテロは抗い、手下の一人の耳を剣で切り落とした。
 しかし、イエスはそれをやめさせ、こう言ってその耳を癒したと聖書には記されている。
 「剣(つるぎ)をさやに収めなさい。剣をとるものは皆、剣で滅びる」と。

 つまるところ、殺し合い、争い傷つけあいを続けている限り、一時的には勝利したとしても恨みや憎しみは相手側に残り、報復はまた必ず起こるのである。今も韓国、朝鮮の人たちが日本に対して持つ悪感情は、戦時中に日本国と日本人が彼らにしたことに由来する。
 同時多発テロによりアメリカが起こした「正義の戦争」も結果として、アフガニスタンやイラクの国家を破壊し多くの地域の国土を荒廃させ沢山の一般人の命を奪い、テロリストを増殖させ今も米国や西側世界は、報復テロに脅えている。

 だからこそ、コルベ神父のようにはなれない我は、イエスの言葉と憲法九条を胸に抱き耳を傾けなければならないと心から思い祈り誓う。

 剣をとるものは皆、剣で滅びる。戦争では平和はつくれない。戦争はすべてを破滅させてしまうだけだ、と。

 ウクライナだけでなく、ロシア国内の反戦を願う、勇気ある人たちとも連帯を!!

4月3日のコンサートのチラシ、やっと完成。2022年03月24日 12時05分55秒

★このチラシの文面を掲載します。「文責」はすべて私マスダにあります。

大国ロシアが、その隣国ウクライナに一方的に軍事侵攻を開始して一か月近くたちます。
 これまでに双方の軍で多くの兵士が死傷しただけでなく、ロシア軍の無差別的ミサイル攻撃により学校、劇場、病院施設、原子力発電所までが被害を受け、何千人にもの子供も含む多くの市民が殺害され、国外に脱出した非難民は350万人を超えたと報じられています。
 さらに国内には、今もなお退避できない市民が多数取り残され避難豪には水も食料もなくなり飢餓の最中に。攻撃は、今も続きこの戦争の終結は見通せません。
 両陣営及び支援諸国からは様々な情報が流れ出て、何が真実でフェイクニュース、プロパガンダなのかその報道に迷い戸惑う人も多いようです。
 ただ、一つはっきりしていることは、いま、この瞬間でも兵士のみならず多くのウクライナの市民が大人も子供も老人も病人も新たに死んでいく、ということです。ロシアによるこの侵略戦争に強く抗議するとともに、軍事的ではない解決を望み1日も早い停戦と戦争の終結を祈り市民のための連帯コンサートを企画しました。※市民にはロシア国内の反戦を願う市民も含めて。
 この戦争にさまざまな意見やそれぞれの立場、お考えがあることを前提としたうえで、ともかく戦争反対、即時停戦を求め、今この日本からできることをうたや語りを通して皆で問い考えたいと思います。

・2022年4月3日(日)出演/生田まんじ 太田三造 館野公一 藤しんいちろう 槙篤 三留まゆみ 森人 山口敦子他

★午後3時開場・開演3時半本編スタート~午後9時終演予定

★参加費:チャリティカンパ※ワクチン接種証明など不要。
★今回寄せられたカンパは、全額を難民支援などのためNGOを通して人道支援に役立てます。

カンパ+ワンドリンクorワンフードのご注文お願いします※お問い合わせ/進行役:マスダ:090-8175-8479 かけこみ亭:042-574-3602※谷保駅下車3分